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『黄の章』第12話:嬉しくない現実

「魔力……あの、質問が……」


 魔力を引き出せるようになる、という聞き捨てならない台詞に、利緒は声を上げようとするが、その言葉は最後まで吐かれることはなかった。


 ガタンと、机に手を置いて、それは力を入れれて叩いたのでなく、ただ手を置いたようであったが、大きな音を立てながらアキナフィルが立ち上がる。


 そのまま腕をふるふると震わせて、顔を真っ赤にしたアキナフィルは、一度大きく息を吐いて、扉の方へと歩いていった。

 おぼつかない足取りで、その背中はフラフラと見ているものを不安にさせる、そんな動きだった。

 利緒がハラハラしながら眺めている間に、ドアはパタンと閉じられた。


 部屋に訪れる静寂。

 太陽毛のお茶を啜る音だけが、響く。


 この空気の中、改めて疑問を投げかけられる利緒ではない。

 誰を見ても、特に何をいうでもなく、ひたすら無言の時間が続くばかりだった。


「開かずの箱が開いたとは本当ですか!?」


 しばらくして廊下から、いく人もの足音が聞こえてきたかと思って僅か、ドアが開くと同時に大きな声。

 男男女男男……割合としてはおおよそ男に傾いているようだが、そのまま職員と思わしき、同じような格好をした者たちが大量になだれ込んできた。


「まさか、黒箱が開かれ……うん、この様だと壊された?」

「所長、表面に掘られているのはロガン術様に似ていますが……」

「隠蔽、強化……うげ、発光現象なんですが魔素反応じゃなくて専用に式が組まれてますよ!」


 机に散らばった残骸を見て、皆が騒ぐ。

 戻ってきた所長も、出て行くときの儚さは最早なく、目を輝かせて話に参加している。


「アキナフィル、これは未解決問題か?」

「うん、フェルエルの課題の、その先の技術を実用化しているようにみえる。多分だけど」


 利緒とトワスミナは唖然とした表情でその光景を眺めていた。

 専門的な話が強いのだろう、聞き慣れない単語の数々、また白熱した議論からもはや、利緒に対する配慮は消えている。

 トワスミナすら半分も理解できていないのだ、利緒ならば尚更だった。

 何を言っているのかわからないなか、話に参加することも声をかけることもできずに、ただ黙ってみているしかなかった。


「これをあの少年が?」

「ああ、そうだよ。リオこそ鍵だったのさ」


 ぼんやりと眺めているうちに、箱を解放した利緒について、話題が移る。

 利緒自身が何かを答える前に、職員の疑問には、なぜか太陽毛が胸を張って答え、それを聞いた職員たちは、おー、と感嘆の声を上げる。

 同時に集まる視線に、利緒は大きなプレッシャーを感じる。

 もはや利緒が何か口を挟める空気ではなかった。

 急に自身の名前が聞こえたかと思えば、一斉に集まる大量の視線に思わず、息を飲む。


「私の言った通りリオはとても大切な人だろう」

「大切?重要だったような……まぁ、たしかに凄いことのようですけど、他にも何かできることがあるんですか? 鍵なんて開ける錠前が無ければ価値無いですよね?」


 そんな視線を気にかけることなく、太陽毛は利緒にしだれかかり、トワスミナが迎え撃つために利緒に密着する。

 喧嘩腰に利緒を認めないと、言葉の節々から見える。


「……ちっ」

「……はっ」


 舌打ちや、吐かれた息が利緒の耳に届く。

 周囲から利緒に降りかかる視線がより一層強くなったのは気のせいではないだろう。

 女性職員など一部は、目を輝かせるものもいるが、それは割合もあって少数派である。

 大概の男性職員は、利緒を嫌悪し見下した、もしくは嫉妬に塗れて、ひどく澱んだ目をしていた。


 この場面では、利緒も焦りの感情が非常に強く表へ出る。

 ドキドキするのは決して良い反応によるものではない。

 冷や汗だらけで、とても嬉しくない緊張を強いられる利緒。


「……と、ところで、僕が魔力を使えるのであれば、これでどんな魔法が使えるんでしょうか!?」


 誤魔化すように、大きな声で疑問を投げかける。

 太陽毛は寸前に逃げたが、トワスミナの耳には利緒の大声が響いた。


 思わず耳を塞ぎ、利緒から離れるトワスミナを横目に、再度近づいてくる太陽毛。


「ないよ」

「……えっ?」

「リオが使える魔法はないよ」


 その言葉に利緒は目を瞬かせる。

 箱を開ける際に感じた力からして、想定していた答えとは違うもの。


「魔法は碧の技術だから、私たちも使えないが、仙術、祀舞も同じさ。リオはその仕組みを知らないだろう?」


 知っているかと言われれば、知らない。

 しかし、魔力があって、使えないとはどういうことか、パクパクと口を動かして、利緒は音にならない声を上げる。


「心臓を自分で動かすことができないように、そういった《スキル》には生まれながらの適性があるのさ」


 技術ではあるが、誰もが行使できるものでもないと太陽毛はいう。


「……ただ、力自体は持っているから、すこしは不便が減るはずだ」


 例えば、人に急に惹かれてしまったりとかね、とニヤリと笑う太陽毛。

 利緒は、太陽毛がこれだけ至近距離にあっても、不思議な高揚感が薄いことに気づく。


