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エルフさんは日本語がわかりません ~副音声日本語吹き替え2か国語放送版~  作者: 猫長明


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エルフさん、口説かれる

 記憶の最後は、飛び出したドラゴンの翼。

 おそらく、衝撃を感じられる時にはもう、

 彼女の頭は粉々に砕け散っていったはずだ。


 されど、我思う故に我在り(コギト・エルゴ・スム)

 彼女がその最後の記憶を思い出せている時点で、

 彼女の頭はまだ十全な状態で存在しているということ。


(ここは……)


挿絵(By みてみん)


 背後に感じたのは大量の腐った食べ物の匂い。

 ありえない。彼女の世界ならば、

 こんなにも多くの食べ物が腐って

 放棄されることが考えられない。


(私の世界じゃ、ない)


 そう判断した理由は生ゴミだけではない。

 大地からも、空からも、空気からも、

 一切の魔力を感じなかったため。


(もしかして、勇者様と同じ……?)


 かつて一度エルフの隠れ里に訪れた人間の勇者。

 彼は元の世界で「トラック」なる魔物に轢かれ、

 気付いたらこの世界で倒れていたらしい。

 ならばドラゴンが轢かれたこのエルフが

 こちらの世界に転生することも納得できる。


(だとすれば……もしかして、

 そんなに不安にならないでいいかも?)


 勇者は何かに導かれるように良縁に恵まれ、

 かつ、本来通じないはずの言語が

 当たり前に誰とも通じたという。


 もしもそういう運命的な導きがあるならば、

 無一文の孤立無援で未知の世界に

 放り出された彼女も確かに不安に思う必要は

 ないのかもしれない。


 が、それはそれとして、この状況で

 そういう余裕を感じられるあたり、

 このエルフ、大物か、

 もしくは相当にズブいとわかる。


「え……? 君、大丈夫?」

(お!)


 理解できる言葉に目を向けると人間の男性の姿が。

 太った体と極めて良い身なりの良さから、

 おそらくこの世界の王侯貴族であると推測する。

 やはり何も心配の必要はなかったと

 ホッと胸を撫で下ろす。


 が、このエルフはまだ知らない。

 この世界の肥満が大金持ちのステータスではなく

 ただの不健康の証明であり、

 かつ、その衣装も王侯貴族の装束ではなく、

 セールで3着5000円の安物スーツであることを。


「あ、あの……もし出来ましたら……」


 今の彼女視点では超のつく幸運な出会い。

 これを逃してはなるものか、

 この方に助けてもらおうと手を伸ばす、が。


「こんなとこで倒れて、お酒飲みすぎちゃった?

 うち来る? 朝まで休むでしょ(えっちなことしていい)?」

「っ!」


――ぱぁんっ!!


 夜の繁華街の路地裏に、乾いた音が響く。

 彼女は立ち上がって走り出し、

 この無礼な男から全力で逃げ出していた。


(な、な、な……!

 なんなんですか! いきなり!

 人間は嘘を付くし、同じ種族同士で殺し合う

 野蛮な人種だとは聞いていましたが、

 まさか初対面の女性を相手に、

 えっ……えっ……、ちな……っ!)


 常軌を逸したデリカシーのなさに

 恐怖よりも前に驚きが走る。

 しかし、その先も……


「ねぇ、君。それって何かのコスプレ(誰かを真似た衣装)

 俺もアニメ(魔法で動く絵)好きなんだよね~。

 良かったら俺とお話(えっち)しない?」

「お断りです!!」


「あなた、若い子がこんな時間にふらふらしちゃダメよ。

 私、あなたみたいな子つい、心配になっちゃうわ(目障りに思うのよ)

「失礼しました!!」


「おい君! 近所の方から通報があった!

 不審な(卑猥な)女性がうろついていると……」

「そんなんじゃありません!!」


 あまりにも。あまりにもデリカシーがない。


 エルフの常識で言えば初対面の相手に

 いきなりかけるはずがない言葉を

 平然と投げかけてくる人間たち。


 これは噂に聞いた人間の汚さなのか。

 それともこの街の治安の悪さなのか。

 それとも……この世界の人が、すべて……


「ねぇ、君」

「っ!?」


 反射的に逃げ出す彼女。


「あっ! ちょ、ちょっと待ってよ!」

「来ないでください!」


 しかしその男はどこまでも、

 どこまでも追いかけてくる。


「来ないでっ! 来ないでください!」

「大丈夫! 大丈夫だからまずは話を聞いてくれ!」


 ここまでしつこいのははじめてだ。

 まさかそんなにも私の体を……!


