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73.老婆の秘密


 釈然としないものを抱えて、執事を置いて部屋を抜ける。

 勝ったと言って良いものか。いいや、良くない。これでは決着がついたと口が裂けても言えやしない。

 納得とは真逆の位置に心があった。

 だがもう、どうしようもない。どうにもならない。

 再戦を願おうにも、相手が受けないのであればそれは無為に終わるだけだ。

 そして執事は、脱け殻のようになってしまった彼は、願うだけ無駄な存在へと変わり果ててしまっていた。


「……すっきりしないねえ」


 内心を吐き出すことでの気分転換を図るが、それは上手くいかなかった。

 むしろ現状の再確認となって、苛立ちを掻き立てる。


 祠へ繋がる最後の扉の前に立つ。

 ゆっくりとドアノブを下げ、重い扉を押し開けた。









「──やはりあなたが来ましたか。ゼンザイ殿」


 祠に寄り添うように佇む老女。

 アロイジアは何一つ驚いた様子なくそう言った。


「……おや、久しぶりじゃあないかな」

「ええ。お久しぶりですね。お元気でしたか?」


 警戒心が跳ね上がる。

 執事などより余程恐ろしい。何を考えているのかさっぱり分からないこの老婆は、危険などありはしないと言わんばかりに身一つで待ち構えていた。


「薄々勘づいていたのでは? 私がここに居ることくらい」

「ははは、そんなまさか」


 適当に質問を躱しながら、思考を巡らせる。


 ここで私がすべきことは一つだ。

 祠を壊すのではなく、〔帰還の懐中時計〕を祠に当てること。

 いっそ投げてみようか。そんな考えが一瞬脳裏を過るが、どうせ防がれて終わりだと取り止める。


 ギーメル家の当主であるアロイジアが出てきたのは予想外だが、彼女は非戦闘員のはず。恐れることはない。



 ……いや、そんな馬鹿な。


 今さっきの私は何と考えた?

 防がれると。投げたアイテムは祠まで届かずに止められると想像したはずだ。


「おや、ゼンザイ殿。どうかされましたか?」


 狙ったように差し挟まれた問いに、思わず疑問が口をついて出た。


「……あなたは、何者だ」


 アロイジアは笑う。声が震えていますよ、と。


「こんな場所に、このタイミングで。非戦闘員が来るはずがない。なら、あなたは勝算があるはずだ。勝てる見込みを抱えて、そこに立っている」


 違うかい?


 そう問えば、アロイジアはおもむろに手を差し出した。それから指を一本立てて言った。


「そうかもしれません」


 さらに指をもう一本立てた。


「しかしそうでない可能性もありましょう」

「まさか……」


 背筋に冷たいものが走るのを感じる。


「私がエヘイエーを裏切り、あなた方と手を組む可能性です」



 裏切り。



 アレフがそうであったから自然と排していた可能性。

 ベートは言っていた。ギーメルが主導してプレイヤーを取り込もうとしたと。


 だが、それは。


 まさか同じ陣営から二人も離反を許すのか。


「信じられないのも無理はありません。しかし考えてみてください」


 老女は歌うように告げる。

 どうして戦神の陣営がありながら、コロッセオの運営に食い込めたと思いますか、と。


 言われてみれば確かにその通りだ。

 内通どころの問題でないのに、NPCが騒がないために自然なものだと飲み込んでいた。


「まさか急に警備隊が動き出したのも」

「ええ、私ですよ。あちらにも一枚噛んでいますから」


 おかしいとは感じていたのだ。


 警備隊は治安維持を名目に活動する中立に近い組織だ。しかし、エヘイエー側を追われた私のようなプレイヤーに支援をする、どちらかと言えば戦神側の組織に思っていた。

 それが今回は静観からのエヘイエー側に着くという、今までと一貫性が崩れた行動に出ている。

 だが、指示あってのことだとすれば、分からなくもない。


 駒が豊富なアロイジアからしてみれば、盤面を見た後にゆっくりと手を指しただけのことに過ぎないのだから。



「待て。コロッセオ……?」


 ふと感じた強烈な悪寒。

 とんでもないことを見逃しているような気がする。


「どうされました?」


 からかうようにニコニコと笑う老女に、悪寒は強まるばかりだ。


 思考が巡る。渦を巻くように。


 コロッセオ。裏切り。関与。組織運営。


 思い浮かんだワードを改めて浚い直していく。


 内通。

 ……いつからだ?


 もしかして、設立から?


