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三話 追放 アルト

 三日後。


 昼過ぎに、俺はカイルの屋敷を訪れた。


 門をくぐった瞬間、胸の奥が妙にざわついた。

 理由はわからない。

 けれど、何かがおかしいと、そう感じた。


 屋敷の中は静まり返っていた。使用人たちの足音さえ妙に遠く、いつもならどこかに漂っているはずの生活の気配が、薄く引き延ばされたみたいに感じられる。

 案内された部屋の扉を開けた時、その違和感は確信に変わった。


 全員が、すでに揃っていた。


 勇者カイル

 戦士ガレス

 僧侶ソフィア

 魔法使いセレス

 剣士クロード


 そして、エリシア。


 誰一人、口を開かなかった。

 いつもなら、ガレスが空気を裂くように笑い、ソフィアが困ったように微笑み、エリシアが真っ先にこちらを見るはずだった。


 なのに、その日は違った。


 ガレスは腕を組んだまま、難しい顔をしている。

 ソフィアは視線を伏せ、両手をきつく握りしめていた。

 セレスは無表情のまま黙し、クロードは壁際に立って目を閉じている。

 そしてエリシアは、俺を見なかった。

 いや、見られなかったのかもしれない。

 部屋に入ってきた俺に気づいているはずなのに、彼女はただ膝の上で手を重ねたまま、じっとそこに視線を落としていた。


「おはよう」


 言ってから、自分の声が妙に軽く響いたのがわかった。

 返事はなかった。

 その沈黙だけで、喉の奥がひどく乾いた。

 何かあった。

 それも、ろくでもない何かが。


「どうしたんですか?」


 誰に向けた問いだったのか、自分でもわからない。

 けれど、答えたのはカイルだった。


「座れ」


 短く、感情を切り落とした声だった。

 言われるまま椅子に腰を下ろす。妙に背筋が固くなる。指先が冷たかった。


 カイルはしばらく黙っていた。

 言葉を選んでいるようにも、そうではないようにも見えた。

 やがて、まっすぐ俺を見て言った。


「アルト。これ以上、お前を連れて行くことはできない」


 一瞬、意味がわからなかった。


「え?」


 間の抜けた声が出た。

 何を言われたのか、頭が理解を拒んでいた。


「何、言って」

「ここで外れてもらう」


 淡々とした言葉だった。

 だからこそ、なおさら現実味がなかった。


「待ってください!」


 思わず身を乗り出す。


「外れるって、何で?何でですか!」

「そのままの意味だ」


 カイルの表情は硬い。

 冷たい、というより、冷たくしているような顔だった。


「この先は、お前を連れて行けない」

「何で!」


 答えなんて、聞くまでもないのかもしれなかった。

 それでも聞かずにはいられなかった。

 カイルは一拍置いてから、はっきりと言った。


「この先に進めば、お前は必ず死ぬ」


 部屋の空気が、そこで完全に凍った。


 俺は笑いそうになった。

 笑えるはずもないのに、どこか現実味がなさすぎて、頬が引きつるような感覚があった。


「そんなの、俺は最初から」

「違う」


 被せるように、カイルが言った。


「お前はこの先、必ず死ぬ」


 その言葉だけが、やけに重く胸の奥へ沈んでいく。

 必ず。

 その響きは、刃物みたいだった。


「それは、カイル様一人の判断ですか?」


 自分でも情けない声だと思った。

 それでも、まだどこかに救いを探していた。

 カイルは沈黙しなかった。


「違う」


 まるで逃げ道を塞ぐように、即答した。


「ここにいる全員の総意だ。エリシアも含めてな」


 視線が、勝手にエリシアを探す。

 彼女は相変わらず顔を上げなかった。


「エリシア」


 呼ぶと、彼女の肩がわずかに揺れた。

 それだけだった。

 顔を上げて否定してくれるんじゃないか。