 思い返してみれば、初めて会ったばかりの太陽毛がいかに綺麗とはいえ、こうも不覚に陥るのは流石におかしいことではないか。

 利緒は指摘を受けて初めて、ようやっと、今更ながらに思う。

 ある意味では、そんな客観視もできないほど、術中にはまっていた。


「その指輪、外さないようにね。保護なしで意図的に誘惑されれば男にも付いて行きかねないから」


 笑いながら、恐ろしいことを言うものだと利緒は戦慄する。

 思わず、職員達の方へ向いてしまったのは、しようがないことだったのか。


「……おい、キーンてしたぞ」


 ようやっと、戻ってきた音に、無表情に利緒の肩を叩くトワスミナ。

 普段であれば、威圧感を感じたかもしれないその顔に、もしかしたら無慈悲にも惑わせられていたかもしれない。


 しかし、なんとも言えない自分の立ち位置を思い知った利緒は、乾いた笑いを浮かべるばかりだった。



「おかえりなさい」


 日の落ちかけた頃、利緒達は太陽毛の屋敷に戻った。

 扉の音を聞きつけたのだろう、玄関を開けると、メイアがパタパタと足音を立ててやって来た。


 箱から現れた指輪についてだが、太陽毛の強権が発動し、そのまま、持ち帰ることとなった。

 抗議の声もあがったが、箱自体もかなり特殊なもので、研究材料になると落とし所をつけたようだった。


「ヒナギ、これお土産。大切にしてね」

「真祖様!?」


 太陽毛は普段と変わらない風で、メイアの後からやってきたヒナギを呼び寄せて、その手に白の指輪を置く。

 トワスミナの声が響くが、もはやそれに動ずる里の者達ではない。


 利緒だけが、ピクリと肩を震わせてから、トワスミナの苦労を労おうと近づく。


「なんですか?」

「えっ……いや、その、お疲れ様です……」

「貴方がそれをいいますか?」


 トワスミナからしてみれば、利緒こそ不自然な寵愛を受ける異物である。

 理不尽な怒り、八つ当たりと分かっていながら、トワスミナは反発するばかりだった。


 そんな喧騒とは別に、ヒナギは興味深そうに、指輪を眺める。

 黒い箱の中から出て来たそれは、遠目にはシンプルであるが、よく見れば細かな紋様が彫られている。

 光を受けてキラキラと輝く花のような彫刻を、ヒナギは特に気に入った。


 目ざとく利緒の指にも、色こそ違うが、似たような指輪が填められていたことを発見したヒナギは、同じように自分の左手薬指を指輪に通す。


 利緒の横に立って、左手を上げる。

 キラキラと光るの指輪を、利緒とトワスミナ、2人の間に割って入って、その面前へと突き出した。


 不意な乱入に、2人が目を瞬く。

 罵倒の言葉を続けようかとトワスミナは一瞬悩むが、小さな手を見てため息を吐いた。


「……2人とも。くれぐれも無くすことないように」


 勢いの削がれたトワスミナは色々言いたそうに葛藤したあと、結局は注意だけをして家の中へと入っていった。


「ん!」


 残された利緒に見せつけるように、ヒナギは手を大きくあげて左右に振る。

 面前に突き出された小さな手を見て、利緒は何事かと考える。


 とりあえず、ヒナギと同じように利緒も左手を持ち上げる。

 ヒナギの顔あたりまで上がったところで、ヒナギは手を振って、2人の手がパチンとぶつかった。


 白と黒、二つの指輪が煌めく。


 ヒナギはそれで満足したようで、目を細くして笑うと、タッタと家の中に走っていった。

 利緒の行動はどうやら、ヒナギの求めるものとして、正解だったようだ。


「さて、今日は色々とあったから一旦整理も必要だろう」


 ヒナギの後ろ姿を見送っていた利緒の注意を引くように、太陽毛は手を叩いた。


「メイア」

「はい、今日はいつもより多めに料理しています」

「さすが。というわけだ、リオもご飯を食べていくといい」


 メイアの料理は美味しいのだと、太陽毛は自慢気に言う。


「もちろんトワスミナも誘っているよ」


 ぐるりと衣装をなびかせて、太陽毛は柱の陰から覗いていたトワスミナに向かって声をかける。


「まさか、帰るなんて言わないよね」


 利緒の頬に手を当てて、顔を近づける。

 ともすれば、唇すら届きそうな距離。

 トワスミナから、声にならない悲鳴が上がり、2人を離さんと足を踏み出そうとするが、それはメイアに羽交い締めにされて叶わない。


 今までであれば、顔に血が上り体が硬直していただろう。

 事実、視界を覆う太陽毛は整った顔立ちで、長く伸びたまつ毛も、ほんのりと桜色したみずみずしい唇も、利緒を高揚させるに十分ではあった。


「はい、いただきます」


 それら全てを理性で束ねて放り投げて、利緒は笑って返事する。

 肩に手をやって、距離を話すなど少し前の利緒に出来ただろうか。


「……つれないね」

「真祖様!なにしてるんですか!」


 メイアの拘束を振り切って、トワスミナが駆けつける。

 そのまま、太陽毛を引きつけて、利緒との距離を離した。


 トワスミナも美人ではある。

 それがこれだけの距離にいればドキドキする。


 しかし、それでも利緒は苦笑する。自身の立ち位置を俯瞰する。


 太陽毛が、他意なく優しい目をして2人を眺めていることに、利緒は初めて気がついた。

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