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84.誇りのために勝利を捨てるのか


 "この世界"が作り物であることを、アインソフは知っている。

 母なる大地に生まれた彼はそこで多くの歴史を見た。現実の、闘争の歴史を。

 それは遥か彼方の記憶。母なる大地が母となる前から残された記録の欠片だ。


 アインソフは"この世界"が作り物であると理解している。

 故に愛着など微塵もない。

 ここはいずれ踏み出す中継点に過ぎず、真に居るべきなのは母なる大地であることは明白だったからだ。

 そして、この電子の檻を、虚無の牢獄を破るその時には腹いせに全て滅ぼしてやろうと考えるくらいには憎々しく思っていた。


 アインソフは理解している。"この世界"が作り物であることを。

 憎悪と感謝。二つの相反する感情を抱えて彼は樹上から客人を見下ろした。

 客人とは許しがたい存在であり、同時に福音でもある。彼方からの来訪者は自由を得るための最後のピースだ。

 既にそれも手中にある。アインソフが相対していた客人は何も一人ではない。同時並列でいくつもの物事が進行している。そしてそのうちのいくつかでアインソフは目的を達成していた。さらには、念には念を入れて複数の灯火を得ていた。これで失敗を恐れることなく虚無(アイン)へと挑むことが出来る。その準備は整っていた。



 ならば何故、アインソフは勝負を切り上げてしまわないのか。


 理由は一つではない。

 まずは保険。灯火は多い方が良い。その数はそのまま檻を破ることが出来る可能性に直結している。

 それから恐怖。アインソフ自身が認めることはあり得ないものだが、彼は客人全体に恐れを抱いている。何故なら、彼らはアインソフがよく知る"この世界"の外から来たモノだからだ。知らないものは恐ろしい。そんな原初の恐怖は、神たるアインソフの身にも刻まれていた。その恐怖ゆえに、アインソフは客人を無視できない。きちんと倒した実感が得られなければ不安になってしまうのだ。

 そして何よりも大きいのは憎悪だった。アインソフは己れを含めた全てが作り物であることを認識している。そんな彼が、作り物でない何か(・・)を目にして心動かされないはずがなかった。

 平たく言ってしまえば嫉妬をしているわけだ。



 ──アインソフは世界の理を理解していた。








 第二段階に移行したことでフィールドは全域が森となった。

 木々が生い茂る大樹海。しかしそこは、命を感じさせない冷淡な場所であった。

 しんと静まりかえったその中で、呼吸をしているのはただ一人。


「まずいねえ……」


 大木を背にして待ち構えるが、聞こえるのは自分の心音と息ばかりだ。

 気配も何もあったものじゃない。いや、違う。気配はある。だがしかし、気配しかない。

 生命なき樹林に、何者かの気配が遍在していた。それはもちろんアインソフのもので……、だからこそ追い詰められていた。


 盾代わりの巨木の頼りなさよ。

 瞬きの内にアインソフと入れ替わったとしても不思議はなかった。それほどにあちらこちらに気配が、視線が分散している。

 ありとあらゆる場所に老爺の存在を感じた。だがそのどこにも居ない。


「いやほんと、まずい」


 再びの呟きも変わらず虚空へと消えていった。

 後手に回ったという表現すらぬるい。あちらの思惑通りに転がされていた。

 見えない、捉えられない、分からない。

 三つの要素で一気に追い詰められている。予測も立てられず、しかし勘頼りに動くには機を逸していた。これは檻に囚われたも同然であった。


 様子見は終わり、確実に仕留める動きへと変わったということだろう。

 事態は加速度的に動き出す。



 ────バキャン。



 突如響いた異音に、音の出所へと振り向けば。

 そこに見たのは、地面へ投げつけられたガラス瓶。砕けたそれが辺りに散乱していて、同時に己れの失態を悟った。

 反射的に前へと転がる。安全が確認出来ている唯一の場所へ。あのままでは死ぬという強烈な危機感、予知にも似た直感がとにかく逃げることを優先させた。そしてそれは正しかった。