 そんなわずかな期待が、胸のどこかにまだ残っていた。


 けれど、彼女は黙ったままだった。

 それが答えだった。


「ふざけるな」


 喉の奥から、掠れた声がこぼれた。


「なんだよそれ!今さら何言ってんだよ!ここまで来たんだぞ!あと少しで魔王城なんだろ?あと少しで、あいつらに届くんだ!」


 言葉が荒くなる。

 自分でも抑えられなかった。


「俺はそのために来たんだ。雑用でも何でもいい!!荷物持ちでも、飯炊きでも、囮でも何でもやる。ここで降りろなんて、そんなの!」

「アルト」

「俺には復讐する理由がある!」


 叫んだ声が、部屋の壁に跳ね返る。


「村を焼かれて、家族を殺されて、それでここまで来たんだぞ!何年かかったと思ってる!ずっとそのためだけに耐えてきたんだ!やっと、やっとここまで来たんだ!!」


 喉が焼けるように痛かった。

 それでも止められなかった。


「死ぬ覚悟ならできてる!」


 沈黙。


 誰も何も言わない。

 ガレスは目を伏せた。

 ソフィアは今にも泣きそうな顔で唇を噛んでいた。

 セレスは表情を変えず、クロードはただじっと俺を見ている。


 エリシアだけは、まだ俺を見なかった。

 そのことが、何より苦しかった。

 やがてカイルが、低い声で言った。


「死ぬ覚悟と、必ず死ぬのは違う」


 その声音には、怒りではなく、断ち切るための硬さがあった。


「俺たちが連れて行くのは、自分の身を自分で守れる者だけだ。危険を承知で進む者と、何もできずに死ぬ者は違う。お前は後者だ」

「それでも行く」


 間髪入れずに言い返した。


「足手まといだって言うなら、ならないようにする。死なないようにする。だから!」


 カイルの声が、今度は少しだけ強くなる。


「足手まといとかそういう話じゃない。お前には、その力がない」

「やってみなきゃわからないだろ!」

「わかる」


 きっぱりと言い切られた。


「俺たちは、そういうものを見てきた。何人もな。覚悟だけで生き残れるなら、誰も苦労しない」

「だからって!」


 立ち上がる。

 椅子が後ろで音を立てた。


「だからって、ここで捨てるのかよ!?ここまで連れてきておいて!?だったら最初から!」


 その瞬間だった。

 カイルの声が、初めて明確な怒気を帯びた。

 空気が震えた気がした。

 今まで必死に抑えていたものが、そこで一気に噴き出したのだとわかった。


「お前が襲われたら、誰かがお前を守ることになる!」


 鋭い声が、胸を貫く。


「その瞬間、守った奴は無防備になる!そこを敵に狙われたらどうする!?」


 言葉が、一つ一つ叩きつけられる。


「お前一人の問題じゃないんだよ!お前を庇ったせいで、誰かが死ぬかもしれない!その隙に隊列が崩れれば、全員が死ぬかもしれない!」


 反論しようとして、声が出なかった。

 カイルは止まらない。


「俺たちは、お前のために戦ってるわけじゃない!」


 その一言に、胸の奥がひどく冷えた。


「魔王討伐のために戦ってるんだ!世界を守るために進んでる!その中で、お前自身がお荷物なんだよ!」


 最後の言葉は、剣よりも鋭かった。

 息ができなかった。

 頭のどこかで、何かが砕ける音がした気がした。


 カイルは俺を見据えたまま、低く落ち着いた声で決定的に言い放った。


「ここから出て行け」


 足が、どうやって動いたのか覚えていない。

 気づけば俺は部屋を飛び出していた。

 背後で誰かが何かを言った気もする。けれど、耳には入らなかった。胸の奥で何かがぐちゃぐちゃに潰れて、息を吸うたび喉が焼けるみたいに痛かった。


 廊下を抜け、玄関を抜け、屋敷の外へ出る。

 春先の風はまだ冷たかったはずなのに、頬は熱かった。

 視界が滲む。

 地面が揺れる。

 門の脇まで来たところで、とうとう足に力が入らなくなった。


 その場に崩れ落ちる。

 

