クラウスの真意
祝宴は思った以上に長引いた。
俺と一緒になって調子に乗って飲んでいたハルトなんて、最後は酔いつぶれてエステルに看病される始末だ。
酒に強い俺と飲み比べなんてするからそうなる。
魔獣とは違う、人間相手の戦いで勝ったことが、ハルトにちょっとした過剰な自信を与えてしまったらしい。
あまりいい傾向じゃないけど――そのあたりは、きっとリゼが矯正してくれるだろう。
灰樫亭での顛末は、だいたいそんなところだ。
締まりはないが、皆楽しそうだったし、ナギも最後まで笑顔だった。それだけでも、十分に価値がある。
……けれど、これで今日を終わらせていいのか?
そう思ったから、今俺は一人でグレンツの街中を歩いている。
太陽はすでに傾き、石畳を赤く染めている。向かう先は、町役場だ。
明日になれば、出発の準備で慌ただしくなる。落ち着いて話せる時間はそう取れない。
だから、クラウスと話すなら――今しかない。
酒はかなり入っているが、水をがぶ飲みして、出すものも出してきた。
おかげで足取りはまっすぐだ。今ばかりは、リーネの酒に強い体質に感謝しておこう。
役場に着き、受付で話をする。盗賊討伐を行った冒険者で、クラウスの妹――そう名乗れば一発だった。
祝宴の前にも訪れた部屋の扉を、こんこん、と叩く。
ほどなくして、中から短い声が返ってきた。
「入れ」
扉を開ける。
薄暗い客間。ランプの灯りが、テーブルとソファ周りだけを柔らかく照らしている。
ソファにはクラウス。その前のローテーブルには、琥珀色の液体が入ったグラスと酒瓶が一本。
どうやら、こっちも一杯やっているらしい。
「……なんだ、お前か」
俺の顔を見た瞬間、クラウスの鼻がわずかに動いた。
「酒臭いぞ。飲んできたのか?」
「仲間たちと祝杯を上げてました。クラウス兄様も、同じく?」
「祝杯というほどのものじゃない。仕事が終わり、早めの飯を食い、後は寝るだけ――という時になって、役場の連中が持ってきた。『是非に』とな」
クラウスが指先でグラスを軽く弾く。
澄んだ音が鳴り、灯りを受けて琥珀色が揺れた。
「盗賊騒ぎを実質一人で片づけた騎士、ですからね。町の覚えを良くするための貢ぎ物、というところでしょうか」
「さてな。役人の考えることはよく分からん。こっちは仕事でやっただけだ。酒の有無で動き方を変えるつもりはない」
そう言って、クラウスはグラスの残りを一息に呷った。
どう見てもお高い蒸留酒を、躊躇なくストレートで一気飲みだ。
やっぱりリンデベルク家は、総じて酒に強い家系らしい。
「で、何の用だ? 冒険者風情が酒を飲んだ後、騎士の滞在する部屋に押しかける無礼ぐらいは理解しているだろう」
「クラウス兄様が他人なら、こんな真似はしませんよ。そこはまあ、家族という甘えです」
わざと肩をすくめてから、言葉を継ぐ。
「でも、その甘え込みで、家族だからこそ聞いておきたいと思いまして」
クラウスの目が細くなる。
「……俺の夢想魔剣について、だな?」
「はい。盗賊の討伐が終わったら教えてくれる、って話でしたから」
クラウスはふう、と短く息を吐いて、ソファの背にもたれた。
視線を天井に向け、少しだけ沈黙が落ちる。
ランプの芯が小さく爆ぜる音が、部屋にひとつ響いた。
「……ああ。確かに言ったな」
やがて、淡々と口を開く。
「お前が見た通りだ。不可視の斬撃――魔力の刃を伸ばし、間合いの外から敵を斬る。それが俺の夢想魔剣だ」
「やっぱり。じゃあ、宿でやっていたのは、それを素手に応用したもの、ですか?」
「そうだ。剣があれば剣先から、素手なら指先から。使い勝手のいい技だろう?」
そう言いつつ、クラウスは酒瓶を傾け、新しくグラスに注ぐ。
今度はそれを、ゆっくりと口に運びながら続けた。
「便利な技だ。あの賊がいい例だが、見切りの良い剣士であればあるほど、不可視の斬撃の餌食になる。奴は剣を構えたまま、何も分からぬうちに死んだ」
クラウスはそこで言葉を切り、ランプの火を見つめる。
炎が揺れ、壁の影がゆっくりと動いた。
「……いや、死んだことにすら気づいていないだろうな。それがどういうことか、分かるか?」
「格下どころか格上すら相手にならない。初見の敵の命を、ほぼ確実に刈り取れる魔剣――ってことですよね」
「……いい表現じゃないか。その通りだ。尋常の立ち合いをするなら、答え合わせすらできずに死ぬ。乱戦でも、大差ない」
クラウスはグラスに口をつけ、さらに一口。
そこでゆっくり息を吐いたあとに、こう言った。
「騎士団の中では、影でこう呼ばれているらしい。――『暗殺者の剣』とな」
その声は、さっきまでより低く、少し淀んでいた。
その表現を好んでいないのは、聞けば分かる。
「……好きじゃないんですね、その技のこと」
踏み込んだ言葉を投げると、クラウスは怒りもせず、苦笑もせず、ただ静かに頷いた。
「暗殺者呼ばわりされて、この技を好きになれると思うか?」
「それは……」
名誉を重んじる騎士の世界で、それはある種の汚名だろう。
強さへの嫉妬も混ざっているとは思う。
でも、だからといって、すべてが冗談で済むわけでもない。
「少なくとも、俺は嫌だな。……だが、好き嫌いの問題じゃない。使えるから使う。それだけだ」
言い切ってから、クラウスはまたグラスを空ける。
新たに注ぎながら、続けた。
「騎士としての正道とは正反対だ。抜き身の剣を交え、技と技をぶつけ合うのが騎士の戦い。俺の夢想魔剣は、その前提をひっくり返す。相手に戦う余地すら与えない。――お前はどう思う、リーネ? 命を刈り取る、この魔剣を」
明らかに俺の言い方を気にしている発言だった。
その表現が口から出たのは、盗賊との戦いのあとに心の中でつぶやいた、あの言葉。
――死神の一太刀。
それがあるからだ。
おそらく――俺が何を思い、どう感じたのか。それを朧げにでも察しているのだろう。
「……」
そう考えた瞬間、言葉が少しだけ詰まった。
クラウスは、自嘲気味な表情でこちらを見ている。
これが――俺が感じた『昏さ』の正体か。
強い技を越えた、『業』だからこそ、あまりにも気にしてしまう。
胸の奥で、何かが重なるような感触があった。
――俺のマインドブロウも、同じだ。
精神操作を剣に乗せ、相手の心に恐怖を叩き込む。
何が起こったか理解できないまま体が竦み、動けなくなる。
グレイマウル戦では、あの巨獣ですら、一瞬で意味の分からない方向に暴れ出した。
まだ人には使っていないけど――対人戦で使えばどうなるか?
