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50.急転直下


 冷たく白い廊下に一人立つ。


 先ほどまで居たダンスホールには暖かみがあった。白だけでなく様々な色合いの混じり合った許容の空間だ。

 それに比べて、廊下は拒絶の白とも言うべき様相を呈している。他を排斥する白は美しくあるが、そこに優しさは無い。

 死人の肌のような薄暗い白色は不吉さと恐れを抱えて、廊下全体を押し潰すように横たわっていた。

 ゲームジャンルが突然変わってしまったのではないか。そんなことすら思ってしまう。廃墟を探索するホラーが、この状況に一番近いだろう。


 唾を飲もうとすると、口の中がカラカラに乾いていた。

 耳鳴りがするほどに静まり返った廊下は、先へ進もうという気力を奪ってくる。

 振り返れば、斜め後ろに変わらず扉があった。

 戻るなら今だ。


 しかし、戻るという選択肢を採りたくはなかった。折角、想定していた通りに央城内の探索が出来そうなのだ。この機会を棒に振りたくはない。

 何か発見があるはずだと、期待している自分を無視することは不可能だ。


 視線を前へと戻す。


 ずうっと奥まで真っ直ぐに廊下が延びている。

 先を完全に見通すことは出来ないが、どうにも途中で枝分かれしているように見えた。

 少し違いはあるが、ギーメル家で遭遇した曲がりくねった廊下と雰囲気が似ているように感じる。それがより複雑になったという感じだ。

 ゲーム的に考えると、央城の方がより上位のステージであるからとかか。



 その時、遠くの方から足音のようなものが聞こえた。

 不揃いな、何かの軋んだり擦れたりする音。

 やけに大きく聞こえるが、それは周りがひりつくほどに静かなせいだろう。

 巡回の兵士か。

 見つかる前に隠れなければ。



 その場から逃げ出そうとした直前。

 ふと、何かが引っ掛かった。



 この引っ掛かりを無視してはいけない。

 今この時を逃しては、きっと捕まえることが出来ない。

 些細な違和感が攻略の糸口に繋がることは、十二分に理解している。


 どこに引っ掛かったのだろうか。

 思考を辿り直し、順繰りに精査していく。

 逃げ出すことなど後回しだ。

 それよりも先に、疑問を解消しておきたい。



 舞踏会。それからダンスホール。タイミングがずれているから、とりあえずは除外して良さそうだ。

 扉。意味ありげなレリーフは気になる。だが、スクリーンショットで記録してあるし、今気にする必要性は薄い。

 廊下。嫌な感じはするが、違和感とは異なる。



 目的地を通り過ぎたようなもどかしさを感じてしまう。分からないことだけが分かっている焦燥感が胸を焼く。



 私はダンスホールを出てから、何を目にしたのだ。



 廊下の奥へと目を凝らす。

 足音はまだ遠い。だが、少しずつ近づいているようだ。

 いや、違う。

 私が引っ掛かりを覚えたのは、これではない。


 私が他にしたことは……。





 私はその場で、ゆっくりと後ろを向いた。


 扉は変わらず、私の斜め後ろに佇んでいる。

 そう、斜め後ろに。


「…………これだ」


 位置がずれている。

 先ほど通り抜けた扉が、どうして真後ろに無いのか。

 私は廊下に出てから移動した覚えがない。それはつまり、私が勝手に動かされたか、扉が勝手に動いたかのどちらかということ。


 舞踏会の会場であるダンスホールを出たところから、直線に廊下が延びている構造は少し奇妙に感じていたのだ。

 現実では見られないような建物の造りは、ゲームだからこそと考えていたがヒントにするためだったのか。


 扉は真っ直ぐに延びた廊下に対して、軸のずれた位置にある。

 だからきっと、扉が動いたのだ。


 それはどうしてか。


 その場所に、別の何かが現れたからではないだろうか。

 ダンスホールへと繋がる扉とは別の何か。それがただの壁に成りすましている。

 じっと見ても違和感は無い。おかしなところは見られない綺麗な壁だ。