 声にならない息が漏れた。

 情けない。

 

 わかっていたはずだった。

 自分が弱いことくらい。

 自分が足手まといだということくらい。

 旅の途中で何度も突きつけられてきた。戦いのたびに思い知らされてきた。それでも、ここまで来られたから。あと少しだと思えたから。もしかしたら、このまま届くかもしれないと、心のどこかで信じていた。


 それが、全部、叩き潰された。


「くそ!!くそ!!」


 両手を石畳についたまま、うつむく。

 涙がぼたぼたと落ちて、灰色の地面に小さな染みを作っていく。

 止めようとしても止まらなかった。歯を食いしばっても、喉の奥から嗚咽がせり上がってくる。


 父さん。

 母さん。


 心の中で呼んだ名前さえ、今は空っぽに響くだけだった。


 どれくらいそうしていたのか、わからない。

 やがて、背後から静かな足音が近づいてきた。

 知っている歩き方だった。

 振り返らなくてもわかった。


「アルト」


 エリシアの声だった。

 次の瞬間、そっと肩に手が置かれる。

 そのぬくもりが、今の俺には耐えられなかった。


「触るな!」


 反射みたいに、その手を振り払っていた。

 乾いた音がして、エリシアの手が宙ではじかれる。

 息を荒くしながら、俺は振り向いた。

 涙で滲んだ視界の向こうに立つ彼女の顔は、ひどく静かだった。

 静かすぎて、余計に腹が立った。


「お前!!」


 乱暴に袖で目元を拭う。

 拭っても、次から次へと涙は溢れてきた。


「復讐、忘れたのか!」


 声が震える。

 それでも絞り出すように言った。


「村のこと、家族のこと、忘れたのかよ。あんなに……あんなに、一緒に誓ったのに!」


 人差し指の指輪が、陽を受けて鈍く光っている。

 あの日、二人で名前を刻んだ、あの指輪。

 エリシアは一瞬だけそれを見て、それから小さく首を振った。


「忘れるわけない」


 はっきりとした声だった。


「忘れたことなんて、一度もない」

「じゃあなんでだよ!なんで黙ってた!なんで何も言わなかった!あそこで一緒に行くって、言ってくれなかったんだよ!」


 胸が裂けそうだった。


「お前だけでもわかってくれると思ってた!ずっと一緒だっただろ!ここまで来たの、俺だけじゃないだろ!なのに、なんで!なんでお前まで、あいつらと同じこと言うんだよ!」


