11 伊織
「お前、妹の彼氏にあんな宣言させるなんてやり手だな。さすが」
僕は真吾のひねた笑いを横目に会場の隅っこでうまい酒を飲んでいた。
「別に言わせたわけじゃない。向こうから突然言い始めたんだ。真吾にも聞こえてたんだな」
「会場内であの宣言を聞いてない奴はいないぞ。デカい声でさ。まぁ、いいんじゃねぇ? あれで茜とあいつが付き合ってるらしいって噂が広まれば、あいつはますます悪いことできなくなるし。茜には俺が釘刺しといたし」
「ヌードは茜の誤解だったみたいだ」
「ヌードってなんだよ」
あ、そこは知らなかったのか。
僕は何も言わずに肩をすくめた。
こいつにその手の話をすると喰いつき方が尋常じゃないので長くなる。
真吾もそれ以上は聞いてこなかった。
「あ、さっき伊織に会ったぞ。お前が来てるって知って喜んでたよ。ああ、ほら、あそこにいる」
伊織は真吾と僕の幼馴染だ。真吾の目線をたどった先にその姿を見つけて、僕は何となくほっとした。
「お前あれ以来だろ。話して来いよ」
僕の結婚式以来。
「まぁ、会場を出るときにでも会えるだろう。今はご歓談中みたいだし、後でいいよ」
会場のあちらこちらから投げかけられる好奇の視線にうんざりしながら、それでも時折その中に、こちらを気遣うような視線を見つけて嬉しくなる。
「見られるのはもう、しょうがないな」
いつまでも引きこもっているわけにもいかないし、そろそろこういう場にも顔を出さなくてはな。
「そりゃあそうだ。だってお前、あれだぞ」
――バージンロードに取り残された花婿。
「ドラマでしかお目にかかったことのない間抜けを、みんな見たくてしょうがないんだよ。だからお前は堂々としとけ。しけた面見せて、やつらを喜ばせるんじゃなねぇよ」
そう言ってシャンパンを掲げた従兄は、いつになく真面目な目をしていた。
やっぱりこいつ、かっこいいな。
********************
「伊織。久しぶり」
僕が片手をあげると、伊織は嬉しそうに長い髪をなびかせてこちらに歩いてきた。
「貴俊!」
倉持グループ主催のパーティーなので、僕は一応ホストの一員。ゲストを見送るために、会場となったホテルの出口まで来ていた。
そこで幼馴染と再会を果たす。
「元気だった?」
伊織の言葉には何の含みもなく、ただ、僕のことだけを気遣う声だ。
「ああ」
幼馴染と言うのは、こういうときにいい。
「心配したのよ。姿、見かけないから」
一つ年上のこの幼馴染は、時々こうしてお姉さん風を吹かす。小さい時はそれがくすぐったくて、真吾と一緒にいたずらをしては伊織を怒らせた。
高いヒールで疲れたであろう伊織を気遣い、腰に腕を添える。
ありがとう、と伊織は言って少し体重をかけてきた。この自然な空気も、幼馴染特有のものだろうか。
「今日は旦那は?」
「出張でフランスなのよ。よろしくって言ってたわよ。あの人もずっと貴俊に会いたがってたから」
伊織は四年前に結婚して旦那と二人、幸せそうに過ごしている。
「貴俊は最近どうなの?」
「ぼちぼちかな」
「真吾から少し聞いたけど……」
「ああ、そっか。うん。彼女ができた。でも騒がれたくないから誰にも言ってないよ。両親にも、茜にも」
「うん。私も誰にも言わないでおくわね」
「さんきゅ」
「彼女、いい子なんだって?」
ああ、と僕は頷く。
「いい子だよ。明るいし、よく食べる。よく笑う。よく寝る」
初めてのドライブで爆睡した美咲の寝顔を思い出して、僕は思わず笑みをこぼした。
そんな僕の顔をじっと見ながら、伊織は嬉しそうに微笑んだ。
「貴俊がそんな風に笑うの、久しぶりに見た気がする。よかった。ちゃんと、好きなのね」
好き?
「あら、自覚なしってわけ? 貴俊、今いい顔してるわよ。その顔で彼女に会いにいってあげて欲しいくらい」
そう言ってふわりと笑ったあと、伊織は一瞬僕の肩越しに視線を飛ばして怪訝な顔をした。
「あら?」
とつぶやく。
僕が振り返ると、道を行き交う人がいるだけで特に変わったことはない。
問いかけるように伊織を見ると、伊織は軽く首を振った。
「こっちをじっと見てる人がいたように思ったけど。気のせいかしらね」
「何だよそれ」
「たぶん気のせいね、ごめん変なこと言って」
「いや」
ホテルの前に横付けされた黒塗りの車の前に来ると、伊織は僕のネクタイをきゅっと締めた。
「では、貴俊くん。またね? 近々会えるわよね?」
「うん。これからはちょこちょこパーティーも出るよ。また。旦那によろしく」
ひらりと手を振り、伊織は優雅に車に乗り込む。
彼女がずっと前からつけている薔薇の香水がふんわりと香り、懐かしさに思わず鼻をひくつかせてしまった。