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「やり逃げって……ぶふっ……アイツが……ひぃ……」
「……で、先生。何の用ですか」
突然呼び出しに、何をやってしまったのだろうと不安でドキドキしながら教官室に来たというのに。
担任の松田先生は陽依の顔を見た途端吹き出した。
そしてこれである。
どこからか昼休みのときのことを聞いたらしい。
「先生!」
「あーすまんすまん。ぶふっ」
あれから。
陽依は放課後までずっと好奇の視線に晒されることとなった。
いい話のタネになったようで、金魚のふんに騙された可哀想な女だとか宇都木先輩に近づくために金魚のふんを誘惑しただとか、そんな話もこそこそと囁かれた。
気にしないようにしていたが、やっと放課後になったときには思わずほっとしてしまった。
やっと帰れる、そう思ったのに、次はこれだ。
「いやー春日井がそんな奴だとは、な」
「そんな奴ってどんな奴ですか」
「騙された可哀想な女? いや誘惑する女だっけ?」
「違います!」
松田先生にまであの話は伝わっていたらしい。
この調子だと学校中に広まっているのかもしれない。
「しっかし、春日井がアイツと仲良いとはな」
「別に仲良くないですけど」
名前すら知らないし。
囁かれた話の中でも『金魚のふん』としか出てきていなかったし、本当に彼は何なのだろうと改めて思う。
「一緒に登校してたって聞いたけどなぁ。そうか、仲良くないのか」
「……どうしてそんなこと聞くんですか?」
一生徒に関わるにしては深入りしすぎている。
仲良いとか仲良くないとか教師が気にすることじゃない。
そう言うと、松田先生は困ったように笑った。
「あー……ここだけの話、アレ、俺の弟なんだわ」
「弟?」
「あぁ、義理なんだけど。まぁ見ても分かる通り宇都木に頼りっ放しでなー」
やっと他の奴に関心向けたのかとほっとしてたのに、と松田先生は残念そうに付け加えた。
「本当に金魚のふんなんですね、あの人」
「最近宇都木に彼女が出来たのに、まだ付きまわってるからな。そろそろ宇都木離れすりゃいいのに」
そういえば、昼休みにも宇都木先輩が誰かに一筋だとか何とか言っていた気がする。
彼女が出来たのに友達の世話をしなければいけないなんて、宇都木先輩も気の毒だと思った。
最近付き合い始めたのなら、少しでも長く一緒にいたいだろうに。
「大変ですね、宇都木先輩って」
「そうだな。気の毒で仕方ないよ」
ははっ、と松田先生は笑った後、何故か遠くを見つめるように目を細めた。
「もし、さ」
「はい?」
「アイツが春日井を頼ってきたら、ちょっと相手してやって」
「え?」
「ちょっとでいいから。アイツのことよろしく」
本当に彼のことを心配しているのだろう。
最初のノリで頼まれたら断ることもできたのに、そんな風に言われてしまっては陽依も頷くしかできない。
戸惑いを隠せないまま頷くと、松田先生はガシガシと陽依の頭を撫でた。
「春日井は優しいなぁ。アイツのこと、誘惑すんなよ」
「しません!」
全力で否定した陽依に、松田先生はいつもの笑顔を見せた。