 エリシアはすぐには答えなかった。

 風が彼女の髪を揺らす。

 伏せられた睫毛が、わずかに震えた。

 やがて彼女は、痛みを押し殺すみたいに静かに言った。


「思いだけじゃ、先には進めないよ」


 その言葉に、胸の奥がひどく軋んだ。


「今の私たちじゃ、まだ」


 エリシアはまっすぐ俺を見る。

 逃げるような目ではなかった。


「あの人たちは、ずっと先にいる。カイル様もガレスもソフィア様もセレス先生もクロード様も。私たちは、まだそこに追いつけてない」

「だから諦めろって言うのか」

「違う」


 即座に否定する。


「諦めるためじゃない。追いつくためだよ」


 その声は強かった。

 昔の、泣きながら俺の後ろを走っていたエリシアではない。俺の知らない時間を積み重ねて、現実を知って、それでも折れずに立ち続けてきた声だった。


「今ここで無理に進んでも、死ぬだけ。復讐も、何も果たせない。それじゃ意味がない」

「意味ならある!」


 また声を荒げてしまう。


「俺は行きたかった! たとえ死んでも、あいつらの近くまで行けるなら、それで!」

「それは自己満足だよ、アルト」


 ぴしゃりと言われて、言葉が詰まった。

 エリシアの瞳が揺れる。

 けれど、逸らさない。


「死んで終わるなら、あの日の誓いはそこで終わりだよ?生きて、追いついて、届かなきゃ駄目」


 その言葉は正しかった。

 俺は唇を噛む。

 血の味がした。

 エリシアはそっと小さな袋を差し出した。


「これ」


 革の小袋だった。

 見覚えのないものだ。


「カイルたちから。餞別」

「餞別?」


 掠れた声で聞き返す。

 エリシアは袋の口を開き、中から四つの小さな金属片を取り出した。

 それぞれ形は簡素だが、丁寧に磨かれた銀色の札。

 表面には名前が刻まれていた。


 カイル

 ガレス

 ソフィア

 セレス


 ネームタグだった。


「なんだよ、これ」

「みんなが置いていった。受け取ってって」


 その言い方に、胸の中で何かがまた軋んだ。


「頑張れってことか?」


 自分でも嫌になるほど、声が歪む。


「哀れんでるだけだろ」

「違う」

「違わない!」


 俺はエリシアの手からそのネームタグをひったくった。

 冷たい金属の感触が掌に刺さる。


「こんな物!!」


 次の瞬間、思いきり地面へ投げ捨てていた。

 乾いた音を立てて、四つの札が石畳の上に散らばる。

 エリシアが息を呑む気配がした。

 けれど俺は止まれなかった。


「いらない!こんなもの!置いていくくせに、馬鹿にしやがって!!」


 吐き捨てるみたいに言い終えた後、ひどい沈黙が落ちた。


 エリシアは何も言わなかった。

 ただ静かにしゃがみこみ、一つずつ、散らばったネームタグを拾い上げていく。

 石の隙間に転がったものまで丁寧に探し、指先で払って、革袋の中へ戻した。

 まるで、俺が踏みにじった何かを、代わりに拾い集めるみたいだった。

 それを見ているのがつらくて、俺は視線を逸らした。


 やがて、屋敷の扉が開く音がした。

 反射的に顔を上げる。

 カイルたちだった。

 全員、旅支度を整えている。

 ガレスは大剣を背負い、ソフィアは法衣の上から白い外套を羽織っていた。セレスはいつもより重厚な杖を携え、クロードは腰に長剣を提げている。誰もが、今この瞬間から戦場へ向かう者の顔をしていた。


 そして先頭に立つカイルは、すでに兜をかぶっていた。

 額から左のこめかみにかけて、そこから頭頂部へまっすぐ伸びる、二本の赤い線。

 勇者カイルを示すその印が、朝の光を受けて鋭く輝いていた。


 血のように赤く。


 けれど、誰よりも前へ進む者の証みたいに、まぶしかった。


 俺は立ち上がれなかった。

 膝をついたまま、ただ見上げることしかできない。

 誰も、俺を見なかった。


 まるで、そこに俺なんて最初からいないみたいに。

 最初から、旅立つ仲間ではなかったみたいに。

 足音だけが、俺の前を通り過ぎていく。

 革靴が石を踏む音。

 鎧が小さく鳴る音。

 荷が揺れる音。


 その一つ一つが、俺を置き去りにしていく音に聞こえた。


 最後に、エリシアが立ち止まる気配がした。

 けれど彼女も、振り返らなかった。

 ただ、小さく息を吸ってから、前へ歩き出す。

 その背中が遠ざかっていく。


 俺は呼べなかった。


 呼んでしまったら、本当に全部終わる気がして。

 いや、もうとっくに終わっていたのかもしれなかった。

 門の向こうへ消えていく五つの背と、一つの細い背中を、俺はただ呆然と見送った。 

 やがてその姿が見えなくなっても、しばらく動けなかった。


 春の風だけが吹いていた。

 石畳の冷たさが膝を刺し、掌に残った涙の湿り気がじわじわと冷えていく。


 それでも胸の奥だけは、焼けるみたいに熱かった。

 置いていかれた。

 捨てられた。


 復讐も、誓いも、何もかも、俺だけが取り残されたみたいだった。


 人差し指の指輪が、ひどく重く感じた。




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