母が舞い降りた意味と光輝の次なる一歩
光輝と結姫の二人が近江神宮の夜の暗い境内の道を歩いて岐路につく。日中でもけっこう薄暗いため、夜はかなり暗い。手持ち無沙汰の光輝がスマホのライトで照らして、それを頼りに進む。
「ゆき姉、怖くない?」
「へ、平気よ!」
暗くて、よく見えないが、声のトーンからして、平気ではなさそうだった。結姫はホラーや怪談話といったものが苦手なのだが、こういった人気の少ない山の夜道はけっこう怖がるタイプだったりする。
(まぁ、道路まで出れば、マシにはなるだろ)
光輝がそう思って歩いていると、ジリジリジリジリ!!と地面に落ちていたセミが二人が歩いたことによる地面の振動で驚いたのか、激しい鳴き声が境内に響いた。
「キャアァァァァァァァッ!!! セミッ!!」
「いや、ゆき姉の声にびっくりだよ!!」
そんな感じで近江神宮の境内を抜けて、結姫も平静を取り戻した。しかし、光輝はなにか別の疲れを感じていた。
7月下旬では夜中でも蒸し暑さはあるものの、日差しがないだけでだいぶ暑さは和らいだ感覚がある。これなら、問題なくJRの大津京駅まで歩いて行けそうだ。
15分ぐらい歩いて、駅に到着して、冷房の効いた待合室で二人は一息ついた。その中で結姫が切り出す。
「ねぇ、みーくん」
「ん?」
「決勝の中盤ぐらいだったかな。突然、取りが変わったよね。まるで、痛みがあることを忘れたかのように……」
「うん、ゆき姉の予想通りだと思う」
「ということは?」
「この手の痛みで思うように取れないし、クイーンはやっぱり強いしさ。相手陣の札が10枚ぐらいになった時に『このままで終われるか!』って思ったんだ。そしたら、急に痛みを感じなくなってさ。よく、スポーツ選手がアドレナリンが出て痛みを感じなくなったとか、ゾーンに入る的な話あるけど、俺の中ではそんなんじゃないって感じで…………」
光輝から紡がれる言葉を聞いて、結姫が黙って頷く。
「頭も不思議とクリアで、次の出札がわかってたわけじゃないのに、なんか出札へと導かれるように手が動いてさ。信じられないかもしれないけど……」
「ううん、私にもそういう風に見えてたから」
「そっか、ゆき姉は信じてくれるか」
と、同時に結姫は光輝のその時の感覚がどういうものに守られていたのか自分ではわかっていないことに気が付いた。そして、結姫は自分のポーチに入れていた近江神宮のやや色のぼけた桃色の「幸福守」と書かれたお守りを取り出した。
「それ、持ってきてたんだ」
「私もみーくんにあやかってね」
自分が試合をするわけじゃないのにと光輝はお節介に感じたが、結姫のその心遣いがなんかうれしかったのだった。
「今日は普通にみーくんが少しでもいい結果を残せたらいいなと思ってたんだけど、決勝は手がこんな状態だし、とにかく、無事に試合が終わってくれたら……って、強く思ったの。
その直後かな。みーくんが『かぜ』の札を渡り手で素早く取って……ちょうど、あの前後ぐらいじゃない? みーくんの腕の痛みが感じなくなったのって」
「そうだよ、なんか、あのぐらいから手が勝手に動いて、痛みも感じなくなって……」
「ねぇ、こっちの方が信じられないかもしれないんだけど、その時、私にはみーくんの体、うーん、背後かな? オーラみたいなのがみーくんを守ってるように見えたの」
「あー、たしかにあの時、あたたかい何かに包まれた感覚があったよ」
「あたたかい何か、か。そのオーラ、まるで月子さんだった」
「え、母さん…………?」
「今、思うと、幻か目の錯覚だと思うんだけど、その時は月子さんがみーくんを守るように、力を与えてるように見えたわ。でも、こうして振り返ると、あながち幻でも目の錯覚でもないような気がして…………みーくんも持ってるでしょ?」
「う、うん……」
結姫にそう言われて、光輝も自分のシャツの胸ポケットにしのばせている青色の「幸福守」をおもむろに取り出した。
「これ、月子さんが近江神宮で授かったものを10年前の小中学生大会の時に私とみーくんの二人にって、贈ってくれたものでしょ? だからね、ずっと頑張ってるみーくんに近江神宮の神様がご褒美にって、月子さんを呼び寄せたのかな。舞い降りた月子さんがみーくんに不思議な力を与えた。あとね…………」
「…………」
結姫の荒唐無稽な話を光輝が黙って聞き、後の言葉を待つ。
「月子さんはみーくんに“さよなら”を言いに来たんだと思う」
言葉を紡いだ結姫の声は震えていた。今にも溢れそうな涙を抑えて。
今、彼女づてで伝えられた母親からのメッセージを聞いて、光輝の脳裏には生前の母親の記憶が映し出された。
試合をする光輝を心配そうに見守る姿、
勝ったら自分よりも大はしゃぎで喜んでくれた姿、
練習でゆき姉や大人たちに負けて悔しかったら、あたたかく抱きしめながら慰めてくれた姿、
そんな母親が好きで、そのためにかるたをしていた。
そんな記憶を振り返って、今日も満身創痍の自分に力を貸してくれたのが母だと気づいたとき、光輝の瞳にぶわっと熱いものがこみあげ、それはすぐに決壊し、頬を熱いものが流れ落ちた。
「うぅっ…………! 母さんっ…………! うっ……うぅっ……!」
光輝はその瞬間、顔を両手で覆って、項垂れて嗚咽を盛大に漏らした。
7年前に母親である月子が急死した時、結姫とその母親は光輝の分まで泣いた。
だが、光輝は当時は泣かなかった。いや、あまりにも突然の別れで受け入れることができず、泣けなかった。今、光輝はようやく母親の死と別れを受け入れ、7年分の涙をとめどなく流していた。
項垂れたまま、嗚咽を漏らしながら泣き続ける光輝を結姫は悲しそうに見つめる。そして、小さな子どもをあやすように丸まった背中をトントンとやさしくさする。
「私、月子さんと約束したから。ずっと、みーくんの味方でいるって…………」
「うぅっ…………! ゆき、ねぇ…………っ! ぐぅっ……うっ……!!」
「私がいるからね。私がずっと、いるからね……!」
隣で様々な感情が入り混じった涙を流す光輝を近くであやしていた結姫も月子との思い出がある。彼女もそれを思い出し、溜めていたものが頬をつたって流れだし、涙声で言葉をかける。
「今はいっぱい涙を流してあげて……これまで泣けなかった分も泣いてあげて……っ!!
でも、いつかは笑おうね。いっぱい笑おうね……っ! 月子さん、きっと、それがなによりうれしいはずだから…………」
涙と笑顔が入り混じったあたたかな笑顔で結姫が話す。
光輝は今、ようやく自分が結姫にどれだけ支えられていたかを実感した。待合室の冷房の無機質な風が二人の体を冷やすが、その分、ぬくもりを感じながら、これまで清算しきれなかった過去を洗い流していた。
この日、光輝は伝説ともいえる鮮烈なA級デビューを果たした。
しかし、それは母親の別れを受け入れ、ようやく次なる人生の一歩を踏み出した日でもあった。
ここまで、読んでいただきありがとうございました。区切りとしてはいいタイミングかなと思います。
個人的には総文祭とクイーン位の西日本予選あたりまでは書きたいかなーと思っています。




