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夜は深まり,空には数多くの星が輝き始める。

別荘に戻った後,レーヴェはオリヴィアの傷の手当てを行った。

不老不死だというのに,その辺りの心得はある。

掠り傷だから必要ないと言っても,彼は首を振るだけだった。

自分のせいで傷を負ったのだと,やたらに責任を感じているのだろう。

そんな二人の手当を見届けたジェイドに,この場に留まる理由はなかった。

掛けていた眼鏡を整えつつ,背を向けて夜の森へと歩き出す。

既に姿形も元の人間に戻っていた。


「俺はまだ,諦めた訳じゃない。この呪われた身でも,人々に認められることを証明してみせる。貴方達の力を借りずともな」

「……強いな,君は」

「ふ……。貴方にそう言われると,皮肉にも聞こえるが……まぁ,素直に受け取っておこう」


最早,レーヴェに固執することもないらしい。

しかし彼は以前,オリヴィアの素性が周囲に知れる可能性を仄めかしていた。

ルーファス家の中で,今回の一件を話さないとは限らない。

するとジェイドは,一度だけ二人を見返して言った。


「安心しろ。二人の正体を広めるつもりはない。言った筈だ。俺は不必要に周りを貶める真似はしない」

「……ありがとうございます。ジェイドさん」

「精々頑張ることだな。貴方の呪いは,俺が知る限りで最悪と呼べるものだ。それを持って,どれだけ平穏に生きられるか。自分で確かめてみろ」


彼は励ましとも取れる言葉を投げ掛けるだけだった。

自身よりも深刻な呪いを持つオリヴィアに,多少なりの憐みがあったのかもしれない。

次いで,今までずっと沈黙していたナタリアにも声を掛ける。


「ナタリア・トライドール。今回の件は不問にする。その方が,お前も都合が良いだろう?」

「……でしょうね」

「お互いとんだ骨折り損だったが……折った骨は自分で拾っておけ。次に会う時は,敵同士だ」


敵対する相手であっても,今回ばかりは見なかった事にするようだ。

この森には何もない。

呪いを持つ者が住んでいるという噂は,単なる噂に過ぎない。

それが人の世で生きることを選んだ彼の矜持だった。

別れの挨拶もなく,ジェイドは森の中へと消えていく。

その姿をオリヴィア達は無言で見届ける。

残されたナタリアも,深く息を吐いてから二人に向き直った。


「レーヴェ様,私も帝国に戻ります。もう会うことも,私の名を聞くこともないでしょう」

「まさか……」

「いえ,命を絶つ気はありません。あの人と同じように,貴方達のことは忘れて,また一からやり直していくつもりです」


以前のような覇気や活気は,今のナタリアからは感じられない。

当初は魂が抜けた様な有様だったが,色々と割り切ることが出来たらしい。

彼女の瞳には,僅かに光が宿っていた。


「私にもっと非情さがあれば……町の人達全員を魅了して襲わせる,なんてこともしたかもしれません」

「……」

「でも出来なかった。それだけは,人として踏み越えちゃいけない気がしたんです」


レーヴェは少しだけ悲しそうな顔をするだけだった。

それ以上のことは何もせず,何も語らない。

余計な言葉は,彼女を傷つけるだけだと思ったのだろう。

ナタリアもそれを分かっていたのか,オリヴィアの方を見て,深々と頭を下げた。


「ごめんなさい,オリヴィアさん。怖い目に遭わせてしまって。謝って済む問題ではないけれど,謝らせて下さい。本当に,ごめんなさい」

「いえ……貴方を死なせたくなかったのは,本当の事よ。それに気付いてくれて,良かったと思うわ」

「……嘘でも,嬉しいです」


僅かにナタリアは笑う。

直後,夜の風が三人に吹き抜けた。

その風に流されるように,彼女は歩き出す。

ゆっくりと,それでいて地を踏みしめるように進み,天を仰ぐ。

星々が光る空を見て,小さく呟いた。


「私も,少し探してみようと思います。この呪いから生まれる偽物ではなくて,互いを思いやることの出来る,本当の想いを」


表情は見えない。

ジェイドが辿った道を追うように,闇の中に消えていく。

魅了の呪いを持つ彼女は,生まれ故郷を捨てることなく,本当の居場所を求めて生きていくのだろう。

二人の来訪者が去り,レーヴェは口を開いた。


「二人は根っからの悪人じゃない。色々な経験を積んで,複雑になっただけなんだ。あまり,責めないであげてほしい」

「勿論よ。これは,私にも言えることだから」


オリヴィアも,彼女達を非難することはない。

内に宿る死の呪いを自覚しながら,自身の掌を見つめた。


「少しでも間違っていたら,私はあの二人より酷いことになっていたかもしれないわ。今ここにいられることを,当たり前にしてはいけない」


