蒸し風呂と駆け出し宿
通路の先に、風呂と書かれた板がぶら下がっていた。
足元の木の床板はいつの間にか石畳に変わり、そこから先は壁も天井も石造りだ。
扉を開けると、そこは控え所のようだった。正面の小窓には、無精髭を生やした番頭らしいおっさんが肘をついて座っている。
「木札はあるか?」
ボルクから渡された札を差し出す。
「はい。これです」
「……ああ、今日の解体枠か。それに新顔だな? ここのルールは知ってるか?」
「初めてなので教えてください」
おっさんは面倒くさそうに眉を動かし、それでもちゃんと説明してくれた。
「風呂に入る時は素っ裸。衣類と荷物は全部ギルド預かりだ。盗まれた盗まれてねえで揉められても困るからな」
「ってことは、ここで全部預けて、出る時にまとめて返却ってことですよね」
「ああ。ギルドを信用できねえってんなら、最初から他を当たってくれ」
冒険者ギルドに所属するのに、システムを信じられないってのは筋が通らない。
ここで駄々をこねるくらいなら、最初から冒険者なんてやらないほうがいい。
「いえ、大丈夫です。リゼもそれでいいよね?」
「ええ、問題ありません」
ということで荷物を渡し、脱ぎ始める。
おっさんに脱衣シーンを見られている? そんなことは関係ねぇ! 男は度胸だ! これくらい屁でもねぇ!
というのも、おっさんは完全に仕事モードで特に反応はない。
臭いはともかく、俺の裸はなかなかのもんだし、リゼの身体も上物だ。普通の男なら多少は目のやり場に困るだろうが、このおっさんはそうではない。
流石プロだ。ちがうなぁ……。
「これが交換証だ。見ての通り帯になっているから腕に巻いておけ。服と荷物はそれと引き換えだ」
手首に布の帯を巻く。なんというか、銭湯のロッカー鍵みたいなものだな。
「それとだ」
おっさんが顎をしゃくって、こちらを見た。
「あんたらはしねえだろうが、風呂場で馬鹿な真似をする奴がたまに出る。そういうのを取り締まるために、時々見回りが入る。それだけは承知しとけ」
「馬鹿な真似?」
「……おっぱじめるって言って、嬢ちゃんは分かるかい?」
ああ、そういうことか。
「まあ、多少は」
「ここは色街じゃねえ。そういうことはご法度だ。やったら即出禁。人をジロジロ見るのもマナー違反だ」
ごもっとも。あくまでも体を清める場所だからな。
「そんなことはしませんよ。むしろ私は見られる側を警戒する立場ですし」
「まあな。ただ、馬鹿な女が出た前例もある。言いたいことはそれだけだ」
おっさんとの話は終わり、風呂場へ向かう。
その扉の前で、リゼが小声で言う。
「これから冒険者や日雇い労働者の男に裸を晒すことになりますが、堂々としてください。恥ずかしがれば恥ずかしがるほど、男の視線は鋭くなるものですから」
「ふーん……そういうものかな」
「そういうものです」
色々経験してそうなリゼがそう言うなら、間違いないんだろう。
というか、男サイドとしても理解はできる。堂々と素っ裸の女より、恥ずかしがる女のほうがエロい! 当たり前だよなぁ!
だから堂々としながら扉を押し開け、胸を張って蒸し風呂へ足を踏み入れる。
中は石造りの広い部屋だった。
中央には大きな石の塊が積まれ、誰かが柄杓で水を掛けるたび、白い蒸気がぶわっと立ちのぼった。
床には排水溝。壁際には膝丈ほどの桶と、木の椅子がずらりと並ぶ。
男も女も、同じ空間で黙々と体を洗っていた。
視線はあちこちに散っているが、ジロジロ眺めるような空気ではない。
まあ、ちらっと視線を動かしては、慌てて目を逸らす男もいるけどな。
俺とリゼを見て、そいつの股間はさらに元気になった――が、それを凝視するのもマナー違反だろう。
彼も気まずそうにしている。武士の情けで見ないことにしてやるか。
「まずは蒸気を浴びましょう。体を清めるのはそのあとです」
リゼが柄杓で水場から水を汲み、石の上に掛ける。
じゅっと音を立てて、一気に蒸気が立ちのぼった。熱いが、息ができないほどではない。肺の奥までじんわりと温度が染み込んでくる。
十分に体が温まったところで、リゼが指さした。
「次は、あれですね」
「何あれ? 木の実?」
風呂場の一角は、ちょっとした洗い場になっていた。椅子が並び、その前の籠には茶色い木の実がごろごろ入っている。
「これをすり潰して泡を作ります。専用の石があるので、それを使いましょう」
「これかな?」
言われるままに石を使って木の実を潰すと、ぬるりとした感触が広がり、うっすら泡立つ。
とはいえボディーソープみたいにふわふわではなく、石鹸より少し劣るくらいの頼りない泡だ。
「泡をこの干し草に付けて、それで体を洗います。終わったら水を浴びて泡を流してください」
リゼは慣れた手つきで、泡を含ませた干し草で体を洗い始める。
