16 声のない決意
落ち着いた色のワンピースを選んだ。顔には狐面をつけて。渡り廊下を抜けた。
「お父様、白鴉です」
表の場で、本名を名乗ってはいけない。父の執務室に入ると、そこには見慣れない男女がいた。
「白鴉は初めてだったね」
兄がそう言って、隣に座るように言う。
「父上の側近の方々だよ。お祖父様の代から仕えてくれているろうかく、父上とは若い頃から付き合いがあるげんこ、女性忍びをまとめてくれているせいれい。忍びについて決める時に、父上が必ず相談する3人だ」
本名じゃない、影名だとわかった。
「朧鶴と申します、白鴉様」
老齢でありながら、真っ直ぐに背筋が伸びた男性。祖父の代から仕えているというだけあって、貫禄がすごい。
「玄虎と申します」
父の影名が玄狼だから、それと対をなす影名だ。おそらく父と同じ年頃。忍びになる頃には、もう父を支える人間と決められていたのだろう。
「蜻蛉と申します。白鴉様、ごきげんうるわしゅうございます」
ふわりと微笑む女性は、どこか母性のようなものを感じる。指の先までピンと伸びた、綺麗な所作に思わず目を奪われた。
「よろしく頼みます」
父の側近というだけで、気後れしそうになる。でも、間違えてはいけない。この場において、雪はどちらかというと上位の方だ。用意された席の位置がそれを表している。
堂々とした挨拶に、
「ご立派ですな」
と朧鶴が満足そうに笑った。
間もなく姉と妹も来て、話し合いが始まった。
「蒼刃様のご婚約者候補となられるお方は、こちらになります」
玄虎が中央に大きな和紙を広げる。顔写真、略歴、性格などが書かれたものだ。全員で見るならこれくらいの大きさは必要だろうが、少しだけ恥ずかしい気持ちになる。自分が見られているわけではないのに。
「反対です」
そう告げたのは、姉。広げられた紙を見ることもなく、真っ直ぐに前だけを見ていた。
「理由は」
それを、父は咎めなかった。
「前例がありません」
はっきり告げる声に、父が玄虎に視線をやる。
「5代前の伴侶は、外からいらっしゃった方でした」
紅霞の言葉を否定する材料を持っているのは、玄虎か。おそらく父が用意させたのだろう。
「過去にも数人、そうした方がいらっしゃいます」
「裏切られた例は?」
姉は全く動揺していなかった。それを見透かしているかのように。
「……霧崎家が裏切られたことは」
「当時の当主を裏切っていれば、同じことです」
何か過去に事件があったのだろうか。雪が知らないところだ。
「それも、決して多くはありません」
「たった一例でも、外の人間が当主に忠誠を誓えなかったということに変わりはありません」
姉の毅然とした姿勢が好きだ。でも、少し苦しそうにも見えた。この家に縛られているのは、きっと楽なことではないだろう。
「この方が卒業された学校は、有名なところなのですか?」
このままでは埒が明かないと、詩乃が話題を変える。
「国内でも有数の名家の子女が通う学校です。礼節なども教わると」
「お兄様のご伴侶として、相応の礼節はご存知の方なのですね」
雪でも聞いたことがある学校だ。お嬢様学校として有名だったところ。本当に通っている人がいるとは思わなかった。
「お父様」
それを遮るように、姉が声を上げる。
「外の方と縁を持ちたいなら、慣例に倣ってこちらから嫁を出すべきです。わたしや白鴉、橙鶯もいるではありませんか」
「……!」
ビクッと肩が震えた。政略結婚による縁組。その可能性はわかっていたが、雪には関係ないと思っていた。父も兄も、悠真との関係を認めてくれているのだから。
でも、場合によっては、雪がこの家を出ることだってあるかもしれない。それが、怖かった。
「高野家の嫡男はもう30を過ぎている。紅霞でも年が離れすぎているよ」
姉はちょうど20歳。30を過ぎた男に嫁ぐというのは、確かに抵抗があるはずだ。
「かまいません」
しかし、姉はそれを突っぱねた。
「それが霧崎のためというなら、わたしは喜んで嫁ぎます」
霧崎の娘としての姉の覚悟。こうなりたいと思っていたはずなのに。心のどこかで、政略結婚は嫌だ、と思ってしまう。そんな自分が嫌だった。
「ご当主様は、今代において、外とのつながりは重要視されていません」
玄虎が静かに口を開いた。
「ここ数代にわたって、霧崎家のお嬢様が外に嫁ぐという例が続いています。今代は内側のつながりを重要視すべきだとお考えです」
初めて父の考えを聞いた気がした。娘を嫁にやりたくない、という私的な感情だけではない。当主としての合理的な判断なのだろう。
「ではなおさら、次代の当主の妻は忍びであるべきです」
姉の声がさらに大きくなる。
「……お兄様は」
その中で、ようやく雪が声を出した。
「どう、お考えですか?」
ここまで来て、兄が自分の意見を言わない。何を考えているのか、全くわからなかった。
「父上のご判断に従うよ」
「そうではなくて」
父の意思じゃない。兄の意見を、聞きたいのに。
「お兄様ご自身がどう考えていらっしゃるか、お聞かせ願えますか?」
お面を通して見た兄の顔は、疲れて見えた。きっと、この件について頭を悩ませているのだろう。数日は眠れていないかもしれない。それだけ考えた結果を、聞きたかった。
「……僕は」
兄が戸惑いながら口を開ける。
「霧崎を継ぐ者としての責任を果たしたい」
それだけだった。精一杯考えて、どちらが正解かなんて、兄にもわからないのか。父の判断にゆだねたい気持ちがわかる。
「まぁまぁ」
それは、側近のひとり、蜻蛉の声だった。
「外のお方ということは置いておいて、一度この方を知ってみませんか?」
そうだ。せっかく広げられたプロフィールを、ほとんど見ていなかった。
「有名な学校を卒業されて、現在は会社員。その傍ら、ご実家の神社のお仕事もされているとか。素晴らしい方ですね」
「容姿も派手過ぎず、清廉な印象を持ちますな」
側近たちからの印象は良さそう。
「紅霞様がご心配なされている忠誠心というところでは、訓練生に渡す腕時計を渡して様子を見る、でも良いかと思いますが」
「隔離期ということですね」
蜻蛉の提案に、詩乃が同意する。確か、入門したての人間には盗聴器やGPSがついた腕時計をつけさせる。それで忠誠を測るのだという。
「その間、どこに置くのですか?」
しかし、姉の声はまだ硬かった
「仮にも顧客のご令嬢。修行のためにお預かりするわけでもないのに、訓練生たちと同じ宿舎に?」
「奥ではいけないのですか?」
雪が疑問を口にしてみる。直後、この質問は無知すぎたか、と後悔したが、言ってしまったものは仕方がない。
「奥の構造は、限られた者しか知り得ない。それは、敵による占拠を防ぐ目的もあるのですよ」
古いお城の構造のようだと思った。敵に攻め入られないように複雑な工夫をした、と聞いたことがあったから。
奥に仕える使用人も多くはなく、渡り廊下を自由に行き来できるのは霧崎直系の人間だけ。多くの忍びたちが奥に立ち入ることを許されていない。
「見張りをつけておけば……」
「懐柔される可能性は?」
雪の意見なんて、姉は軽く覆していく。雪が思いつく程度のことは、既に姉の中で検証されているのだろう。
「そこまで」
ようやく父が告げた。
「お前たちの意見はわかった。再考する」
話し合いは終わり。あとは父の判断に任せるしかない。
赤い模様のお面の下の姉の表情がわからなくて、怖かった。