オリヴィアの存在は,あの二人以上に危険なものだ。

やり様によっては,一国すら滅ぼすことが出来る。

もし歯車が狂っていたら,他者から兵器のように利用され続ける奴隷のような日々を過ごしていたかもしれない。

故にオリヴィアは,この数日に起きたことを決して忘れることはない。

こうして生きていられる奇跡を,大切にしなければならない。

彼女は隣にいるレーヴェを見て,湖畔での出来事を思い返す。

それから少しもじもじとした後,問い掛ける。


「……ねぇ」

「うん?」

「私が寿命で死ぬ時,レーヴェも後を追う。でも,その頃には私はお婆ちゃんになっていると思うわ。それでも……良いの?」

「勿論さ」


レーヴェは真っ直ぐにオリヴィアを見上げた。


「それが精一杯生き続けた姿なら,美しく生きた証なら。例え君が老いていようと,僕は君のことを美しいと……いや,愛おしいと言えるよ」


躊躇い一つもない,純粋な言葉と思いが彼女の胸を打った。

共に生きて,共に死ぬ。

それが今の彼女にとっての幸福だった。

思わず,オリヴィアは彼の身体に抱き締める。


「ん,どうしたんだい?」

「ううん,何でもないわ。急に,こうしたくなっただけ」

「甘えん坊だなぁ」

「う……。べ,別に良いじゃない……」


衝動的な行動に羞恥心を覚え,直ぐに彼女はレーヴェから離れる。

未だに彼の温かさが腕の中に残っている気がして,背も向ける。

頬が紅潮する感覚を抱きながら,声の調子を整えた。


「こ,今度からは,私もレーヴェの誕生日を祝うわね」

「え? 僕の?」

「駄目?」

「……いや。そう言えば,もう拘る必要もなかったか」


誤魔化すような唐突な提案だったが,これはオリヴィアが前々から考えていた事だった。

自分だけが祝われるのは納得がいかない。

誕生日は,己が生きた年を祝うもの。

永遠の時を生きる必要のなくなったレーヴェに,祝いの日を拒絶する理由は無い。

その証拠に,彼は少しだけ嬉しそうだった。


「そうか。こういう事も,いつの間にか忘れていたんだな……」


あまり感情を表に出さない彼が,そんなことを言う。

今まで止まっていた時が,ようやく動き出したのだとオリヴィアは実感する。

それが何だか嬉しくて,愛おしかった。


「さ,そうと決まったら,早く家に戻りましょ。明日からは,また仕立て屋の再開ね」

「精が出るね」

「他人事じゃないわよ? レーヴェにも,これまで以上に頑張ってもらうんだから」


今度は自分が,生きる糧になろう。

あの時手を差し伸べられた時と同じように,レーヴェを導こう。

そう決心し,オリヴィアは踵を返して玄関の中へと入っていく。

彼も目を細めながら,彼女の跡を追う。

そうして今まで暗かった別荘の窓に,温かい光が灯った。


それからというもの。

深窓の仕立て屋としての活動は,順調に進んでいた。

店員として働くレーヴェも,それは同じである。

もう呪いに関する情報を集める必要もない。

一歩距離を置いていた接し方も,少しだけ変わっていく。

周りの人々も,彼の様子が変わったと気付く程だった。

何か良い事でもあったのかと言われた,と話すレーヴェを見て,オリヴィアも少しだけ嬉しく思った。


仕立て屋の評判は,上々だった。

迷いが消えたこともあって,オリヴィアの実力にも磨きが掛かっていった。

更にその才能を見込んだ者が,大金を注ぎ込んで自分達の元に引き入れようとしたこともあった。

しかし,オリヴィアもレーヴェも,それはハッキリと断った。

自分達の正体が表沙汰になればどうなるか,忘れた訳ではない。

既に自分達は死んだ,亡霊のような存在。

今こうしていることが最善であり,最良なのだ。


何れ,二人の存在に気付いた者が現れるかもしれない。

ジェイド達と同じく,強大な呪いを利用しようと魔の手を伸ばしてくるかもしれない。

それでも彼女達は二人で生きていく。

例えどんな困難が待ち受けていようとも,手を取り合って立ち向かう。

それこそが美しく死ぬ事に繋がるのだから。


「おかえり,レーヴェ!」


とある日の夕暮れ。

帰宅に気付いたオリヴィアが,仕事部屋を出て玄関まで出迎える。

屈託ない彼女の言葉を受け,いそいそと現れる少年の姿があった。

もう,彼は孤独ではない。

命を絶つ事ばかりを考えていた以前と違い,活気に溢れた意志を感じさせる。


「ただいま,オリヴィア!」


その少年,レーヴェはにっこりと笑う。


彼が今,何を思っているのか。

今でも死を願っているのか。

オリヴィアが聞くことはない。

ただ一つだけ分かるのは。


彼は今を精一杯生きている,ということだけだった。




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