最終話 追放
それから、王国は本当に動いた。
準備には時間がかかった。
各地の守りを崩せば、空いた穴から別の魔族が流れ込む。
兵站を整え、各領の意向をまとめ、いつどこへ兵を出すかを決めるだけでも、一筋縄ではいかなかった。
だが、それでも王は動いた。
勇者カイルたちが魔王城周辺の魔族を殲滅しながら進んでいたこと。
その事実は、停滞しかけていた王国に、新しい火を灯したのだと思う。
俺たちが魔王城から持ち帰ったのは、討ち果たされた魔貴族の事実だけじゃない。
あの人たちが確かに最後まで前へ進み、道を作ったという証そのものだった。
前線は少しずつ押し上がり、各地の魔族の群れは圧され始めた。
だが、戦いは終わらない。
魔王はまだ、生きている。
王国軍が押し上げるほど、残党は散り各地を荒らす。
村を襲い、街道を断った。
だからこそ、最前線と同じだけ、後方の火消しも必要になった。
俺は、そこへ駆けつけた。
魔族の群れが現れたと聞けば駆け、襲撃があったと聞けば飛び、前線が崩れそうになればその穴を埋めた。
漆黒のクロードの剣を握って戦場へ立つ度に、兵たちは畏れと期待を込めて俺を見た。
いつからか、そう呼ばれるようになっていた。
漆黒の勇者
大層な名だと、自分では思った。
勇者など、本当ならカイル様ただ一人にしか許されない呼び名のはずだ。
黒い剣を振るい、魔族を斬り裂いて戻ってくる俺をそう呼び始め、最強とも語られた。
それでも名が何であれ、剣を握る理由ははっきりしていた。
守るためだ。
ネームタグとともに託されたものを無駄にしないために。
エリシアをあの家を、そしてそこで育っていく俺たちの未来を守るために。
戦いが続く中、王国は俺たちに一つの屋敷を与えた。
広すぎるほどではないが、二人で暮らすには十分で、庭もあり日当たりも悪くなかった。
最初にそこへ通された時、エリシアはしばらく何も言わずに立ち尽くしていた。
「どうした」
そう声をかけると、彼女はゆっくりと部屋の中を見回した後、小さく笑った。
「帰る場所があるって、変な感じ」
その言葉に、俺もすぐには返せなかった。
帰る場所。
俺たちには、長いことそれがなかった。
洞窟、安宿、旅籠。
眠る場所はあっても、帰る場所と呼べるものはなかった。
けれど今はある。
エリシアが待っている家がある。
それは、俺が剣を握る理由として十分すぎた。
やがてエリシアのお腹に子が宿った。
俺は、嬉しかった。幸せを感じた。
その時から、彼女は戦場へは出なかった。
いや、出させなかった、と言った方が正しいのかもしれない。
エリシアは最初、少しだけ不満そうだった。
自分もまだ戦えると、私まで守られるだけなのは嫌だと、何度か口にした。
だが、俺が首を縦に振ることはなかった。
「今のお前は、一人じゃないだろ」
それだけ言うと、エリシアはふっと黙った。
しばらくしてから、少し困ったように笑って言った。
「昔の貴方なら、そういうこと言わなかったのに」
「昔の俺は馬鹿だったからな」
「今も時々、馬鹿だけど」
そう返し、エリシアは笑った。
その笑顔を見ていると、自分が守るべきものの輪郭が、はっきりと手に触れるみたいに感じられた。
その頃、また一つ、魔族に襲われた村があった。
焼かれ、壊され、生き残ったのは二人だけだった。
十八の少年と、十九の少女。
王国が庇護すると決めたその二人を初めて見た時、俺とエリシアは昔の自分達と重ねていた。
あまりにも、昔の自分たちに似ていたからだ。
少年の目には、あの頃の俺がいた。
村を焼かれ、家族を失い、ただ復讐だけを胸に立っていた自分が。
少女の目には、昔のエリシアがいた。
強がりで、気丈で、けれど大切な相手のためなら自分を削ることも厭わない、あの頃の彼女が。
俺とエリシアは、二人を引き取った。
そして、奇妙な同居が始まった。
屋敷の庭で、俺は少年に木剣を握らせた。
少女は屋敷の一室で、エリシアから魔法を学んだ。
少年には、剣の才がなかった。
本当に、驚くほどなかった。
踏み込みは浅い、振りは遅い。
受ければ弾かれ、崩せば転ぶ。
木剣を握る手はすぐに豆だらけになり、次の日には腕が上がらないと言いながらも、歯を食いしばる。
必死に食らいついてきた。
転んでも、打たれても、立ち上がってきた。
昔の自分を見るみたいで、胸が苦しくなる時があった。
少女もまた、復讐を捨ててはいなかった。
エリシアに魔法を教わりながらも、その根底には、村を襲った魔族への怒りがずっと燃えていた。
ある夜、二人が先に眠った後、庭先で風に当たりながら、エリシアがぽつりと言った。
「昔の貴方、そのものね」
