13 告白
「着きましたよ、お客さん」
運転手の声に促され、美咲と僕はタクシーを下りた。
「徒歩三分って言ってたけど、もう遅いし心配だから君の家の前まで送ってもいいかな。少し歩きたい。もし、嫌じゃなければ」
家の前まで送るだけならタクシーでそこまで行けばいい。でも僕はそれでは嫌だった。
二人きりになりたかったのだ。
僕の言葉に美咲はぶんぶんと頭を振る。
「嫌、なんかじゃ、全然、ありません」
なぜだか泣きそうな顔をした美咲の手を取ってゆっくりと歩き出す。
そういえば、手をつないだのは初めてだったな。
そう思うと手に神経が集まってしまって、肝心の言葉がするりするりと抜けおちてしまう。こんな時間に、こんな場所で歩きながらするような話だろうか。
違う。
もっときちんと話さなくては。
今日は、家まで送るだけでいい。
僕は必死に自分に言い訳をしていた。
自分が「ドラマでしかお目にかかったことのない間抜け」だったことを、知られたくない。
その思いが僕の決意を揺らがせる。
今日でなくて、いい。
また、今度でいい。
手をつなぐって、こんな感覚だっただろうか。高校時代に付き合った彼女とも大学時代に付き合った彼女とも、玲子とも手はつないだ。だが、こんなにその動作を意識したのは初めてだ。手の中にある手を熱いと思ったのも。
「いま、何考えてますか?」
「んー。美咲の手が小さくてあったかいこと、かなぁ」
美咲の顔がボッと赤くなる。
「すみません。体温高くて。暑いですよね、この季節に」
「いや、そんなことないよ。あったかい。あと、柔らかい」
手をぎゅっと握りながら言う。美咲は真っ赤なまま俯く。ふわりとした髪の毛から少し覗いた耳の先まで真っ赤だ。
「あ、ごめん。今のは少し……」
「そんなことないです。あの……ちょっと、恥ずかしいですけど」
「だよね。ごめん。僕も自分でびっくりしてる」
――自分は結構スマートな男でいられるタイプだと思ってたのになぁ。
真吾と貴俊はタイプこそ真逆だが、よく二人セットで「恋愛マニュアルの具現化コンビ」と言われていた。真吾はフェミニストで女の子をひたすら気分よくすることに長け、貴俊は冷静なジェントルマンで女の人をさりげなくエスコートすることに長けている、というのだ。
別にそれを言葉通りに受け取って調子に乗っていたつもりはないが、伊織と過ごした時間が長かったし年の離れた妹もいるせいで、女性に気を遣うことには慣れていたのだ。
だから、女の人と付き合うのにいちいち悩んだことがあまりなかったのだ。
手をつないでドキドキしたこともなかった。
だが、美咲を前にするとこのザマだ。目、耳、鼻、手。美咲を感じるすべての器官がいつもよりずっと忙しく働いている。
スマートなんて、とんだ思い上がりだな。
自分に苦笑いするが、それが不思議と嫌じゃない。
不器用で初心な自分を見つけ、なぜだかとてもうれしかった。
「ここです。私の家」
美咲が足を止めた。
「あ、この建物?」
小さなクリーム色のマンション。別に美咲だけが住んでいるわけではないのに、僕はその外観をみて一番最初に「美咲っぽい」という感想を抱いた。
穏やかで明るい色合い。夜の闇のなかでぽっかりと浮かびあがっている。
「ここの4階なんです。あの、右から2番目の部屋ですよ」
美咲が並んだ窓の一つを指さしながら言う。
「あそこか。あの、白いカーテンが懸かってる」
窓を外から眺めるだけでも、部屋と言うのは色々な顔を見せるものだな。
窓に妙なシールのようなものが貼られている部屋もあれば、カーテンのついていない部屋もあり、開いている窓、閉まっている窓、電気がついている部屋、ついていない部屋。
きっと美咲の部屋の中は可愛いんだろうな。意味不明なキャラクターのぬいぐるみが置いてありそうだ。
想像を掻き立てられながら、窓を見上げたまま目を細めた。
「あの、送っていただいてありがとうございます」
美咲がぴょこりと頭を下げた。
僕はそっと手を伸ばして美咲を抱き寄せた。体の小さな美咲は僕の腕の中にすっぽりと収まってしまう。柔らかな髪の毛が顎をくすぐった。
ふうっと息を吐くと、腕の中で美咲が身を固くするのがわかった。
「あ、ごめん、嫌だった?」
嫌だと言われても離す気はないくせに、そんなことを聞く。
「嫌じゃ、ないです」
顎に触れる髪の毛がふるふると横に振れる。そして、おずおずと背中に回された小さな手がジャケットの裾をぎゅっと握ったのがわかった。そのしぐさに、体の芯がうずくような感じを覚えた。どうしてこうも、この子は。
「貴俊さん、私、好きです。貴俊さんのこと」
胸の中でくぐもった小さな声が聞こえて、僕は心がぽかぽかと温まるのを感じた。
心地いい。
同時に鼓動が速くなる。
僕も、この小さな子が好きだ。
間違いなく好きだ。
腕に力をこめて「ありがとう」と呟く。
好きだとはっきり言わなかったのは、伝わると思っていたから。
腕の力で、僕の鼓動で、すべてが伝わると思ったから。
それがどれだけ浅はかな考えだったか、僕は後に思い知ることになる。
家に帰ったら部屋は相変わらずがらんとして暗く、無駄に広かった。
人のぬくもりで温まったはずの心がまた急速に冷えていく。
大きすぎるダブルベッドに転がって、僕は孤独に耐えきれずに掛布団をくしゃくしゃにし、それを胸に掻き抱いて眠った。




