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遅れるから、と火照った顔をどうにかする間もなく、陽依は彼と歩き出した。
隣を歩く彼は昨日よりも離れて歩いているが、昨日と同様に嬉しそうな表情を浮かべている。
自意識過剰なのかもしれない、歩いているだけなのに嬉しそうに見えるだなんて。
駅を越えると同じ制服の学生が一段と多くなる。
ちょうど電車が着いたところなのだろう。
そこまで大きくない駅だが、人が溢れ返っている。
彼は少し距離を詰めると、何事もなかったように陽依の手を握った。
「駅前、抜けるまでね?」
握った手を少し持ち上げて、彼は言う。
その言葉通り、駅前を過ぎて人が減ると手はすぐに離された。
「本当は学校まで繋いでおきたいところなんだけど」
「それはやめてください」
「だよね」
少しだけ寂しそうに笑って、彼は陽依から視線を外す。
手は離されたけれど、少し縮まった距離はそのままだった。
学校に近づくにつれて、感じる視線が増えてきたような気がする。
ちらりと隣に目を向けてみるが、彼はさきほどと変わらず平然と歩いている。
見られることに慣れているのだろうか。
陽依の耳に入っていないだけで、もしかしたら彼は有名な人なのかもしれない。
まぁこの容姿だと当たり前なのかもしれないけれど。
「ねぇ、ひよちゃん」
「はい?」
「今日も一緒に帰っていい?」
陽依の顔を覗き込むようにして彼は尋ねてきた。
少し目を逸らされているのは、断られることを恐れているからだろうか。
そんな彼をじっと見ていたら、目があってふっと笑われた。
「何? 俺に興味持ってくれた?」
「あの、今更すぎるかもしれないんですが」
「ん?」
「……私、あなたの名前も知らないんですけど」
小さく続けたそれに、彼は盛大に吹き出した。
ツボに入ったのかお腹を抱えて笑い出して、向けられる視線が一気に増える。
なんだか申し訳ない気持ちになって、陽依は顔を隠すように俯いた。
「あははっ、え、今まで誰かわからないのに一緒にいたの?」
「はぁ。同じ学校だし、そこまで怪しくないかなぁと」
「ひよちゃん、不用心すぎ」
涙まで浮かべる彼に、陽依はむっとなる。
そこまで笑わなくてもいいのに。
確かに不用心かもしれないけれど、先に強引に進めてきたのは彼の方だ。
自分は巻き込まれただけで……そこまで笑われるほどではないと思う。
「じゃあさ、当ててみて」
「え?」
「まぁそこそこ有名だから。たぶん聞いたことあると思うよ、俺の名前」
記憶を巡らしてみるが、噂で聞いたことがある名前は一つだけだ。
しかし、聞いた噂をどう並べてみても彼には当てはまりそうにない。
それなのに、彼はきっと当ててくれると思っているのだろう。
不安そうな色も隠せていないけれど、期待した視線を向けてくる。
「えっと……宇都木先輩、しか聞いたことないんですけど」
「……うん、それ、俺の連れの名前だ」
その後、陽依の教室の前で別れるまで、どんよりとした気まずい空気がなくなることはなかった。
間違えてほしくないなら、最初からちゃんと名乗ればいいのに。
教室の前で彼の背中を見送りつつ、陽依はため息を零した。