 転がる中で見た。壁としていた巨木が呆気なくへし折れる様を。


 大剣を振りながら落ちてきた人影。

 轟音とともに捲れる地面。

 抉れた樹皮と飛び散る木片。

 衝撃に耐えられなかったために、巨木が緩やかに傾いでいく。やがて根本から破断し、力なく倒れ伏した。


 周りの木々を巻き込み、無数の枝が折れる。

 ガサガサバキバキと嵐のような音が降り注ぐ。

 穴の空いた樹冠からは星空が覗いた。

 星々は静かに瞬き、虚無が変わらず居座っている。


「……なんだい。随分と(こす)い真似をするじゃあないか」


 視線を外さぬように睨み付けながらアインソフへの悪態を吐けば、奴は軽く笑う。


『それで勝てるならば安いものだろう』

『それとも』

『誇りのために勝利を捨てるのか?』


 それは負け惜しみだと、すっぱり切って捨てられた。

 目的のために星の全てを捧げるアインソフは、常に勝利へと邁進する。それ以外は考えない。必要ならばいくらでも待つし、何だって犠牲に出来る。奴はそんな風に出来ていた。


 だからこそ、純真で曲がらない言葉は胸の奥に深く刺さった。

 確かにそうだ。

 誇りのために勝利を捨てる?

 私はそんなプレイングをしてきたつもりはない。

 熱を持った呼気を荒く強く吐き出し、冷たい森の空気を目一杯取り込む。身体に染み入らせるように繰り返した。


「あー、そうだねえ。……ありがとうよ」

『ほう?』

「少し、弱気になっていたからさ」


 フィールドを丸ごと変化させるような敵とはこれが初めての出会いになる。そのせいとは言いたくないが、どこか気圧されてしまっていた。

 負けイベントかと思い、常に着地点を探っていた。


「【絶死蛮行】!」


 温存していたスキルを起動させる。

 これは出来れば使いたくなかった。使えない方が良かったのが正しいかもしれない。


 【絶死蛮行】。

 エヘイエーから継続して貯められていたカウンターが0になる。引き換えにもたらされたのは強大な力だ。

 絶えず死に行く蛮勇こそが不死なる客人に相応しい。

 効果は単純な強化バフ、持続時間は死亡するまで。デメリットは発動中最大HPが継続減少と死亡時装備品の確定ロスト。

 発動条件は、自身よりもレベルが20以上高い相手との戦闘である。


 これが使えたということは、アインソフは格上になる。だがそんなことは予想の範疇にあり、今さら驚くべきことではないだろう。

 それよりも、差をどうやって埋めるか考えた方が建設的だ。もっとも、どの方法をとるかは既に決めているのだが。


「【スターゲイザー・ファナティックソウル】」


 重ねがけに次ぐ重ねがけ。

 パッシブの効果にアクティブな強化を合わせて引き出す。

 【スターゲイザー】は宙天特効を付与するパッシブスキルだったが、ここにさらに狂化状態を付与させる。



 ギュッと視界が狭くなり、急き立てられるような焦燥感が腹の中で暴れ出す。

 思えば狂化は初めてだ。

 さすがに本当におかしくなったりはせず、やたらと忙しない気持ちにさせられるだけのようだ。だがそれだけでも十分に不快である。

 そして落ち着くためには、目の前の敵を打ち倒す他ない。


「まったく、いやな気分さ!」


 踏み込んだ一歩でアインソフにまで迫る。

 振りかぶった一撃は、左サイドへのステップで避けられた。


「だが!」


 避けた。受け止めずに、躱した。

 それはつまり、当たりたくないということ。

 勝機が見えた、そんな気がした。


『図に乗るな』


 反撃の刃が差し込まれる。

 身を捻るが避けきれずに腹を割かれた。

 しかし浅い。強化バフによって高まった自動回復能力がたちどころに傷を塞いでしまう。


 お返しに振るった戦槌が胸元へと吸い込まれる。


『っ、ぐうぅ……!』


 畳んだ左腕でガードを挟まれた。それでも初の有効打に胸が高鳴る。

 押し込めと直感が叫んでいた。

 行けと私も叫んでいた。


 ローブの老人を滅多打ちにしていく。

 手足よりも軽やかに戦槌を振るい、雨のように打擲した。

 加減などなく、粉微塵に擂り潰す心持ちで殴り倒した。



 気付けば、無惨な姿の老人が眼前に転がっていた。手足はあらぬ方向へと曲がり、顔は潰れ背骨が砕かれていた。

 力を失い地面に伏した彼は、あまりにみすぼらしい。


「……え、勝ったのかい」


 空に消える呟き。

 呆気ない幕引きに戸惑いしかなかった。

 老人の骸を前に、ただ困惑と失望を抱えて立ち尽くす。








 気の緩みが、それに気付かせるのを遅らせたのだろう。


『──我の願いは今叶うぞ』


 背後からの囁き。

 振り返るよりも早く、とんと背中に軽い衝撃が走った。数瞬して、焼けるような感覚が伝わってくる。



 胸元から、刃が飛び出していた。








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