森の深くへ
森に向かう足取りは、いつもより軽かった。
今まではリゼと二人、トビーを入れても三人。
それが今日は七人だ。そりゃあ気も大きくなる。
ギルドを出て街道を外れ、見慣れた木立へ。
だが今日は、浅いところで引き返さない。さらに奥へ入る。
「隊列はさっき言った通りだ。前衛がマレナ。フィンが左で、俺が右。中央にミレイ。リゼは自由に遊撃。騎士の腕前、存分に見せてくれ。リーネ嬢はミレイ後ろ。今回は荷役士の護衛役だ」
レオンが、全員に手短な指示を飛ばす。
「承知しました」
「了解」
リゼが即答し、俺もそれに続く。
横でトビーが、肩に掛けた荷紐をぎゅっと握り直した。
「今日は奥まで行く。普段より慎重にな。勝手な前進と後退は禁止だ」
自分で勝手に判断せず、指示で動く。
窮屈だと感じる冒険者もいるだろうが、今の俺にはむしろありがたい。
俺はまだ経験が浅い。指示出しを間近で見られるのは有益だ。
「オレ、逃げる時はどうすりゃいい?」
トビーが冗談めかして笑う。
けれど笑みの端に、緊張が残っているのは隠せていない。
「森の浅いとこならともかく、荷役士一人で逃げるのはお勧めできねえな。小僧はリーネ嬢の腕前に惚れ込んでるってボルクさんから聞いてる。今日は命預けるつもりで頼りな」
レオンがそう言うと、トビーがなんとも言えない表情で俺を見る。
「だってさ。頼むぞ、リーネ姉ちゃん」
「任せなって! こう見えて、私は結構強いからね!」
半分はトビーを安心させるための台詞。もう半分は、自分への暗示みたいなものだ。
ギルドは俺達を試したいからレオンに試験官なんてやらせているんだ。それって評価されているってことだからな。
そう考えると、胸を張るくらいでちょうどいいはず。
「その心意気だ嬢ちゃん。油断さえしなきゃ、自信も自負も冒険者には必要だ」
諭すような、励ますような声だった。
レオンは俺の緊張を見抜いているかもしれない。
「よし。行くぞ。各自、気を引き締めろ!」
号令と共に、森の中へと足を踏み入れる。
深く息を吸うと、落ち葉と湿った土の匂いが肺に入ってきた。
――いつも通り。いつも通りやるだけだ。
適度な緊張と、適度なリラックス。そのバランスは、精神操作を自分に掛けて調整する。
今日は最初から最後まで、自分に魔法を掛けっぱなしでいくつもりだった。
明日の反動がどうなるか少し怖いが……手の抜きどころを覚えるのは、もう少し経験を積んでからでいい。
森の浅い場所は、いつもと大差なかった。
木々の密度はまだ薄く、木漏れ日も多い。足元の獣道も踏みならされている。
そして敵との遭遇がある――という点も同じ。
「前方と左から来る! グリムパップ!」
フィンの声とほぼ同時に、木陰からグリムパップが飛び出してくる。
距離はまだあるが、数は五匹。
慣れていないと面倒な数だが、落ち着いて対処すれば問題ない。
「マレナ、前方を受けろ! フィンは牽制射しながら後退、俺と場所を替われ! リゼは自由に動け! リーネとトビーはその場で待機!」
レオンの指示に、隊列が迷いなく動く。
「任せときな!」
マレナが一歩踏み出し、盾で突っ込んでくる一匹を弾く。そして剣の切っ先を鼻先にちらつかせ、簡単には踏み込ませない。
左から出てきた二匹は、フィンの矢で足を止められ、その隙に位置を後退。
フィンの代わりに前に出たレオンも、槍の先端を突きつけて牽制する。
今まで俺は、グリムパップ相手なら突っ込ませてからカウンターで対処してきた。
だが、こうして見ると、最初から刃を突きつけて牽制するほうが理にかなっているのかもしれない。
生き物は尖ったものに本能的な恐怖を感じる。魔獣でも、それは同じだ。
リゼの剣筋をトレースするように戦ってきたからな。俺の剣は斬る方向に寄り過ぎていたのかもしれない。
「ミレイはそのまま。こいつら相手に魔法はいらん」
「了解。では周囲の警戒に回りますね」
補助魔法の出番は、まだ先らしい。
これから森の奥に入ることを考えれば、温存は当然だ。
そんなことを考えられるくらいには、今の俺には余裕があった。
――というのも、もう勝負はつきかけていたからだ。
陣形から自由に外れて動くリゼが、影のように横からグリムパップへ肉薄する。
滑るような踏み込み。首筋に沿って走る、無駄のない斬撃。
左側の二匹は短い悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。
「よくやった! 前方を押し込むぞ! フィン、援護しろ!」
レオンの声――それに呼応するよう矢が飛ぶ。
そのタイミングに合わせて、レオンとリゼが前方の三匹に対して左右の側面から回り込むように突撃。
包囲の形を作り攻撃――結果、残りもあっさりと肉塊へ変わった。
「――終わりだ。よくやったな、みんな」
戦闘は一分も掛からなかった。
俺は剣を抜いただけで何もしていない。
これが――パーティーの力か……。
