『黄の章』第15話:全てが急な出来事
ギンコは、自分の写った《カァド》にアクセサリと同じような記号が使われていることを発見した。
つまり、向こうの利緒、ミドリオもカードについて知っている可能性があると睨む。そして恐らくそれは正解だろうとも確信していた。
だが、答えばかりあっていても、そこに至る推論、その根拠がなければ意味がない。
一連の『どうして』という疑問に正しく答えられる者は、少なくともこの場にはいなかった。
「ああ、そうだ。これからアッカイリティロイがこちらに来るよ」
皆が思い思いに悩む中、まるで昼食の献立を発表するような軽さで太陽毛が言った。
(アッカイリティロイ……誰だっけ?)
利緒が頭をひねるが、利緒以外の3人は太陽毛の発言に驚いていた。
パクパクと口を動かして、それぞれ声にならない声を上げる。
「至王が来るというのは、どういうことですか!?」
どうにか深呼吸したトワスミナが、声の主の方を向いてキッと睨みつけて叫んだ。
至王と聞いて、利緒は以前に魔装精製場で触った箱を思い出す。
食事の後のお茶と一緒に聞かされた『玖王の試練』の話。
アッカイリティロイとは玖王が一つ至王の試練、その試練場の支配者であり、監督者であった。
所長のハルキュリが語った、箱を里にもたらしたその人である。
「玖王が里にいらっしゃるなど、聞いたことがありません!どうして真祖様はそういう重要な事を前もってお伝えくださらないんですか!?」
「しょうがないでしょ、忘れてたんだから」
「しょうがない!?忘れてた!?」
太陽毛の悪びれぬ回答に声を荒げるが、周囲の人間はもはや突っ込まない。
奉行殿は疲れておる。
真面目な人間ほど、このノリについて行くのは大変だろうと、人ごとのように利緒は同情する。
そぶりでも見せれば、激情が自分に向くことは容易に想像できるために、内面などおくびにも出さず、表面上はハラハラと見守るばかりである。
「なんだ、伝えていなかったんですか」
声とともに肩をチョイと突かれて、利緒が慌てて振り向くと、そこにはヒナギの顔。
誰かに抱き抱えられて、普段より目線の上がった少女はヨッとでも声をかけるように片手を上げる。
「でもまぁ、そんなにかしこまる必要はないですよ」
「しかしですね……っ!?」
太陽毛を擁護する声にトワスミナも顔を向けて、またしても声を失った。
そこには青い服を身に纏った、道化の仮面をかぶった輩がヒナギを抱えて立っていた。
道化は皆の視線が集まったことを確認して、脇の下の手袋越しとはいえ指の心地が悪いのだろう、体を揺するヒナギをゆっくりと下ろす。
その後ヒナギが利緒の側に近づいたことを見届けてから、右手を胸のあたりまで持ち上げる。
顔も見せないいかにも怪しい人物であったが、その佇まいと異様な圧力に、これが至王であると誰もが確信した。
「時間がないのでね、私の用事を終わらせましょう」
アッカイリティロイはそういって右手の指を打ち鳴らす。
手袋をしているにも関わらず、周囲の雑音をかき消すように綺麗に響く指の音。
音と同時に、部屋の空間が歪んだ。少なくとも利緒にはそう見えた。
「試練を始めよう」
利緒にとっては、この世界に来たことも含めて理不尽の連続だ。
精根尽き果てるまで体を動かして、気を失って、目を覚ましていつもと変わらない風景に心を惑わされる日々。
この世界をいつもと認識するようになった悲しみ、変わらなかったことへの絶望とわずかな安堵。
もし、里の子供達がいなければ1人塞ぎ込んでいた可能性もある。
(う……ぐがぁぁ……頭、頭割れ……っ!)
歪む風景にあわせて利緒の脳がねじ曲がる感覚に精神が揺らぐ。
近くのような遠くのような、出どころの距離感すら分からない至王の声が、痛みにボヤけた頭に響いていた。
「至王の試練を超える者、『自分の限界へと辿り着いた人』とはよく言ったものだ」
この声を最後に、利緒は意識を手放した。
◇
利緒の主観では気を失うほどの衝撃があった。
それは、外から見たものにとっても別の意味で異様な出来事だった。
「な……なにがあったの?」
アッカイリティロイの指の音の後、ほんの一瞬だけ景色が揺らぎ、まるで元から存在しなかったかのように至王が消えた。
目を丸くしてトワスミナは辺りを見渡すと、同じような顔をしたカナカと目があった。
そしてそれだけ見渡しても、カナカ以外と目が合うことはなかった。
「……トワスミナさん、ギンコが消えちゃいました」
半ば放心気味に、カナカはポツリと呟いた。
あの一瞬で消えた者は至王と利緒、それにカナカとヒナギを加えた4人であった。
「……なるほどね」
太陽毛だけが慌てた様子を見せず、いつものように微笑んでいた。
最早そのことに突っ込むことのできる者はこの場にはいなかった。
◇
「……オ……リオ……リオ!」
己を呼ぶ声に利緒が目を開けると、必死な形相したヒナギの姿が写った。
肩を揺すられていることに気づいて最後に見た景色を思い出す。
ネジ切れるような痛みを幻視して、込み上がってきた吐き気を堪えるために思わず口を両手で塞いだ。
動揺がおさまってから、どうにか上体を起こすと、利緒が無事なことを確認してか涙ぐむヒナギがいる。
「……何がどうなってるの?」
「リオ!」
「うわっ!?」
周囲を見渡して何事かと考える利緒に、ヒナギが飛びつく。
その衝撃を支えきれず倒れ込み、ヒナギを上に乗せたまま利緒の視線は天井へと向かう。
「石だ……」
一切記憶にない天井に、利緒は考えることを放棄して、胸に顔を埋める少女を眺める。
ポンポンと頭を軽く撫でると、ようやっと落ち着いたのか、グシグシと涙を拭って利緒の上から降りた。
「……リオ、大丈夫?」
「ん、うん。大丈夫」
心配そうに見つめる少女に、正直に答える。
「リオ、顔がずっと青くて唸ってた、本当に大丈夫?」
「うん、もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「……なら良かった」
念を押したやり取りの末、ようやっと安心したのだろう、ヒナギはニッコリと目を細くして笑った。
「ところで、ここはどこ?」
「分かんない。それにみんなもいなくなっちゃった」
ヒナギの答えに、利緒も周囲を見渡して確かに誰もいないことを確認した。
一面を石で囲われた、狭い部屋。
ここに利緒とヒナギの2人だけがいる。
相変わらずの超常現象に、利緒は両手で顔を覆った。
ヒナギには見えないよう、ほんの少し流れる涙を隠すように。
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