エルフさん、おしめを替える
エルフさんがケイジの家に転がり込んで早2ヶ月。
言語翻訳と良縁に恵まれることこそ
転生者の基本プリセットではあったのだが、
異世界からの転移がそこまで珍しくないこの日本に
転移できたことは幸運に恵まれた結果だった。
「ケイジ! ようやく難民申請が通りました!」
「おー、ようやくかぁ」
異世界からの転移者というイレギュラーに対して
政府は海外からの難民という扱いを適用していた。
しかし、そもそも日本は難民受け入れ数が
国際的に見て非常に少ない国である。
どうしても行政対応は迅速とは行かず、
今回もようやく申請が通ったというだけ。
在留カードは仮のものだし、
国籍付与をはじめとした様々な行政対応は
まだまだ先という状況だった。
「これで私も働けるようになりますね!
今日までありがとうございました!」
「いやいや、こういう時は持ちつ持たれつさ。
しかし……」
難民申請まわりの書類を睨みつつ、
ケイジは眉を潜める。
(まだ在留カードも発行されてないし、
そもそもエルフさんは完全な異世界出身だ。
言葉は通じるとはいえこの世界のことを知らなすぎる。
仕事といっても、実際に雇ってもらえるのか……
雇って貰えるにしても、まともな職にありつけるのか。
なによりこの子……)
ちらりと隣に目を走らせる。
「?」
(この見た目だからなぁ……
良からぬことを考えるやつが
いないわけないんだよなぁ……)
しばし自分に何ができるか悩んだ後、
ケイジはダメ元で自分の職場のRINEを開いた。
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「エルフちゃんごめんなさい! こっち手伝って!」
「エルフのねーちゃん! あそぼーぜ!」
「エルフさんしりとりしよー!」
「あああ! 同時に話しかけないでくださーい!!」
近年、保育園の不足は社会問題となっていた。
これは単純に保育園の数を
増やせば解決するという問題ではない。
そもそも保育士の数が足りていないのだ。
保育士は言うまでもなくキツい仕事であるが、
就労するには国家資格が必要だ。
それでいて医療従事者とは違い、
根本的に賃金が低いという問題もある。
そんな状態でわざわざ保育士を目指す人が
増えるのかと言われれば当然ながらNO。
結果、どこの保育園も常時求人状態となる。
保育園の中には猫の手も借りたいの一念で
資格を持たないアルバイトを雇うこともある。
特に未認可保育園の場合、
最初から資格と必要としていないことも。
そして、そういった保育園が
子供をずさんに扱うという問題はもはや
起こるべくして起きているとさえ言えた。
これらの状況を現場で理解しているケイジは、
国家資格もなければそもそもこの世界の常識を知らない
エルフさんを働かせることは正直後ろ向きだった。
故に、もしも園長からNOが出れば、
それが当然として食い下がることもなく諦める。
そんなつもりでの申し出だったのだが……
「いいわよ。というかむしろ、
すぐに連れてきなさい」
「まじすか」
まさかの二つ返事に拍子抜けしてしまう。
というのも、園長曰く。
「私ね、保育園は困っている家庭と子供のために
あるべき施設だと思ってるの。
その子の状況って、むしろ困ってる子供じゃない。
なら感覚としては、預かる子供が1人増えるのと同じ。
で、もしも手伝えることがあるなら手伝ってもらう。
君の仕事はちょっと増えちゃうかもしれないけど……」
ここまで言われて、ケイジの答えは1つしかない。
「いえ! 大丈夫です!