おそらく、どんな相手でも『ハメ殺し』ができる類の力だ。
精神操作は禁忌の魔法で、表立って使えない。誰にも見せられず、誰にも語れない、俺だけの切り札。
クラウスの夢想魔剣も、方向は違えど似たようなものだ。
俺と違って表には出せるが、胸を張って誇れる評価にはならない。
騎士なのに、『暗殺者の剣』と揶揄されて、素直に喜べるはずがない。
――もしかすると、俺たちは似た者同士なのかもしれない。
俺はマインドブロウを使える技だと信じているし、自負もある。
あまりに卑怯な技だけど、それを気にすることはない。むしろそのインチキ臭さを気に入っているくらいだ。
それは、生きてきた時間軸と価値観が、そうさせている。
俺の根っこは日本人のおっさんで、その辺の感覚は今もあまり変わっていない。
そんなことを考えているうちに、口が先に動いていた。
「いいじゃないですか、『暗殺者の剣』。かっこいいと、私は思いますよ」
「……何?」
クラウスの眉がぴくりと動く。
「お前は自分の言っていることを理解しているのか?」
言いたいことは分かる。代官家の令嬢が、騎士である兄に向かって言う台詞ではない。
でも、これは本心だ。暗殺者という存在に対して、俺には特別な嫌悪がない。
「実際、私はクラウス兄様を見て、死神みたいだなぁ……って思いました」
「……」
明らかに視線が鋭くなる。けれど、構わず続ける。
「でも、『死神みたいに強い』って表現は、誉め言葉です。だって、本当に強いんですから。騎士の正道? 倫理? 評判? そんなのは二の次ですよ。いいですかクラウス兄様――」
一拍置いて、テーブルを手のひらで強く叩いた。
痛ぇ……調子に乗り過ぎた。しかし、勢い付けにはちょうどいい。
「騎士にとって一番大事なのは、強さです!」
クラウスの目が、完全に丸くなった。
「いいじゃないですか、言わせておけば。弱い連中のやっかみなんて、気にしなくていいんですよ。『暗殺者の剣』だろうが何だろうが、歯向かう敵をまとめて一刀両断する『不可視の魔剣』! ……実にかっこいい!」
「お、おい……」
「今日の横薙ぎもすごかったですし! 一撃で相手の首を落とすとか、反則級ですよね!? あれ、特別な奥義ってわけじゃないんですよね?」
「お、おう……剣先から魔力の刃を伸ばしただけだ」
「それが最高なんです! 機能がシンプルで、効果があまりにもエグい! 男の浪漫と魔力制御の極致が詰まりまくった、『これぞ理想の必殺技!』って感じで――」
火が付いちまったよ! 超常バトル漫画は俺の専門だぜ! 話し出したらきりがない。
俺は止まらないからよ……クラウスには、酔いの回ったこの頭から出てくる全ての含蓄を、聞いてもらわねばなるまいて!
クラウスのグラスを奪い取り、そこに勝手に酒を注ぐ。
そして許可を得ることなく一気に呷って脳みそにアルコールを追加しながら、俺は夢想魔剣の魅力について延々と語り続けた。
クラウスは途中から完全に口を挟む隙を失い、ただただ、酔っ払いのオタ話を聞かされるだけの観客と化した。
――そして、おそらく小一時間が経過した頃。
「お、おえっ……は、吐きそう……」
「馬鹿かお前は! 強い酒をバカスカ飲みやがって! 気持ちよく喋っていたと思ったら、それか!」
廊下をよろよろ歩きながら、俺はクラウスに肩を支えられていた。
さっきまでの熱はもうどこにもなく、今あるのは悪寒と吐き気だけ。
ただの、どうしようもない酔っ払いだ。
「うう……頭が痛い……」
「まったく……こんなのが俺の妹だとはな。こっちのほうが、よほど恥みたいなもんだ」
クラウスはそうぼやきながら、それでもしっかりと俺の体を支えてくれる。
さっきまでまとわりついていた『昏さ』は、どこかへ消えていた。
苦笑しながら、俺を介抱する兄の姿だけが、ランプの灯りの中に、はっきりと残っていた。




