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71.リベンジマッチはコロッセオだけじゃない


 全身をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて作り直されるような感覚に吐き気すら覚えた。

 閃光に焼かれた視界はチカチカと明滅し、頭の芯が揺らぐ。動こうという気力すら湧かない。

 見覚えのある、祠へと続く廊下。

 その床に倒れていた。


 あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。ようやく感覚が戻り、薄暗い廊下にも目が慣れてきた。のそのそと身体を起こす。

 一瞬のようにも数十分が経過したようにも思えるとは、厄介なものだ。狂わされてしまった時間感覚に引っ張られ、無駄な焦りすら抱き始めている。

 確認しようにも、ご丁寧にメニュー画面の時計機能まで封印されていた。



 玄関ホールから転移させられてきたことは既に理解していた。

 エフェクトも感触も何もかもが違ったが、先ほどまで居た場所とはまるで違う現在地が無理やり飲み込ませてくる。



 空間的な繋がりは偽装であり、外からの探知で見えていたのは幻だったのだろう。最初に見えていた入り口はフェイク。

 暗闇の中で見つけた方こそが正しい入り口であり、転移魔法陣なのだった。


 立ち上がり、落としていた戦槌を拾い上げる。


 恐らくここはまだ安全地帯、この先に敵がいることだろう。


 味方の姿がないことは気にならなかった。

 分断は戦術として不思議な事ではないし、ここがソロ向けであることは聞いている。アレフの話にパーティとソロの区別があったのは、こういうトラップ込みでのことだったのだろう。

 それにコロッセオで戦う時は一人なのだ。場所が変わったくらいで尻込みなどしない。


 警戒をしながら少しずつ奥へと歩を進める。

 薄暗い廊下は曲がりくねり、遠くを見通すことなど叶わない。明かりは壁にかけられた蝋燭のみで、窓もない通路は閉塞感が尋常ではない。


 柔らかな絨毯を踏みしめて進む。玄関ホールのそれよりも毛が長くふかふかとしており、戦闘になれば足を取られるかもしれないと心配になるほどだ。


 静寂に満ちた廊下で動くのはただ一人。


 一向に敵の姿が見えないまま、二十を超える曲がり角を過ぎ去った。

 廊下は相も変わらず薄暗く、何か見落としでもあるのではないかと不安をかき立てる。

 壁掛けの蝋燭は未だ短くならず……。



 短くならず?



 最も近いところにあった蝋燭を一本、躊躇いなく折り取った。それは何の変哲もない普通の蝋燭だ。手触りにおかしさもなければ、重みに違和感もない。

 折った蝋燭を握ったまま曲がり角の先へと進む。

 私の中では半ば答えが出ていたが故に、確かめずにはいられなかった。



 一つ、二つ。曲がり角を通り抜けた先で、見たくないモノを見つけることとなる。



「……ああ、やられた」


 璧掛けの折れた蝋燭。


 念のため、持っていた方を合わせてみるとピッタリだ。隙間なくはまった。

 間違いなく私が折ったものである。


 それはつまり、この廊下がループしていることの証左であった。通りで、いくら進んでも同じような景色が繰り返されるわけだ。

 それは本当に同じだったのだから。





 振り向けばすぐ近くに扉があった。

 ……そう言えば、似たようなことを以前にもやられたように思う。

 扉には見覚えがあった。以前、祠へと案内された時に見ていたものだ。あの時は閉じていなかったが。


 近寄ると、出迎えるように独りでに扉が開いた。


「──お久しぶりですね」


 ああ、やはり予想通り。


 待ち構えていたのは、ギーメル家の執事。穏やかに微笑みながら、彼はそこに立っている。

 称号を没収された時以来の再会に、思わず胸が高鳴るのを感じた。

 誰が迎え撃とうと出てくるか。それはきっと彼に違いない、と私は期待していた。

 そしてその願いは今ここで叶えられた。




「いや、久しぶりだねえ。アロイジアは元気かい?」

「……我が主はお休みになられていますよ」


 一瞬の間を置いて、老紳士は続けて言った。


「なのでお静かにお願いします」


 主に害をなそうとする敵が、一体どの口でその名を呼ぶというのか。執事の腸は煮えくり返り、岩漿のごとき血潮が頭の天辺から足先までを駆け巡る。

 元よりその馴れ馴れしい口調は許しがたいものであった。執事が注意せずにいたのは、お客人(プレイヤー)であったこと以上に、主であるアロイジアが許容していたためである。その主に弓引くとあれば、もう遠慮など要らない。