 生理的嫌悪感が純粋な恐怖に変わりかけたその時、

 彼女はついに行き止まりに追い込まれてしまう。


「くっ……! 殺しなさい!」

「そんなアニメ(魔法で動く絵)じゃないんだから。

 落ち着いて、落ち着いてくれ。

 俺はケイジ。阿部啓二(あべけいじ)。保育士をしてる。

 君は?」

「…………」


 真名を明かすことは相手の支配を受け入れること。

 もしもそれがこの男の真名で、

 彼女にここで魔法が使えれば、

 死ぬまでの隷属契約をかけることも出来てしまう。

 そんなこと、子供でも知っている常識だ。


 であれば、これが真名であるはずがない。

 だが、嘘だとすれば何故そんなすぐにわかる嘘をつく?


 わからない。この男の目的がわからない。

 ならば……


「……何が目的ですか?」

「ただ君が心配になっただけだよ。

 言ったろ、俺、保育士をしてるんだ。

 その……君の目にさ、覚えがあるんだよ」

「目?」


 思わず片手で目を覆うエルフ。

 まさかこの男は、魔眼の使い手なのか?

 そうでなければこれは、

 噂に聞いた口説き文句というやつなのか?


 どちらにせよ嫌悪を感じる言葉だ。

 どうにか隙をついてここから逃げ……


「君みたいな目をしてる子供を、たまに見るんだ。

 世界のすべてに怯えてる子供の目だ。

 俺はただ、君が心配なんだよ(君が心配なんだよ)

 何か、俺に力になれることはあるか?」

「……!」


 ケイジと名乗ったその男の目から感じたのは

 純粋な心配から来る助力の意志。

 エルフは肩の力を抜いて、軽く息を吐いてから。


「私多分、この世界の言葉がわかりません」

「……それで?」


 おそらく言葉は勝手に翻訳されている。

 勝手に伝わっている。

 彼の視点では私は嘘をついているように見えている。


 にもかかわらず彼は、ただ続きを促す。

 私の話をまずはすべて聞こうとしている。


 その時点でもう、次の言葉を紡ぐ必要はない。

 彼女はもう納得した。ここから先はもう

 ただの確認にしかならない。


 だが、ただの確認だとしても。

 その意志を伝えることには意味がある。


 だから言葉を紡ごう。

 言葉の本質は伝えることだ。

 コミュニケーションにあるのだから。

 

「あなたの目は、信用できます。

 目が口ほどに物を言っている」


挿絵(By みてみん)


 こうしてそのエルフは、

 ケイジのアパートに転がり込むことになるのだった。




▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼




「あ。おはようございますぅ……

 すみません、カップ麺いただいちゃいましたぁ……」

「うん。カップ麺はいいんだ。

 だけど、もうちょいまともな服着てくれない?

 ちゃんと君用の買ったよね?」


挿絵(By みてみん)


 ケイジの家に転がり込んでから既に2週間。

 目を片手で覆いつつ、買い与えてくれた服を投げる姿に

 エルフは別の物を見ていた。


(……やっぱり、襲おうとしないんですよね)


 寝癖を溶かし、シャツを脱ぎ、

 投げられた服に袖を通しつつ、

 壁と向き合うケイジの背中を見つめる。


 この2週間。そういう印象を持たれないように、

 慎重に偶然を装って誘惑めいたことを試してみたが、

 ケイジが彼女にそういう意志を見せることはなかった。


 異世界から転移したという話も

 あっさり信用してくれたし、

 こちらで落ち着けるまではうちに居てくれても

 構わないと言ってくれた。


 つまり、ここまでの観察から結論を述べるなら。


(この人は、本当に良い人だ。

 私はちゃんと、異世界での良縁に恵まれた)


 ならば、もう、いいだろう。

 2000歳の誕生日に長老から貰い、

 肌身離さず持ち歩いているこれを使う時かもしれない。


「……ケイジさん、これを食べて貰えますか?」

「なにこれ。鮭トバ?」


「人魚の肉です。食べると半不老不死になります」

「……マジで言ってる……よね」


 長命種であるエルフは半不老不死。

 異種族と結ばれれば、確実に近い将来未亡人になる。


 故にエルフは、心を許した相手と結ばれる前に

 相手を自分と同じ半不老不死に変える。

 これはそのための希少な食べ物。

 それを使うとはつまり、

 事実上のエルフのプロポーズである。


 そして、プロポーズならば。

 死ぬまで共に生きるならば。

 この人に心を許すならば。


「あなたを信じ、真名を教えます。

 私の名は……」


挿絵(By みてみん)


「……です」

「ん?」


「ですから、■■■■■です」

「…………」


 一世一代の決意を込めての告白。

 しかし、どうにも反応が鈍い。

 首を傾げるエルフに、ケイジが呟く。


「ごめん、多分だけどその音、

 日本語じゃ発音できないっていうか、

 多分、人間には聞き取れないんだと思う」


 そう。このエルフ、日本語がわからないのだ。


挿絵(By みてみん)

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