「で、どうだリーネ嬢。君がリーダーやるんだろ? 何か参考になったか?」
参考というか、パーティーを組む理由をこの戦いで教えられた。
特にリゼみたいな単独で動ける冒険者がいる場合だ。
そういう強い奴をオフェンスにして自由に動いて貰う――それが、かなり有用であることが分かる。
「リゼみたいな強い奴は自由に動かしたほうがいいね。あと陣形かな。正直、斥候のフィンさんが遊撃じゃないのは違和感あったけど、グリムパップ相手の遭遇戦なら、斥候でも独り歩きさせないほうがいい」
陣形を見たときのモヤっとした感覚が、実戦でスポンと腑に落ちる。
グリムパップは弱いが、群れたら厄介だ。
どれだけ斥候が上手くても、森の中で複数に囲まれたら一人じゃ捌ききれない。なら、隊列に組み込むしかない。
「その通りだ。フィンの斥候としての腕前は、あくまで対人間――野盗なんかを想定したものだ。グリムパップを相手にするには、さすがに分が悪い」
レオンが、そのまま簡潔に補足する。
「この陣形は、森での戦い用だ。フィンは右利きで弦を引く。とっさに撃つなら、左側の敵に対する反応が早い。だから隊列の左だ」
「利き腕まで考えるんだ……。リーダーやるってのも、大変なんだね」
「最初から全部を完璧にする必要はないさ。俺の指揮だって、そこそこ程度でしかない。ただ、そこそこができれば、少人数パーティーの頭ぐらいは務まる」
そう言ってレオンが笑うと、『街道の守護剣』の面々も、当然のような顔をしている。
この空気ってのが、人望ってやつなんだろう。
「リーネ嬢ちゃんの今日の仕事の半分は、見ることだな。本番は前に出てもらうが、そうじゃないうちは俺たちの動きを見とけ。リゼの方は、しっかり使わせてもらう」
「分かったよ。リゼの使い方を覚えるにも、そっちのほうがいいね。リゼもそれでいい?」
「自由に動いていいという方針は、私としても助かります。そのほうが磨いてきた個人技を生かせますから」
そうして、この日の最初の戦いは終わった。
その後も、似たような遭遇戦が続く。
グリムパップが二度、三度。小ぶりなブルタスクも一頭現れたが、いずれも危なげなく片づけた。
今日の本命は森の奥の獲物だ。
だから、討伐証と換金効率のいい部位だけ素早く剥ぎ取り、それらをトビーが背負う。
レオンたちの剥ぎ取り手際は見事で、それを見るだけでも金を払っていいくらいには勉強になった。
それにこの段階で、結構な稼ぎになっている。
討伐報酬は山分けにしてもらえるらしいから、俺とリゼにかなり有利な条件。
それでもギルドからの依頼で新人を育てる依頼を受けるってのは、余裕のある証拠だろう。
――これが、中位パーティーの日常の景色か。
冒険者としての目指す先に納得しながらも、今日の試験のために森を進む。
そうすると雰囲気が変わってきた。木の高さも太さも大差ないのに、空気の重さだけが違う。
背中の汗が急に冷たくなるような、圧迫感。
ここから先が、森の深部――それが、空気だけで分かる。
「ここからが本番だ。警戒を緩めるな」
レオンの一言で、全員の足音がほんの少しだけ静かになる。
ただ歩いているだけなのに、鼓動が一拍ごとに大きく感じられる。
それを精神操作で押さえ込みながら、さらに奥へ。
「……奴の気配だ」
低い声で、フィンが呟いた。
「下草が変に寝てる。足跡も重い……熊だ。それも、デカいのが一頭」
「……グレイマウルか?」
レオンの問いに、フィンが無言で頷く。
「間違いない。ここが縄張りだろう」
グレイマウル――森へ来る前に聞かされていた、本日のターゲット。
ひと言で言えば、クソでかくて凶暴な灰色熊。
これを倒せれば、中位冒険者として一人前と見なされるという魔獣。
――つまり、今まで相手にしてきた連中とは格が違う敵ってことだ。
「ここからは、リーネ嬢ちゃんにも前に出てもらう。気張れよ」
「分かった。それで、注意することは?」
俺の問いに答えたのは、レオンではなくミレイだった。
「皮膚の下に、厚い脂肪層があります。骨も硬い。特に頭蓋骨は、剣ではまず割れません。狙うべきは関節、目、喉のような急所です」
弱点を正確に突かなければ通らない相手、ということか。面倒だ。
「当然、突進も重いし、爪の一撃をまともに食らえば、ほぼ即死だ。全力でやって、ようやく勝てるって相手だな」
レオンの声から、さっきまでの余裕が消える。
建前は試験だが、今ここにあるのはそれとは別物だ。
冒険者としての、本気の戦い。これから始まるのは、そういうやつだ。
縄張りの中を慎重に歩いていると、音がした。
枝が折れる音がするが、それはポキッというような音じゃなかった。
ボキッとでも表現した方がいい、太い枝を力で捻じ切ったような、重たい音だ。
続いて、葉擦れ。低い唸り。湿った息づかい。
視界の奥の茂みが、ぐい、と内側から押し広げられる。
そこから、灰色がかった巨体が、ぬうっと姿を現した。