 全力で叩き潰す。それだけである。



 片眼鏡の向こうから、刺すような視線が送られていた。口調こそ穏やかなものの、こめかみには青筋が浮いている。

 殺意。それが抱けることを彼は既に見せていた。

 あの時はほんの数秒だったその発露だが、今回は何の制限もない。


「今、お帰りいただくのであれば玄関までお送りしますよ」


 嘘だ。

 いや、まるっきりの嘘ではないか。玄関まで送られる私が生きているのか死んでいるのか、そのあたりは明言されていないのだから。


 称号を没収される時に、彼はとてもNPCと思えないほどの怒りを見せていた。プログラムされた感情の模倣ではなく、(まこと)に純粋な怒りを抱いていたのだ。

 あの様を見るに、執事からアロイジアへと向けられる忠誠心はそれ以上のものであることは想像に容易い。

 そんな彼が、屋敷の奥まで侵入してきた賊を捨て置けるはずがあるだろうか。いや、捨て置けるはずなどない。


 そもそもの話として、見逃す気などは毛ほどもなかっただろう。なぜなら執事は、私を殺したくて仕方がないのだから。

 命脈を断つその時を今か今かと待ち侘びているのに、みすみす逃がすようなことを出来るわけがない。

 何がそこまで気に食わなかったのか。他のプレイヤーよりも強い敵意を向けられていることは、少ない接触でも理解ができていた。


 そうしたことを並べ立ててやると、執事は心底鬱陶しそうな顔をする。

 そう言うところですよ、と彼は小さく呟いた。



 執事との距離をそれとなく目視で測る。

 十メートルもないか。部屋自体、コロッセオでの試合場よりも狭い。


 執事は懐中時計で時間を確認すると、言った。


「あとお二人ですね」

「……何がだい?」

「お帰りいただいていないのは、あなたともうお一方だけですよ」


 ……なるほど。あれは懐中時計に見えたが別の物だったのか。

 魔法があるのだから魔法のアイテムを持ち歩くNPCもいるだろう。警戒が少し緩んでいたことを自戒する。


「しかし教えてくれるのはありがたいよ」

「……どうです? お気持ちは変わりましたか」

「いいや。悪いけど、俄然……」



 押し通る。



 こちらが追い詰められつつあることは分かった。

 だからこそ気持ちが燃え立つと言うもの。

 それにもう一つ分かったこともある。


 執事は私との戦闘を嫌がっている。


 こんな悠長なやり取りをしている場合ではないのだ。どうせ問答無用なのだから、さっさと殺しにかかるべきである。

 しかし執事はそうしない。怒りを抱いている相手と会話を行い、あまつさえ情報すら与えている。

 戦闘を禁じられているのかとも考えたが、それは恐らく違う。指先や下半身に逡巡が見られた。

 動くか迷っているのだ。行動選択への戸惑いが表れている。


 ではなぜ、腹を立てている相手と決着をつけることに躊躇いを覚えるのか。


 答えは簡単だ。


 勝てるかどうかの自信が無いからだ。

 それはつまり、執事の予測の中では私と戦力が拮抗していると言うことを示す。

 具体的な形になったわけではない。だがそれでも、勝ちの目があるかもしれないことだけで気持ちは滾る。




 時計を懐に戻した執事は、緩やかに拳を構えた。


「……後悔しても、知りませんぞ」







ご覧いただきありがとうございます。

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