補足の話・僕とペタンと、モビーの話
大盲獣との激しい死闘と、僅かな心を通わせる通念魔術の時間の後、僕がまずしたことは眠ることだった。
お腹もすごく空いていて、眩暈がするくらいだけど、僕は数日の徹夜分を取り戻すように眠る必要があったから。
あの子は、また、と言った。
なら僕は一度眠って、すっきりした頭であの子と念を交わさなきゃいけない。
数日かけて、ようやく掴んだ会話の糸口を僕は話したくない。
だから、口を動かすより早い思考をペタンに送り、僕の代わりに他の皆に話してもらうことにした。
『ペタン、僕は眠るから。寝ている間に皆に身だしなみを整えてもらえるようにお願いして』
『うん。解った。ユート大丈夫?』
『大丈夫にするために僕はもう眠るよ。ペタンも休んで、あの子との「また」に備えてね』
『りょーかい。おやすみユート。ねぇねぇ、皆ー』
僕はペタンが皆に念を飛ばすのを最後まで捉えられなかった。
一息つけるという安堵感に、膝をつき倒れこむように砂地に頬をつけると、そのまま眠ってしまったから。
そんな状態でも、起きたら新しい服に着替えさせてもらってあって、身体も綺麗に洗ってもらったようで気持ちよく起きられたから、本当に仲間の皆がいるはありがたいな、と思った。
そして、あの子にはそんな仲間はいなくって、ずっと独りぼっち。
思い起こせば、再会の「また」を約束する念には、どうにも去りがたい気持ちをなんとか抑えた感じがあったような気がする。
と、そこまで考えた所で僕の頭をおいてある枕の正体に気づいた。
自分の髪越しにもわかるすべらかで気持ちよい頭の置き心地のふんわりとした獣毛そ備えたソレは、ペタンの尻尾だ。
適度な大きさに調節されたその尻尾に埋もれて柔毛で擽られる頬がくすぐったい。
思わず体を横に向けてふんわりとしたふさふさの尻尾に頬ずりをすると、ぴくりとペタンの金色の体が動く。
『ん。ユート起きた?』
『おはよう、かな。ペタンが枕をしてくれたんだね。ありがとう。ペタンは良く眠れた?』
『ちゃんと寝たよー。本当はユートに抱っこしてもらって寝たかった』
『うん。大盲獣と話した後も体調がおかしくなかったら、抱っこしてあげる』
『わぁい!だっこ!だっこ!』
喜び、ぱさぱさと尻尾を動かし、僕の頭全体をくすぐるペタンから、名残惜しくも体を起こした僕は、その後他の皆が作ってくれた軽い食事を摂って、不毛の大地に出向いた。
出来る限りの魔力を使っての呼びかけ、大盲獣においで、おいでと呼びかけるために。
先日の大攻勢で周囲の小さな盲獣は皆輪廻して、新たに湧き出た子はいなかったのか。
土地の元気が無くなって、砂漠になった場所で旺盛に振りまかれる魔力に呼ばれてやってきたのは、あの寂しい大盲獣だけだった。
そして現れた彼は二つの意思を振りまいていた。
空腹と忍耐。
ひたすらに襲い来る空腹を感じて、僕に飛び掛りそうになるのを必死に律している。
僕は、こんな盲獣と向き合うのは初めてだった。
普通の盲獣は本能の導くままに木や草や動物、そして人を襲う。
それを、大盲獣は理性と知性で押さえ込んでいる。
『来たなモノよ。己の言葉を守りに来たか』
『うん。僕は君に空腹を少しでも癒す魔力をあげにきたんだ』
『ユートは、嘘つかないよ。ユートはいつも優しいんだもん』
『……では早速、魔力をいただこうか、モノよ』
『解ったよ。僕にどこまで君の飢えを満たす力があるかは解らないけど。魔力を、贈るよ』
今にも跳びかかってきそうな大盲獣と僕の間に、山のようになったペタンが体を横たえる。
もしもの時に備えてくれてるんだね。
だから僕は、全力で大盲獣に魔力を注ぎ込むことが出来た。
『っ!おお……おおぉぉ……!』
大盲獣から上がる感嘆の念。
いつしかそれは熱を帯びて、蕩けるような温もりに包まれた喜びを伝えてくる。
巨大すぎるいたちのような体をドン、ドン、ドン、とのたくらせて大地を揺らしながら。
一方では口から勢いが良すぎてズゴォーとか、フゴーとか聞こえる吐息を漏らす音が聞こえた。
僕は、感覚的にこれ以上すれば意識を失う、と言う所で魔力をとめる。
その行為には当然、大盲獣から不満の声が出た。