俺は苦笑するしかなかった。
「あの子は、昔のお前だな」
そう返すと、エリシアは小さく肩をすくめた。
その姿を見て、一瞬だけ、戦のことも、魔王のことも、全部が遠くなる気がした。
だが現実は待たない。
前線は動き続ける。
王国軍は少しずつ魔王城へ圧をかけ、各地の戦場はなお荒れ続けた。
俺は少年を、雑用係として前線へ連れていくようになった。
少女は屋敷に残り、エリシアとともに魔法を学び続けたが、俺について行きたいと言い出したらしい。
当然、エリシアには反対された。
「まだ早い」
「わかってるけど、どうか」
そう答えた時、エリシアはしばらく黙っていた。
それから、深く息を吐いて言った。
「わかった。でも、無理はしないように」
「はい」
二人はまだ未熟だ。
戦場に放り込めるほど強くはない。
ただ、それでも現実を見なければ、二人はいつまでも復讐だけに囚われたままだと思った。
そう考えた時、俺は自分でも気づかないうちに、かつてクロードが俺にしてくれたことを、少しずつなぞっていたのかもしれない。
何度か前線を経験させた末、俺は気づいた。
この少年は、強くなっている。
しかし、魔王城へ近づくにつれて変わる空気。
漂う圧、魔族の質、殺意の濃さ。魔王は未だ健在であり、魔王の配下達も厳重に守りを固めていた。
そこから先へ連れて行けば、この少年は死ぬ。
そのことを理解した時、胃の奥が重く沈んだ。
ずっと昔に、自分が一度、見せられた景色を。
あの時、カイル様たちもきっと同じものを見ていたのだろう。
この先へ連れて行けば、こいつは死ぬ確実に。
だから、置いていくしかない。
頭では、痛いほどわかる。
なのに、それを口に出すことが、これほど苦しいとは思わなかった。
追放を告げる朝、空は高かった。
やけに昔と似た空だった。
「お前はここまでだ」
言った瞬間、少年の顔から血の気が引いた。
それから、怒りと困惑と悲しみが、一気に押し寄せたように歪む。
「は?」
「これ以上は連れて行けない」
「なんでだよ!」
少年は一歩前へ出た。
その目は、昔の俺と同じだった。
「俺だって行きたい!復讐したいんだ!あいつらを、この手で!」
「駄目だ。これ以上は、お前は確実に死ぬ」
「死ぬ覚悟はある!」
その言葉に、胸の奥がひどく痛んだ。
俺も言った。
あの日、同じようなことを。
死ぬ覚悟はあると。
それでも行きたいと。
「覚悟の話じゃない」
俺は低く言った。
「この先へ行けば、お前は死ぬ」
「そんなの」
少年の肩が震えた。
怒りなのか、恐怖なのか、悔しさなのか、自分でもわからないのだろう。
けれど俺にはわかった。
その全部が混じった顔を、かつて鏡で何度も見たことがある。
「俺は足手まといじゃない!」
その叫びに、心の中では何度も言葉が溢れた。
お前にはまだ先がある。
こんなところで終わるな。
「足手まといだ」
喉が裂けるほど苦しかった。
「ここから先は、自分の身を自分で守れる奴だけが行く場所だ。お前にはその力がない」
生きろと、それだけを言いたかった。
だが、ここで優しさを見せれば、この子は食い下がる。
だから俺は、いちばん残酷な言葉を選んだ。
「ここから出て行け!」
青年の目が揺れる。
怒りと、悔しさと、理解できない悲しみで。
その顔を見た時、胸の奥で、ずっとほどけなかったものが、ようやくひとつに繋がった。
ああ、そうだったのか。
あの日、カイル様たちも。
あの朝の空を、私は最期の瞬間まで忘れなかった。
病床の老人は、わずかに目を開けた。
「カイル様、私を追放した時の気持ち、この時にようやく分かりました」
掠れた声でそう言うと、かつて漆黒の勇者と呼ばれた老人は、静かに目を閉じた。
その顔は、とても優しい笑顔を浮かべているように見えた。
これにて、完結です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
セレスからカイルまで、一人一人描いたのですが、少し間延びしたかなと・・・。
全員出した方がテンポがいいかな?と考えたのですが、一人づつ描いて見ました。
今思うと、感情的な山場がしつこく繰り返されたのが反省点かな?と思います。
また、カイル達との関係性やアルトの立場、エリシアの立場やカイル達との関係性をもっと深く描くべきだったと・・・。
反省点は、山程ありますが、まだまだ作品を書いていこうと思っています。
今回思った事を次回作に繋げていければと思います。
最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。




