沼地にて
オーク達の分厚い鋳鉄製の兜は錆止めの脂に濡れぬめりとやぐらの炎を反射していた。
二百を超えるオークたちが闇の中に散開して出口のない包囲陣を作っていた。
アイルは言った。「奴らはロイヘンを破った大砲を持っています」
「ふむ……。火砲については簡単な対策がないこともない。まあ当面持つじゃろ」村長は答えた。
そのとき遠くから火矢が放たれた。赤く光る尾が高い放物線を描いて家の屋根へと突き刺さった。村長は杖を軽く掲げ、口中でくぐもった声で呪文を唱えると、水球を生み出し、それを打ち放って炎を消し飛ばした。
「この通りじゃ。火さえ消せれば木の城塞もなかなか防御が高かったりするんじゃな。じゃが裏口についてはいずれ見つかってしまうかもしれん。そうなる前に女をつれてここを脱出するんじゃ」
「長はどうなさるおつもりですか」
「わしは残る。当然じゃろうて」
「長が死んだ場合、誰が村のものを導くのですか」
「わしが死んだらゴードンが継ぐ。もう決まっとることじゃろ。時間がない。はよ準備せい」
アイルは自分の小屋に戻ると、短剣を腰に刺した。そして井戸で空の水筒を補充し、干し肉や乾パンとともに荷袋に放り込んだ。
広場に戻るとネネとララは既に準備を終えていた。二人は四つ年の離れた姉妹でヤゴーの娘だった。ネネは長い茶色い髪をお下げにして垂らした美しい女性だった。若い頃はアイルとともに剣術を習い、今は腰に幅広の剣を差していた。ララは金髪をツーテールにさげた女の子で、短弓を肩に下げていた。彼女は腕の利く狩人だった。そしてアイルの許嫁であった。
しばらくしてルイも広場にやってきた。肩から長剣を斜めに下げているほかは軽装だった。彼は鍛冶師であるため通り一辺は剣が振れた。
最後にアマンダがやって来た。腰まである長いローブに、ズボンと革のブーツに着替えていた。腰には拳銃嚢に入ったオークの短銃を下げていた。音が出るため、もし銃を使うとしても、それは最後の手段となるだろう。
五人は地下道に続く家へ向かった。アイルは振り返ってゲイルの姿を探した。塀の渡りの上から外を見張るゲイルの背中が見えた。
五人は蓋を開け地下の洞窟へ降りていった。
アイルは洞窟の出口を慎重にあけ、隙間から外を覗いた。外はちょろちょろと水の流れる音のほかは何も聞こえなかった。いつの間にか外は小雨が降り出していた。
五人は谷沿いに沼地へ向かった。
ほとんど水の枯れた谷底の渓流は、深く鋭いくさびのように小山と小山の間に穿たれ、両脇には生い茂った広葉樹が生い茂っていた。糸より細い三日月の光は彼らの足元をほとんど照らすことはなかった。
アマンダが石に躓き転んだ。
「暗くて何も見えない……」彼女は泣きそうな小声で言った。
アイルは手を差し伸べ助け起こした。アイルは身をかがめて再びアマンダを背負った。ふとアマンダは視線を感じ横を見た。ララが暗闇の中で彼女を凝視していた。その大きな瞳が僅かな月の光を反射して煌々と輝いていた。彼女はぷいと顔を逸らすと、早足で先へ進んだ。
五人は渓流を跨ぐ小さな桟橋の真下にたどり着いた。するとちょうどその時、左手の森の奥から何か物音がした。アイルたちは脇の森の張り出しの中に隠れた。そして枝の隙間から橋上を観察した。
一人のオークが後ろ向きに橋を渡っていった。彼は手招きしながら何かを先導していた。
続いてゴトゴトとなにかが転がる音がした。ついで黒光りする鉄塊が荷台に載せられて橋を渡ってきた。
それはロイヘンを破った新型の大砲だった。その重量に細い桟橋がたわみ、ギシギシと軋む音が響いた。やがて荷が渡り終えると、オーク達は去り、森はまたすぐに静かになった。
アイルは今から村へ戻り危機を知らせようか逡巡した。しかし考え直し、与えられた任務をそのまま遂行することに決めた。
五人はそのまま乾いた渓流を下っていった。
やがて渓流は沼と合流した。葦に覆われた沼地は夜霧に覆われ暗く何も見ることはできなかった。
村長いわく、船は既に岸に上げて葦の中に隠してあるらしい。アイルたちは右手の釣り小屋の方面へ向かった。やがて葦の草むらにへこみを見つけ、船を探し当てた。五人は船に乗り、アイルが舳先に立ちルイがオールをつかんだ。
船はゆっくりと葦を掻き分け進水した。静寂の湖面に小さな小舟が波紋を引いた。
その時、沼と川のつながる入口の方、沖の闇の中に光が見えた。
アイルは身振りで皆に伏せるよう合図した。
アイルは目を凝らした。沖の水上に灯籠のぼんやりとした黄色い光が浮かんでいた。
風が吹き岸際の葦を揺らした。湖面が波立ち舟が揺れた。
光はゆっくりと近づいてきた。アイルは明かりに照らされた船上の巨体を視認した。
緑の鬣が光を反射してつややかに光った。
緑青だ。船の舳先をこちらに向けてまっすぐ近づいてきていた。おそらく葦に作られた不自然な凹みに目ざとく当たりをつけているのだろう。
アイルは手振りで合図して取舵を取った。そして沼地にぼこぼことできた葦の小島に回り込んだ。そうして葦の影に入り込みやつの視線から逃れようとした。
だが小舟は静かな湖面にわずかなさざなみを立てた。そのさざなみが灯籠の光を一筋二筋と反射した。
緑青はさらに近づき距離を詰めた。
アイルは腰に手を回し音もなく短剣を抜き放った。やつの巨躯に勝て得る見込みは殆どなかった。だが四人を逃がすまでの時間は稼がなくてはならない。
緑青は目と鼻の先まで近づいてきた。アイルはかかとを浮かせ臨戦態勢に入った。
その時、突如遠くで響く何かの炸裂音が夜の湖面の空気を裂いた。砲火の重低音が闇夜の森に残響した。
おそらくさっきの黒鉄の大砲が村に向かって放たれたのだ。
緑青は音の響く空に首を向けた。そうしてしばらく上を向いたまま佇んでいた。やがて船の向きを変え葦際に船を乗り上げた。
巨体が草むらを踏み歩く鈍い音がしばらく響いた。やがて音は森の奥へ消えた。
アイルたちはしばらく息をひそめてから、暗闇の中へ船を出した。