青臭い香りが立ち上る。正直いい匂いとは言い難いが、獣臭よりは遥かにマシだ。
同じように干し草をこすりつけてみる。
「……結構痛いね」
「最初はそんなものです」
干し草で擦るたびに、皮膚がヒリヒリし始める。
それでも、周りを見れば皆これを使っている。だからリゼの言う通り慣れなんだろう。
泡を洗い流すために桶で水を浴びると、ヒリつきと一緒にさっぱり感もやってくる。
水に混じった薄い血と汚れが、排水溝へ流れていくのを見ると、やっと解体場の臭いから解放されるという実感が湧いてきた。
「あとは、気の済むまで蒸気を浴びてから体を流す。その繰り返しですね」
リゼは再び石のそばに立ち、蒸気を浴びている。
俺も真似をして、何度か蒸気を浴びてから水で流すというループを回した。
体の芯には熱が残っている。臭いもだいぶ消えたし、こんなもんだろう。
控え所に戻り、番頭に帯を渡すと、衣服と荷物が戻ってきた。
「ふむ、臭いはだいぶ取れてるな。それならホールに出ても文句は出ねえだろう」
バッグから新しい下着と服を取り出して着替える。
服の洗濯も頼めばしてくれるらしいが、別料金だという。支度金は十分にあるが、今回は見送った。
支度金はあくまで緊急時用。ここでポンポン使ってしまったら、一般的な冒険者のルートを経験したことにならないからな。
「おう、綺麗になったようだな。まだ獣臭は残るが、それなら問題ないだろう」
ホールへ戻ると、ボルクの第一声がそれだった。
あれだけ洗って、まだ臭うのか……。若干ショックだが、割り切るしかない。
「で、宿についてだが。どんな宿がいいんだ?」
「ギルドが管理する宿ならなんでもいいけど、駆け出しって普通どこに泊まるの? 今日もらった銅貨じゃ普通の宿は無理だよね?」
俺がもらった銅貨は四枚。リゼが八枚。
リゼなら安宿にぎりぎり泊まれるとしても、俺は完全にアウトだ。
「貧民が一人で冒険者として成り上がろうって奴は少ない。大抵は徒党を組む。狭い部屋に雑魚寝すりゃ、金は節約できる」
世界が変わっても、考えることは一緒だ。
シェアルーム文化は異世界でも健在と。
「ギルド管理の宿がいいんだったな? それなら駆け出し専用の宿がある。馬小屋を改造したものだ」
「気になるね。それ、どんな宿?」
「藁を敷いただけの粗末な部屋だが、そのぶん安いし飯も付く。青空食堂で、あの肉粥だがな」
それは宿と呼んでいいのか?
けど、飯付きなのは魅力だ。あの獣臭い肉粥でも、安いのは正義ってもんだろう。
「で、おいくら?」
「冒険者証を見せる必要はあるが、銅貨二枚だ」
「えっ! 安っ!」
思わず声が出るほどに安い。
「ギルドに併設された、使われてねえ厩を改造した宿だ。肉粥と同じで、儲けは度外視だな」
「いいね、それにしよう! リゼ先生はどう思う?」
この世界での俺の実家は金持ちだ。だからこそ貧乏を楽しむという遊びができる。
いざというときの支度金があるってのがでかいな。
「……よろしいのではないでしょうか。一人で部屋を借りるというのなら止めますが、私と相部屋であるなら安全は確保できます」
安全第一なら、一人部屋は論外だ。でも、リゼと一緒なら問題なし!
むしろ藁の上とはいえ、リゼと同じ寝床か……少し興奮してきた!
「じゃあ、それで決まりだね!」
「あいよ。今回も俺が話を付けてやるよ。しかしなぁ……なんでそんなに喜ぶ? 正直言うが、俺だったらがっくり項垂れるような部屋だぞ」
ある意味、馬小屋に泊まるのはロマンだ。
ファンタジー小説だと定番中の定番だしな。
「そこは、変わり者だと思っておいてくれれば」
「自分で言うか普通?」
ということでボルクに案内されて、ギルドの隣に併設された馬小屋宿にやってきた。
予想以上に馬小屋改造品で宿には見えない。そして外に置いてあるテーブルが青空食堂ってわけだな。
番台の爺さんに冒険者証を見せ、宿泊代として銅貨二枚を渡す。肉粥はサービスで提供されるという、親切設計のようだ。
「一番奥の部屋だ。藁はさっき入れ替えたばかりだが、痒いのは我慢しな」
「どうも」
食事を終わらせ指定された部屋に向かう。
藁を詰めただけの寝床が一つ。窓は板と棒で開閉するタイプで、隙間風が夕方の冷えた空気を運んでくる。
藁に腰を下ろすと、尻にチクチクと刺さった。
「今日はさすがに疲れたね。飯も食べたし、さっさと寝ようか」
「それがいいでしょう。私も、さすがに疲れました」
「布を被るだけだと冷えるし、二人で身を寄せ合って寝るくらいがちょうどいいかな」
冒険者生活初日は、こうして幕を閉じることになった。
しかし、これって本当に冒険者か? 日雇い労働者の悲哀を描いた社会派作品みたいだ。
……まあ、いいか。
リゼの胸に顔を埋めて、抱き合うようにして眠れるなら、それだけで十分すぎる価値がある。
なんだかんだで、今日はいい夢が見られそうだ。