「あー。……失礼ながら、おいくつで?」

「あらダメですよ、女性に歳を尋ねては。ただそうですね。あなたが予想したよりも上になると思いますよ」


 気付いている。

 アロイジアは私が気付いたことに気付いている。

 彼女はまず間違いなく、見た目を上回る年齢だ。百を優に超えるのではないだろうか。


 そして私には、寿命で死なない人物に一人心当たりがあった。


「単刀直入に聞いても良いかな?」

「ええ、どうぞ」

「本名はライツィだったりするじゃないかい」


 口元はにんまりとした笑みのまま、老婆の目が大きく見開かれ私を眺める。

 じろじろと遠慮なく。舐めるように観察した後、元のように優しげな笑みを浮かべるとアロイジアは首肯する。


「と言っても、アロイジアだって私の名前ですよ。ただ、ミドルネームがあるのと、嫁に来る前のファミリーネームは別なだけで」

「他の人にはミドルネームなんて無かったと思うがねえ」

「いえいえ、ありますよ。知らないのなら、ゼンザイ殿が聞き出す努力を怠っただけでしょう」


 それはその通りかもしれない。

 耳に痛い。




「さて」


 アロイジアの纏っていた和やかな空気が消失し、プレッシャーを放ち始める。


「まだ聞きたいこともありましょう。ですが、問答の時間はここまで」

「あなたを除き、当家に侵入したお客人は全て排除されました。残るはあなたのみ」

「一度だけ、投降を呼びかけましょう」


 諦めなさい。

 そう口にしながら、老女は手の平を差し出してきた。手をとって軍門に下れ、と言っているかのようだ。


 投降勧告を大人しく受け入れるつもりが私に無いことを、彼女は恐らく理解している。

 それ故のポーズだ。

 ゲーム的な言い訳になる。つまり、全力で潰すための免罪符だ。


「……ポーズ。ポーズか」


 ある考えが閃いた。

 打開策ではない。知ったところで、気付いたところで今更なことだが、何かの足しにはなるかと口に出す。


「あなたのクエストは本心からだろう」


 びくりとアロイジアの肩が震えた。

 私は確信した。


 彼女は死ぬために動いている。


 ただそれだけのためにいくつもの組織に手を入れて、敵を増やし続けてきたのだ。自分を殺せるの戦士を育てようと。

 悲しい人生だ。

 死ぬために生きるなんて。


「……あなたには分からないことですよ」

「まあ、そんな時は来ないだろうからねえ」


 かつて無いほどにアロイジアの余裕が崩れる。

 穏やかな老婆の仮面が剥がれ、妄執に憑かれた怪物が姿を現す。


「女の秘密を暴くとは悪い人ですね、ゼンザイ殿」

「ハハハッ! よく言われるとも」


 推測だが彼女は、死を望んでいることを恥じている。

 様子を見るにそれは間違いない。

 裏切りも騙りも全て死へと繋げるための手段であり、そこを暴かれることは気にならずとも、目的そのものには触れてほしくないのだろう。

 あるいは何か、大切なものがあるのかもしれない。



「最後の一人は景気よくいきましょうか」

「いやあ、老人と戦うとは。私の敬老精神が悲鳴をあげてしまわないか心配だよ」

「その軽い態度はあまり好ましくありませんね。私は、時折見せていた素のあなたの方が好きですよ」

「それはどうも。しかし、仕事をしているのに切り捨てるのは趣味に合わないのでねえ」


 老婆の顔色が変わった。明らかな動揺。

 執事を指して言っているのが伝わったようだ。同時に、出任せで口にした捨て駒説が補強されたことに少々辟易する。

 何だか知らないが、尽くしてきたはずなのに哀れな男だ。




「……これ以上、余計な口はきかせません」

「なら黙らせることだねえ」










ご覧いただきありがとうございます。

評価、いいねをいただけると大変励みになりますので、よろしくお願いします。


そもそもの話として、ゲーム開始時に劣勢ながらも戦神陣営が残っていたのはアロイジアのせいなんですよね。わざと潰しきらずに生かしておいたのです。

プレイヤーが投入される状況になったのは、自然とバランスがとれて膠着状態になってしまったことを好ましく思わない何者かが居たからなのでした。


ギーメル家がコロッセオに食い込んでいるのは職員もそうですし、選手もそうです。ベート家がスポンサーをする時にはサポートもしました。同時に、アロイジアが見込み薄としたプレイヤーを押し付けたりもしましたが。


二重スパイどころではない状態が許されていたのは、実務的な面においてギーメルが街のトップであったことが理由に挙げられます。

エヘイエーも戦神も住人視点ではどちらも信仰の対象になりはすれど、統治をしてくれる存在ではありませんでした。実際に街を運営するのは住人自身であり、中でも複数の組織に顔が利くギーメルは大変な力を持つこととなります。対抗馬たるアレフは動こうとせず、ベートは当主が若く経験不足とくれば、必然アロイジアの独壇場です。

疑いを持たれようと好きに調整できる場が整えられました。





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