 だが、そこに何かがあることを私は既に確信していた。

 壁と床の継ぎ目に目を凝らすと、わずかにだが歪みがある。人が一人通り抜けられそうな幅で、奥へと凹んでいた。

 何かが見えないように隠されている。



 恐る恐る手を伸ばしてみる。

 見ても分からないのだ。触れてみる他ない。

 そっと近付けた指が、壁へと届く。


 コツ、と触れる感触に、一瞬、予想が的外れなものだったかと落胆した。


 だがそれもすぐさま打ち消される。


 ガラス板のような滑らかな手触りが、瞬く間にぷよぷよとした膜に近いものへと転じたのだ。


 そのまま指先は膜を突き抜けてしまう。抵抗は最初だけだった。

 第二関節のあたりまでが壁に飲み込まれる。

 壁の、いや壁に見えている部分の向こうには空間が広がっているようだ。



 逡巡の後。

 ええいままよ、と一息に通り抜ける。



 思わず瞑っていた目を開くと、私は書庫に立っていた。

 書斎の可能性もあるが、十中八九書庫だろう。

 通り抜けてきたはずの場所はただの壁となっていた。軽く叩いてみたが、間違いなく石製だ。


 さて、その書庫なのだが。

 それほど広くはないようだ。

 棚のせいで正確なところは分からないが、10m四方くらいか。学校の教室よりも手狭な感じである。

 その中を天井まである棚が全部で六つ、通路を挟んで三つずつ二列に並んでいる。天井までは3mほどなのだが、棚のせいで圧迫感がある。

 印象としてはとても窮屈だ。

 さらに空気は淀み、カビ臭い。

 到底、長居したいとは思えない場所だ。


 棚にはズラリと書籍が並べられている。

 隙間なく詰め込まれたそれは、どれも古めかしいごてごてした装丁がなされていた。

 加えて、管理する者が居ないのか。埃を被っている。


 何か重要な情報が眠っていそうな雰囲気がある。だが残念なことに、全てを調べているだけの余裕は無い。

 央城に一人取り残されるなんてことになればゾッとしない。

 忘れてはいけない。

 イベントの舞台ではあるが、ここは私にとって敵地なのだ。こうして単独行動をしているからには、のんびりと構えていてはいけない。


 手前右手の棚から物色を始めることとした。

 すうっと目を滑らせて、すぐに困ったことに気が付く。本の題名が分からないのだ。

 背表紙に文字の書かれた物と無記載の物の二種類が棚に収められているのだが、題名らしきものが書かれている方も字が潰れていたり掠れていたりして読み取ることができない。

 一つ目の棚を端から端まで見てみたが、全滅だ。


 他の棚を見てみるか?

 しかし、一つ目の棚を確認するだけで結構な時間を費やしてしまった。ここからもう一つ二つと調べていくのは、ちょっと悠長に過ぎる。


 思い切った決断が必要だ。


 さっと視線を走らせて、一番目立つ本に指をかける。

 この棚にある中で、赤い革が装丁に使われている唯一の本だ。


 その本を棚から引っ張り出した瞬間、本棚は崩れ去った。

 収められていた本諸共、べしゃりと埃の山へと変わってしまったのだ。

 朽ち果てていたにしても、あまりに瞬間的な変化である。呆然と立ち尽くしてしまう。

 残ったのは赤い本だけ。



 思考が再起動をした時、この書庫がどういうシステムなのかが理解出来た。

 棚一つにつき、一冊まで手にとれるのだろう。

 とらなかった本は全て塵と化すのだから、交換することも追加でとることも叶わない。

 まあ、運営でコントロールしやすい形にしているのだろうね。取得できる情報はなるべく制限がかけられる方が良いだろう。

 おそらく、悩んだところで入手できる情報に大きな差は生じないはず。


 手に入れた本は、まだ中身を検めない。落ち着ける場所で読むべきだ。

 それに、時間に余裕が無い。

 この書庫に入ってから、既に15分が経過している。舞踏会の方は第二部が折り返しに近い。長く続いたとしても第四部くらいで終わりを迎えるだろうから、帰りを考えるとさっさと本を回収するべきだ。


