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50 影結

 黒い花嫁衣装に身を包んだ。未婚でなくなる雪に、狐面はもう必要ない。


 広間から庭先まで集まる、大勢の忍びたち。全員が真っ黒な忍び装束に身を包み、これが「忍びの儀式」だと心の底から実感する。


 姉と妹の着物にも柄はなく、だからこそ、この式の重さを知った。


「これより影結の儀を執り行う」

 兄が告げた。


「宣誓を」

 その言葉に、雪がすっと息を吸う。指先を膝の前に揃え、御簾で見えづらい兄を見据える。


「霧崎白鴉、ここに誓います。霧崎の名を背負う者として、この家の盾となり、霧崎を支えます。影の道を違えることなく、影とともに在り、影を束ねる者として、この身の全てを霧崎に捧げます」


 丁寧に、一言ずつ、ゆっくり発する。一言ずつ心を込め、その言葉に嘘がないように。

 雪の宣誓が終わり、次は影隼の番。


「我の刃は家のために。命は影のために。影とともに歩み、影の道に違えぬことを誓います」


 短く、端的で、それでいて強い感情が込められた言葉。彼らしいと思った。


「その言葉、ゆめゆめ忘れるな」


 兄が宣誓を受け入れ、

「黒杯を」

 と次の動きが始まる。奥に仕える忍びたちが真っ黒に塗られた膳を雪の前に置いた。


 真っ黒な盃を持つと、白い濁り酒が注がれる。そこに一滴だけ垂らされる墨。少しずつ口に含み、コクンと飲み込む。あまりおいしいものではない。


 続いて影隼も黒杯を受ける。黒く染まる唇が、ぞっとするほど美しかった。


「これにて、白鴉、影隼の婚姻を認める」


 そうして、忍びの祝言「影結の儀」が終わった。




 狐面を見ていた。白梅の柄が描かれた、雪だけの狐面。これまで何度となく守ってくれた、雪の一番のお守り。

 役目を終えたこの面は、これからも宝物として取っておくことにした。


「白鴉様」

 襖の奥から聞こえた声に、振り返った。


「入ってください」

 もう名乗りを聞く必要はない。すっと開けられた襖の奥に、浴衣姿の彼がいた。


「失礼いたします」

 相変わらず堅い姿勢が抜けない彼に、

「座ってください」

 と隣を勧める。


「今日は月が綺麗なんです」


 空に浮かぶのは、丸い満月。明るく照らし出される和風庭園は幻想的だった。

 隣に座っていながら、新婚夫婦の間に会話はない。でも、不思議とその無言は嫌じゃなかった。


「白鴉様」

 その沈黙を破ったのは、影隼の方だった。


「以前、俺の名前の話をしました」

「はい」


 忘れてはいない。


「忍びの訓練を受けている時、俺は13番と名乗っていました」

「はい」

「外の学校に通っている時は、勝村秀一でした」


 それは、彼の名前の歴史。本名を名乗ることが許されない世界で、いろんな名前で生きてきたという証。


「忍びになる時、先代のご当主様に影隼という名前を頂きました」


 その名前をもらったことがきっかけで、彼は雪の父を尊敬していたと教えてくれた。


「そのどれも、本名ではありません」

「……うん」


 本名を誰にも呼ばれない気持ちというのを、雪は知らない。


「奥では、本名を名乗っていいと言われました」


 あっと思った。


「俺の名前を呼んでくれますか」


 忍びの世界で本名を教え合うという行為は、最大限の信頼の証だ。


「教えてください」


 雪の答えに、彼はゆっくり口を開いた。


「隼斗です」


 胸がいっぱいになる。彼からの信頼を得た喜びに、心が震えた。


「はやと、さん」


 影隼という名前。「隼」という漢字を使った父の判断が、彼をこの場に連れてきてくれた。


「わたしは」


 もう迷う必要はない。白鴉という名前も大好きだが、この人に呼ばれることで、名前が意味を持つ気がする。


「雪」


 静かに、胸を張って、そう告げた。


「雪です」


 白鴉でいる必要はない。少なくとも、この場でだけは。


「雪さん」


 彼の声でその名前を呼ばれると、胸がきゅうっと締まった。


 好きだ。この声で呼ばれるのが。この人が。この感情ごと愛したいと思った。


 言葉は必要なかった。春の温かい風とは別の、優しい温もり。父を失った冬から感じられなかった全身を包むあの温もりを、今、感じた。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


雪にとって「雪」という名前はコンプレックスでした。初恋の人に呼ばれ、家族に愛されていても、実母につけられた傷のように残り続けた。

その名前を隼斗に明かした時、雪はひとつの壁を超えたのだと思います。胸を張って「雪です」と言えた瞬間、その瞬間を書けたことが、とても嬉しいです。


50日間、毎日更新にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

雪たちの人生はこの後も続いていきますので、その続きを書く日が来た時、また読んでいただけたらと思います。

また、どこかの物語でお会いしましょう。

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