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異世界派遣社員の渇望  作者: よぞら
花の章
13/41

花筏

「やってしまった。」


 降りしきる雨の中、ヨウは力なく佇んでいた。下着を見られた羞恥心で勢いのまま屋敷から出てきてしまった為、何一つ状況が改善されていない。相変わらずティスクの機能は正常に起動せず、現在位置すら不明のまま真っ暗なままだ。

 頭に血が上ったまま闇雲に数十分は歩いたため、ウメのセーフハウスに戻る事すら不可能だった。

 状況は改善されるどころか悪化している。

 全身ずぶ濡れで吐く息は白いが寒くもなく疲れもしない。空腹も感じず眠気もない。転んで汚れてしまった服と手のひらや膝の血も雨に流されてそこそこ綺麗になっている。

 このままヒメを探し回ってもよいが、人気のない廃墟の様な真っ暗な街並みは怖い。確認すれば夜明けまでかなりの時間があるが、ヨウは明るくなるまで待つことにした。

 あたりを見回すと丁度座れそうな場所があったので腰を下ろした。レイの付与の所為だろうか。明かり一つない暗闇だというのに白黒ではあるが暗視カメラのようにくっきりと見える。見えすぎるのも逆に恐怖をそそる。

 花弁が流れる水溜りを眺めて溜息を一つ。


「拝啓、ヒメ爺ちゃん。護衛対象のヨウはピンチです。」


 特に意味のない独り言をつぶやくが、とてつもなく虚しい。おとなしく時間が過ぎる事を待とうと、身体を丸めて目を閉じた。

 雨が降っていて良かったかもしれない。

 規則的に肌に当たる雨粒と包み込むような雨音に安心する。高周波と1/fゆらぎによるリラックス効果だ。

 1/fゆらぎは自然音の中に含まれる音のゆらぎのことであり、心臓の鼓動などの生体リズムと呼応し合うものであるため心地よいものとして受け止められる。

 調律師の体でなければ心地よい雨音と疲労で寝入っていたことだろう。睡眠のとれない体は時として時間を持て余し不便なものだ。



 どのくらいの時間が経った頃だろうか。ふいに雨が止んだ。

 人の気配がして弾かれたように顔を上げ、ヨウは驚いたように目を丸める。まだまだ暗い視界の先で知らない男がヨウを覗き込んでいる。背中まで伸ばした黒髪をサイドで一つに結い、眼鏡を掛けた琥珀色の瞳を持つ者。

 服の上からでもわかる程、鍛えられた体に悲鳴を上げそうなほど男らしく整った顔をしており頭には一匹のヤモリが乗っている。

 顔を上げたヨウと視線が混ざると青空色の傘を差し伸べて、彼は微笑んだ。

 これだけの至近距離にいて声を掛けられるまで全く気づかなかった。ヨウは寝ていたわけでも意識を飛ばしていたわけでもない。ずっと雨音に耳を傾けていたのだ。足音や服の擦れる物音すらしなかった。まるで、突然この場に現れたかのようだ。

 喩えるなら超常的存在の様に。

 目線の高さが合うように屈み、ヨウに傘をさす青年は雨に打たれて濡れはじめる。


「だーれだ。」

「……神?」


 崇拝する偶像に出会ったかのようなヨウの返答に青年は苦笑を浮かべた。


「語彙力が乏しいなぁ。」

「神々しすぎて後光がさしてるフィルターが自動展開されるしシャラララランって荘厳かつ爽やかなBGMが聴覚領域内で自動再生されるんですけど。真っ暗なのに輝いて見えるしキラキラ度が関わっちゃいけないレベルで突き刺さるヤバい。」

「あははっ。何言ってるか理解できないや。」


 ヨウのマシンガントークに声上げて笑った青年は再び視線を絡ませた。


「俺はユーレ。ユーレ・ユーティライネンだよ。」

「ゆーれー?」


 聞き分けどころか発音すら出来ないヨウに青年は面白そうに再び声を上げて笑った。


「依代専属護衛の補助調律師、通称ライネって言ったらわかるかな。」

「え?」


 新たな調律師の登場に目を丸めるヨウに名乗った彼は疑似鉄砲のように人差し指を額に向けた。


「バーン。」


 額を氷で貫かれたような感覚の後、体の数カ所に痛みが走りヨウの視界が真っ白になった。

 低温にも耐性があり痛覚も無効となっており、感じないはずなのに額と肌に残る冷たい痛覚。睡眠を必要としないはずのヨウの身体は強制的に眠りについた。


「歓迎するよ。最弱勇者のヨウちゃん。」


 ライネは意識を消失したヨウを背負うと傘を残して歩き出した。




。+・゜・❆.。.*・゜hunger゜・*.。.❆・゜・+。




 ポタポタと服の裾から床に水滴を落としながら暗い廊下を進み、ライネは寝ているヨウをシャワー室に連れ込んだ。

 氷雨を浴び続けた体は完全に冷え切り、指先は赤く染まっていた。

 冷たいタイルに降ろすと力任せにコックを捻る。冷水だったそれは温水に替わり、室内は熱気に満ちた。固定式のシャワーから勢いよく流れ落ちる湯の音がタイル張りの狭い浴室内に反響する。