絶対俺がサポートします!」
ということで保育園での仕事をはじめる
エルフさんなのだが……
「ケイジ、ごめんなさい。
このアプリの使い方がわかりません」
「う……まぁそうだよなぁ……」
とりあえずスマホを買ってはみたものの、
これらは当然エルフさんにとって未知の技術。
スマホやパソコンの操作は
彼女にとって大きな壁として立ちはだかる。
しかし、彼女には魔法の覚えがある。
大地からの魔力がほとんど無いこの世界では
派手な攻撃魔法は使えないが、
ちょっとしたおまじないレベルの魔法なら使用可能だ。
――ひそひそ
――くすくす
「ほらほら、お話はダメですよ。
お昼寝の時間なんですから。
こうなったら……」
指先に魔力を込めるエルフさん。
睡眠付与の魔法を行使しようと試みるが……
「ダメよ、エルフさん」
「園長先生?」
「この世界で魔法は未知の技術。
どんな副作用があるかわからないわ。
その魔法ももしかすると、
ずっと目が覚めないなんてことも……」
「うー……確かに……そもそもこの睡眠魔法も、
魔物を眠らせてその隙に倒すっていう
ある意味での攻撃魔法ですからね……
回復魔法をかけるならまだしも……」
「回復魔法だってダメよ。
眠らせるのも傷を治すのも、
この世界での薬のようなもの。
あなたの世界では無かったのかもしれないけど、
この世界で新しい薬を売る場合、
長期間の治験というプロセスを経て
絶対の安全が確認されてからようやく承認されるの。
大人が自分の体で試すのは百歩譲って自己責任でも、
親御さんから預かっている子供に使うなんて
絶対に許される話じゃないわ。わかって?」
「……はい。そのとおりだと思います」
しゅんと背中を丸めてしまうエルフさん。
後ろから様子を見ているハルトも胸が痛くなる。
(園長先生の言うことは正しい。
もしも園長先生が止めなければ
間違いなく俺が止めていたさ。
ただ……魔法はある意味でエルフさんの
今となっては唯一のアイデンティティのようなもの。
それを否定されるというのは、
おそらく想像以上のショックのはずだ)
彼女はスマホやパソコンはもちろん、
IH調理器具などの使い方も直感的に理解できない。
子供と遊ばせるにしても、
「エルフねーちゃん! しりとり! りんご!」
「ご……ご……ゴーレム!」
「むしめがね!」
「ね……ねこ?」
「こま!」
「ま……ま……ま……マラカイガザンダラ!」
その言葉に首を傾げる子どもたち。
「マラカ……なんだそれ? 誰か知ってる?」
「知らね!」
「そんな言葉ないよー!」
「勝手に言葉作っちゃダメだぞ!」
子どもたちは無垢であるが故に残酷でもある。
彼らはエルフさんの境遇を慮ることはない。
そのマラカイなんとかというのも、
おそらくは異世界にのみ存在する概念か、
こちらで似たものがない動植物、
もしくは魔法の類なのだろうが
それを理解してのフォローを求めるのは流石に酷だ。
そして、こうして常識や言語を
否定されるというのは……
「…………」
おそらく、相当キツいはずだ。
「……ごめんなさい、ケイジ。
私、お役に立てず……」
「いやいや! 頑張ってくれてるのはわかります!
むしろ、辛い思いをさせちゃって俺の方こそ……」
重い空気が流れてしまう。
やはり、お気楽にご都合主義でスローライフができる
異世界転生モノはアニメや漫画だけの話。
現実はどうやったって、つらいことばかりだ。
「ぁ……うぁ……ああああああああああ!!」
「ちょっとごめんね!」
そして、そういう重い空気を
敏感に感じ取ってしまうのが子供である。
ぐずりが聞こえてすぐ、
反射的に立ち上がるケイジ。
だが、ここからが大変だ。
この保育園には0歳の子も多い。
赤ちゃんは泣くの仕事とはよく言ったもので、
こうして一人が泣き始めると……
――あああああああああああああ!!
――ひぐえええええ!!
――びぃぃぃいいえええあああ!!
呼応するように全員が一斉に泣き出してしまう。
赤ん坊の泣き声というのは
的確に人のメンタルを抉るように出来ているらしく、
それをこれだけの人数で大合唱されてしまうと
慣れているはずの保育士として胸が締め付けられる。
しかも、子育て経験がある人なら常識だが、
こうして泣き出す子供は必ず、
何か不満を感じていて泣いてしまっている。
おしめの交換なのか、
おっぱいを求めているのか、
それとも暑い寒いなど何か別の要求なのか。
その答えを泣き声から判断することは不可能。
とにかくすべてを確認し、
一刻も早い不満点の解決を……
「あっ、おしめの交換だったか。
ごめんなぁ、すぐに……」
「ケイジ、この子とそっちの子もおしめです。
いっしょに交換お願いします」
「あ、うん。わかった!」
未だ慣れない電子ジャーでお湯を温め、
首を傾げつつ温度計で温度を測って
ミルクを用意するエルフさん。
その手際はお世辞にも良いものとは言えないのだが……
(あれ? 今、この子……)
ひとまず全員を泣き止ませ、一段落した後で、
今覚えた違和感についてエルフさんに質問する。
「ねぇ、エルフさん。今なんだけど……
どうしておしめを確認する前に
おしめ交換だってわかったの?」
「え? いや、そう言ってたからですけど」
そんな、ありえない! いや、まさか……まさか!
