72.リベンジマッチをするべきなのはお前じゃない
エドワード・ディグソンは執事である。
生まれた時からそうあるように望まれて、その通りに生きてきた。執事として誰かに仕えることは確定した彼の使い道であり、それ以外は一切許されることがない。
そんな己の住人としてのカタチに不満を抱いたことはなかった。それこそが自然であり、そうなるのが当然だと考えていたからだ。あるいはそれも、造り上げられた思考であったのかもしれない。
ただ、エドワードの思考の全てが停止させられていたわけではなく、彼にも望みと呼べるもの
はあった。
「仕える主は素晴らしい方が良い」
それはエドワードが持つ唯一の望み。歪んでいることは自覚しながら、外れることなく己の在り方に沿わせた願い。
何をもって素晴らしいとするのか。そのあたりの具体性を欠いているのは、エドワードの軸が他者に仕えることであるからかもしれない。芯が彼自身の中に存在しないのだ。
アロイジア・ギーメルと出会った時、エドワードの背に電流が走った。
己の主は彼女であると直感した。
言葉を交わすまでもなく、エドワードは魅了された。
冷静さを残していたエドワードの思考の一部は自身が何かに誘導されていることに気が付き、当然のことだが警戒しようとした。だがそれは無駄に終わる。
他ならぬエドワードが誘導されていることを歓迎してしまっていたからだ。
「どの道、この宿業から逃れる術はない」
諦めとよく似た理解。
彼はそうしなければ生きていけないだろうことをよくよく理解していた。そして、その理由までを知ろうという気持ちは持たなかった。
そうして、エドワード・ディグソンはギーメル家の執事となる。
執事としての生活は充実したものであった。
そうあるように生み出されたエドワードは、業務を一度教われば完璧にこなすことが出来た。
淹れた茶の味を褒められれば嬉しかったし、気遣いに気付いてもらえばよく見ていると喜んだ。
エドワードはよく仕事に励んだ。
物品管理に書類整理、仕事の段取りを整えて使用人の教育を施すこととその手は様々なところに伸びる。まさに馬車馬のように働いた。
思えば、怖かったのであろう。
当時のエドワードは忠誠心からではなく、恐怖心のもとに仕事をこなしていた。喜びは確かにあったが、根底にはいつも不安が滞留していたのだ。
執事として生まれたエドワードは自己が他者によって成り立っている。自己有用性の証明が自分自身の手ではできないのだ。
そんなエドワードが変わったのは、アロイジアのおかげであった。
根気強いコミュニケーションだけではない。
アロイジアはアロイジアで他者を従えるようにデザインされた生き物だ。
女教皇をモチーフにされた彼女は、エドワード以上にその在り方というものに縛られている。雇うまでもなく住人を従属させることが出来る能力者は、その在り方に挑むように身近な住人を減らし、雇用関係をかませることで自身の能力が伝播する範囲を制限した。
アロイジアは自分の在り方に屈服しなかったのだ。エドワードにはそれがひどく眩しく見えた。
エドワードに同じような真似は出来ない。
彼女に比べれば弱くあるものの、在り方に縛られていることに変わりはない。だから彼は、彼女とは真逆の道に進むこととした。
自分の在り方に逆らわず、十全にいやそれ以上にそのカタチを引き出す。
彼は乗りこなす道を選んだのだ。
そうして数十年仕え続けたことによって、エドワードの忠誠心は設定上のものでなくなった。
長い時間をかけて刷り込まれたそれは本物か偽物かの次元を超越し、それ以外にないという段階まで進んだ。行き着くところまで行ってしまったということになる。
凝り固まったエドワードの心は、主への敵対を許さない。ましてや裏切り者など、生かしておけるはずがなかった。
ゼンザイはエドワードにとって、今一番許せぬ相手である。お客人として主の支援を受けながら、しかしエヘイエーに敵対してギーメル家に襲撃をかける野盗にも等しい男。道理を踏みにじる礼節を弁えない蛮人。
欠片も好きになれない彼の者を、この手で始末できるとは。エドワードはそう喜んだ。
喜んだのだが……。
一分一秒とその男がギーメルの屋敷に存在することが耐えられない。はずなのに、エドワードの足は動かなかった。
構えた拳が下がりそうになるのを必死に堪える。
胸の中では怒りの炎が燃え盛ると言うのに、頭は冷静に制止してきていた。
理性が、白旗を揚げていた。
「……くっ」
相対する男は憎らしいほど平然としていた。
まるでこの屋敷の主人のような風格で、悠々と戦槌を肩に担いでいる。
それを見て、エドワードは認めたくなかった。
「ぐぅ、…………」
その威風堂々たる姿に。
主人たるギーメルの若き日を重ねてしまったことを。
他を顧みぬ振る舞いに、わずかながら憧れを抱いてしまったことを。
執事としての設定に、不満を覚えられない己の不自然さを。
エドワードは否定したかった。
やがて、ゆるゆるとエドワードの拳が下がる。
ほんの数分で、数年数十年と老け込んてしまった男がそこに居た。
「……良いのかい?」
心配するような宿敵の声に、エドワードは力なく答える。良いはずがないでしょう、と。
良いはずがなかったが、もう彼に戦えるだけの気力はなかった。
エドワードは気が付いてしまったのだ。
彼が誇っていたのは主でなく、主に仕えている自分であったことと、本当は自身が主役でありたかったことに。
そしてそれは、この世界の住人であるエドワードには絶対に叶えられない願いであることに。
拍子抜けしたかのような侵入者に、エドワードは力無く微笑む。
「どうか、あの方には手を出さないでいただきたい……」
最後の忠義のつもりでそれを口にしたエドワードに、ゼンザイは興醒めしたようであった。
戦槌を下ろし、ガリガリと頭を掻いて彼は言った。
「いやはや、がっかりだよ」
返す言葉もなく、エドワードは押し黙る。
その様子を見ながら、ゼンザイの口は止まらない。
「期待していた」
「ようやくリベンジを果たせると思った」
「あの時の恐ろしさはどこへ行った」
溢れる不満に、エドワードは申し訳なさすら覚える。
だがしかし、あの業火は既に消えてしまった。
プライドの全てを飲み込み、思い上がりを焼き払ってしまえば、あとに残ったのは些かの寂寞のみ。
ほんの些細なきっかけで人は変わる。
一瞬あれば見違える。
それは良い方向にも悪い方向にもだ。
エドワードは項垂れる。
彼は変わってしまった。もうあの頃には戻れない。
住人であるが故の設定という名の拘束がエドワードを捕らえて離さず、それによってアイデンティティの一切が剥奪された。
ゼンザイは祠へと歩み去り、部屋には敗者が取り残される。
戦わずとも負けてしまった最も弱きものがそこに居た。
ご覧いただきありがとうございます。
評価、いいねをいただけると大変励みになりますので、よろしくお願いします。