 崩れた棚と通路を挟んだ棚から、適当に一冊抜き出してみる。真ん中あたりにあったくすんだ緑色の本だ。

 予想通り、棚と他の本は砂のように崩れてしまう。

 まだインベントリにはしまわない。

 何がトリガーになるかが分からない。脇に抱えたまま、次の棚へと向かう。


 適当に目についた本を抜き出す。

 それをどんどん繰り返していく。

 黄土色。藍色。褐色に象牙色。

 それぞれの棚から本を手にとっていく。


 最後の棚から白い本を引き出し、これでこの書庫にあった棚は全てが塵となった。

 圧迫感のあった室内も、随分と広くなったものだ。埃が舞っていて呼吸が辛いが。



 書庫としての役目を終えたこの部屋には、私の他に形あるものはない。

 それは即ち、出口も無いということだ。


 密室。

 あるいは、檻。


 そんな言葉が頭の中で踊る。

 荒唐無稽な考えだ。あり得ない。

 ゲーム的にフェアでなくなってしまう。


 出口を探す。

 ……その前に、本をインベントリに収納してみた。これがトリガーとなって出口が姿を現す、なんてことを期待する気持ちが無かったとは言えない。結果はお察しだったが。


 出口を探す。

 天井、壁、床。

 現状だとこの三つが怪しい。

 そして、最も怪しいのは床だ。

 壁に細工するパターンは、既に入室時に活用してしまっている。

 天井は手が届かず、踏み台になりそうな(足場)は失われてしまった。

 『だからこそ』なんてことも考えられるが、ここは素直にいく。

 わざわざ棚や本を塵にして残したのも、それで隠したいものがあったのだろう。何かの仕掛けとか。




 バサバサと塵の山を掻き分けていく。

 埃が舞い、部屋中が濃霧のようになってしまう。これがゲームで良かった。現実だったらマスクをしていても耐えられない。



 三つ目の山を漁る手に何かが当たった。

 真ん中左側の棚があった場所だ。床に何かが取り付けられている。

 塵を払い除ければそれが見えた。ハンドルだ。

 寂れた鉄の輪が床に備え付けられている。大きさは直径30cmくらいか。それなりに大きい。


 掴んで引っ張ってみるが、うんともすんとも言わない。まあ、当然か。

 やはり、回すのが正しい使い方なのだろう。


 両手で握り、ハンドルに力をかける。

 固い。

 だが感触としては錆び付いている感じで、動く望みがないようには思えない。


 金属の擦れる音が響く。耳障りだ。

 錆びた金属特有の引っ掛かる感触が気持ち悪い。すんなり回させておくれ。

 そう思いながらゆっくりと力をかけ続ける。

 ギチギチと軋みながら、ハンドルが動いていくのが分かった。

 それだけを希望に粘る。

 これが正解だと信じて、ハンドルを回すことに集中する。




 ──やがて。


 ハンドルは徐々に回り行き、ガチャンと音を立てた。

 鍵が開いたような、鎖の切れたような音だ。

 その瞬間を迎えて、私の中には達成感が込み上げてきたのだが、それもすぐに萎んでしまった。


 何も起こらない。


 出口が開いたわけでも、何か意味ありげな物体が出現したわけでもなく、部屋の中は相も変わらず埃にまみれたまま。

 落胆に大きくため息を吐く。






 ガコンッ。






 床下から聞こえた音。

 内臓が持ち上がる浮遊感。

 上へ飛び去る書庫。闇に飲まれる視界。



「は?」



 落ちてる?








ご覧いただきありがとうございます。

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