驚きと期待で複雑な顔を見せるケイジに
エルフさんは首を傾げる。
「私、なんかやっちゃいましたか?」
「すっげぇ! 本物のなんかやっちゃいましたかだ!
はじめて聞いたぞ!」
興奮でおかしなことを口走るケイジ。
だがこれは間違いなく、
転生者「だからこそ」のチート特殊能力だ!
「エルフさん、赤ちゃんの泣き声で要求がわかるの?」
「はい。わかります」
当然のように即答されてから数秒。
「……あっ! なんでわかるんでしょうか!?
なんか当たり前に言われてたんで、
人間の赤ちゃんってそういうものだと
思っちゃいましたけど、そんなわけないですよね!?
これって……もしかして、
勝手に翻訳されてるんでしょうか!?」
こうして奇跡の一発逆転!
エルフさんは資格持ちのプロ保育士にもない
超スキルを所持していたことが確認され、
この保育園に不可欠な人材となったのだった。
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「凄いわね、エルフさんは」
「はい。ほんと驚きました」
赤ちゃん達をあやし終えた後、
お昼寝してくれない子どもたちを寝かしつけるべく
横になって子守唄を歌っていたエルフさんだが、
気づけば自分が真っ先に寝てしまうという大失態。
しかし、あえて起こす必要はない。
そもそも最初は困っている子を追加で一人
預かる感覚で連れてきたエルフさんだ。
いっしょに寝てくれるなら、
それでそれで何も問題ないのだ。
「エルフさんは異世界人です。
本来なら、俺達とは言葉が通じるはずもない。
それがこうして当たり前の話せているのは、
転生者お馴染みの翻訳スキルのおかげ。
今回もそれが発揮されたんだと思いますけど……
これって凄いことですよね!」
「……そうかしら」
子どもたちを起こさないような小声ながらも
興奮を隠せないケイジに対して、
園長の反応はどうにも渋い。
「凄いことですよ!
だって、翻訳できるってことはつまり、
赤ちゃんの泣き声にもちゃんと何かしらの
言語としての規則性があるってことですよ!
この謎が解ければ、世界的な大発見に……」
「ならないわね」
ケイジの説をばっさりと否定。
何故ですかと詰め寄られるよりも早く園長が続ける。
「赤ちゃんの泣き声から要求がわかる。
そういう説はずっと言われてきたし、
学者による研究論文も出ている。
けど、長年保育士をやってきた私は、
泣き声から要求がわかったことが一度もないの。
あなたは一度でもあった?」
冷静に問われてケイジは眉を下げつつ首を振る。
そして2人共、「自分はわかる」という保育士には
未だ嘗て出会ったことがなかった。
「育児は言うまでもなく大変よ。
特に夜泣きは、お母さんなら誰もが苦労している。
もしも泣き声から赤ちゃんの要求がわかるなら。
そんなことを一度でも考えなかったお母さんが
居ないわけがないの。そんな万人の
あったらいいなというバイアスが、人の判断を歪める。
ある種のパレードリア効果ね」
壁のシミや木のうろ、コンセントが
人の顔に見えてしまうでお馴染みの錯覚、
パレードリア効果。
一流の学者であってもその影響から
完全に逃れることは難しい。
「エルフちゃんのあのスキルはすべてのお母さん夢。
夢だからこそ、私たちが見てはいけない。
ケイジ君。覚えておきなさい。
私たち保育士はね、誰も寝てはならぬのよ。
夢を見る暇があったら、
抱っこしておしめを確認しなさい」
エルフさんの翻訳スキルは、極めて都合の良い夢幻。
ただこの保育園でだけ起きた小さな奇跡。
それで十分。それ以上は求めたら罰が当たる。
そもそもエルフさんの翻訳は、
辞書やAIを使った翻訳とは根本的に違う神の御業だ。
おそらく赤ちゃんの泣き声も、
声や身振り手振りではなく、
心を直接テレパスのように読み取って翻訳している。
だから、日々当然のように会話が成立していても、
それはある意味で思考実験の中国語の部屋。
壁の向こうに中国語のメモを渡し、
中国語でメモが帰ってきたとしても、
中に居るのが中国語が喋れる人なのか、
中国語の辞書を渡されただけの中学生かはわからない。
そして、このエルフさんに関してで言えば。
彼女はやはり、日本語がわからないのだ。
「それはそれとして、給料増やしとくわね」
「やったぜエルフさん!」