『モノよ。何故止める。私に満足を与えてくれるのではなかったのか。私を満たしてくれるのではなかったのか。私は、私は!』
危ない、と思った。
空腹のときに半端に食べると、余計お腹が空いた気がする。
きっとこの子はそんな感じなんだと思う。
だからだろう、つい箍が緩んで僕に襲い掛かろうとするのを……ペタンが止めてくれた。
『ダメだよ!これ以上はユートが危ないから!いいかい、お腹が満ちる感覚をもっと味わいたいなら、今は帰って!大丈夫、ユートは優しいから、ちゃんと魔力が回復すればまた来るから。大丈夫、大丈夫』
『でも、だがな、我は……いや、引こう。ようやく、ようやく私に暖かいものを感じさせるモノが現れたのだ。我は……もう奪いつくすのは嫌だ』
ばちゃっと音が鳴った。
何かと思えば、遥か頭上にある大盲獣の巨大な貌の毛並みから、彼にとれば一滴にしかならない輝く液体が大地に落ちたんだ。
そしてそれを流しながら流れてきた念には、深い哀しみが乗っていた。
僕はそのことに心底安堵した。
もし大盲獣が知恵無き獣だったなら、僕とペタンはなす術も無く食い殺されて終わっていただろうから。
彼が自分の性を悲しいと感じる知恵があるから、僕とペタンは何とかなっている。
そんな危うい均衡が、あまりペタンに魔力を廻せない日々が二年は続いた。
『ふむ、モノよ。私はこのごろ思うのだ』
『なんだい?魔力をもっと欲しいとか?』
『ユート、そうじゃないと思うなー』
『うむ。そちらの獣の言うとおり。お前達は、ユートとペタンとお互いを呼んでいるな』
『うん。それがどうかした?』
僕の問いに、大盲獣は僅かに沈黙した後、かすかに恥らうような念を出してきた。
白い毛並みの下の顔色はわからないけれど、人間ならきっと真っ赤だろうという念だよ。
『我も、モノをそのように区別する呼び名が欲しい。私に名前をくれ、ユートよ。そして……私をペタンに呼びかけるが如く、その名で呼んで欲しい』
僕は少し面食らったけれど、大盲獣の念に邪念はない。
純粋に名前が、僕とペタンとのつながりが欲しいと思っていっている。
だから、僕は少しの時間……数日を待ってもらって、必死に考えた名前、モビーを贈った。
その日から、モビーはゆっくりと、しずかにペタンに甘えるようになっていった。
自然に周囲の精気を奪い取る性質を気にしてか、本当にゆっくりとだけど。
ペタンの金に輝くしなやかで強い毛並みと、自分の水のように流れるつややかな毛並みを擦り合わせ。
時にはお互いの毛繕いをするために、唾液が散ればちょっとした水塊というちょっと危ない触れあいも始めた。
大きさの問題で僕は混ざれないけど、寄り添うペタンとモビーは徐々にその絆を深めていったと思う。
そして、顔を合わせているときはペタンとモビーが寄り添うのが自然になった頃に、その日はやってきたのだった。
モビーの輪廻する日が。
僕とペタンは、モビーが輪廻した日の夜。
無事にモビーが輪廻した喜びと、友達を失った悲しみに寄り添って眠った。
そして、眠る前にゆっくりと話し合った。
『ねぇユート。モーちゃんは幸せだったかな』
『うん。モビーはきっと最期には幸せだったと思う』
『輪廻した先で、幸せになるかなぁ』
『なるよ。ペタンが願ってるんだもん。きっとモビーは大丈夫。優しくて、傍に居てくれて、モビーの事を愛してくれる主人の所で孵るよ』
『そっか。そうだといいなぁ。ユート、ユート。僕もね、ユートの所で孵って幸せだよ』
『そう?そういってもらえると、すっごく嬉しいなぁ』
『うん。ユート、ユート大好き』
小さくなって、僕の服の中に潜り込んで肌を毛並みでくすぐって、さらに甘えるように何度も体をこすり付けてくるペタンはきっと寂しかったんだと思う。
今までも何匹も盲獣を輪廻させてきたけれど、仲良くなる、なんていうのはモビーがはじめてだから。
僕も、同じ気持ちだから良く解る。
こうして、大盲獣モビーが輪廻したその日は、僕はペタンを服の中に抱いて眠りに就いたのだった。
蛇足になるかもしれないと思ったが書きたい気持ちを抑えられなかった。
今は本編連載中にかければよかったのに思っている。