 完全に夢の世界にいるヨウは力なくライネに寄りかかっていた。

 服にぐっしょり吸い込んだ雨水を洗い流し、熱い湯が服に含まれる。衣が肌に張りつく感触はとても気持ちが良いと呼べるものではないが、それでも全身があたたまって心地好かった。

 シャワー室に音もなく誰かが近付いてくる。その気配を読み取って煩い奴が来たとライネは眉を顰めた。


「覗くなよ?スケベ。」


 視線の先には淡い桃茶髪に翡翠色をした大きな目の猫のような顔立ちのネオが立っていた。


「ライネ様こそ。やっと帰ってきたかと思ったら女の子と御風呂ですか?破廉恥。」

「妬いてるの?」


 嘲る様なライネの言い草にネオは頬を膨らませると開き直るように羽織っていたカーディガンを脱ぎ捨てる。


「その通りですよ。ネオも一緒に入りたいですっ。」


 叫びながら服の釦を外し始めたネオに、怖いものでも見るように顔を背けるライネ。


「やめて。ネオの裸なんて見たくない。」

「大丈夫です。ネオはスタイルバッチリ。脱いだらスゴイんだニャ。」


 言いながらネオは膝に手を置いて色気を増長する姿勢になると水を吸って重みを増した厚手の上着が顔面に直撃する。ライネが上着を脱いでネオに投げつけたのだ。直撃と同時にネオの首の骨がグキっと鳴ってはいけないような音が鳴った。。


「そんなことよりタオル持ってきて。」


 ネオのこのなど丸で眼中になく、目の前の少女を見つめるライネ。不満そうに眉を歪めると“早くして”と急かされる。


「ネオとライネ様の愛の時間に邪魔者。」

「俺を怒らせたいの?」


 静かな低い声に身を震わせてネオは退室した。

 ライネはヨウの体が十分に温まったことを確認するとシャワーを止める。濡れた服を脱がせると白い肌は十分に温まり、血色がよくなっていた。


「ライネ様。寝ている女の子の服を脱がせるなんて最低ですよ?」

「それを覗き見るネオの方が厭らしいですよ。」


 中傷する言葉に恥じるどころか慌てもせずネオは持ってきたバスタオルを渡す。それを受け取ったライネはヨウを包んで軽い体を抱き上げてシャワー室を出る。

 階段を上って廊下を進むと小さな暖炉のある寝室に辿り着いた。ヨウをベッドに横たえると頭にタオルを乗せられた。

 振り返ると着替えと救急箱を持ったネオが立っている。


「不本意ですがその子にはネオの服を持ってきました。」

「勤勉なところだけは褒めてあげる。」


 ライネはネオの頭を撫でるとヨウの処置を丸投げして自身の身支度を整える。

 適当に拭いた髪からは雫が落ち、シャツもズボンも濡れたままだ。ぐっしょりと水を含んだ衣服は肌に張り付いて脱ぎにくい。なんとか上着を脱ぐと鍛えられた大胸筋と割れた腹筋が現れる。


「きゃあああ。ライネ様、ネオお着替えのお手伝いしまぁす。」

「遠慮する。」


 即答されてしょんぼりするも、ネオはめげずに新しいタオルを渡したり、濡れた衣服を受け取ったりと忙しくライネの周りを動き回った。

 そしてネオは適当ににヨウの体を拭いた後、凍傷になっている額と切り裂かれたような複数の傷に薬を塗り、ガーゼを当ててテープで留めた。傷を治療するとヨウに毛布を掛ける。


「ところで、何?その格好。」


 ヨウの処置を済ませた頃を見計らって着替えを終えたライネが眉を顰めてネオを見る。

 胸元に施された白いレース。腰に巻きつく黒いリボン。下着が見えそうなほど短いスカートの下にはガーターベルトが見え黒いレース仕立てのストッキングの先には黒いハイヒール。

 ネオの服装は黒と白のレースで飾られたメイド服だった。


「ネオはライネ様の付き人ですから、格好からと思いまして。」


 顔を赤く染めて言われても困惑するだけだ。いつから付き人になったのかという質問は飲みこんだ。


「じゃあ、命令。出てって。」


 深い溜息を吐きながらヨウの眠る大きめのベッドに横たわるライネにネオは慌てて駆け寄る。


「ネオもライネ様と寝たいです。」

「ネオですがムッチムチセクシーダイナマイトなお姉さんだったら考えてあげるよ。」


 世の中の女性が聞いたら軽蔑しそうな言葉をさらりと言ってライネは目を閉じた。絶句したネオが騒ぎ出し、ライネに締め出されたのは数分後の話。

◆ライネ…ユーレ・ユーティライネン。依代専属護衛の補助調律師。


ヨウの語彙力は時と場合により爆発する。

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