019話 愛しのシルバーソード(黒猫まっしぐら)
▼大陸暦1015年、双頭蛇の月4日
「ここは何処なのでしょうか。迷ってしまったようですね」
「なんという白々しい棒読み」
粗末な建物やもはや家と言えないような藁を被せただけの天幕が立ち並ぶ貧民街。
そこを歩くドレス姿のセレスティナと侍女服のクロエは、目を疑うどころか正気度を疑うレベルで場違いだ。
今日のセレスティナは、目立つ銀髪をアップに纏めてつばの広い帽子に押し込め、ストールを肩に掛けて外交官バッジも隠してあり、本人的には変装のつもりらしい。
「この宝石を、早くあの方にお届けしなければいけないのに、困りました」
下手な台本のような台詞を口にしながら彼女は、腰に吊るした皮袋を大事そうに撫でる。言うまでもなく誘い受けである。
今のところは特に明確な目的や戦略の下に動いてる訳ではなく、まだこの街に入ったばかりで他に出来ることも殆ど無い為、こうやってひたすら歩き回って情報を集めたりトラブルを利用して伝手を増やしたりするしかできない段階ということだ。
そんな訳で、この日も彼女は朝早くから街のあちこちに足を運び、その殆どを空振りに終わらせていたところだった。
早朝の大通りを歩く老人に声をかけて世間話に付き合わされたり、カジノに向かってみたら朝は閉まっていたり、貴族とコネを得る為に豪華な馬車に体当たりをかまそうとしてクロエに全力で止められたりと、行動力が結果に結びつかない残念な時間を過ごしたのである。
羽交い絞めにされつつ彼女は「手っ取り早く顔見知りになるには曲がり角でぶつかるのが最適解なんですー!」などと意味不明な供述をしており、クロエ諜報官の心労が絶えない。
それはさておき、こういった一見無駄足と見える行動であっても繰り返すうちに少しずつ成果に表れてくるものだ。例えば当たる確率1パーセントのクジがあったとして、初回で当たりを引くのは奇跡に等しいが100回引けばむしろ一度も当たらない方が運が悪いと言えるのである。
「――来るわ。注意して」
あまり清潔でない空気に嫌気を感じてきた頃、突如クロエが鋭い小声で注意を促す。
そして、セレスティナが気配に気付くと同時に、攻防は決着していた。
路地の闇に紛れてセレスティナの腰の皮袋に熟練の速さと正確さで伸びてきた手、その手首をクロエが素早く掴み、何時の間に抜いたか反対側の手で握った軍用ナイフを哀れなコソ泥の喉元に突きつけていたのだ。
「くそっ! 放――」
「動くな。それと大声も出すな」
黒の瞳に射殺す程の殺気を迸らせ、低い声でクロエが言う。捕まえた相手は背の高い痩せた男で、髪も髭も手入れが行き届いていない不精な身なりだったが、目つきだけは歴戦の傭兵を思わせる油断の無いものだった。
「ようやく、今日最初の“当たり”ですか。別に取って喰おうって訳じゃなくできれば取引がしたいだけですので、場所を移したいのですが良いですか?」
この場にそぐわない華やかな笑顔で告げるセレスティナに、男は勿論断れるはずもなかった。
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その男、ザックという名のコソ泥の家……と言うよりは寝床に案内され、椅子すら無いので床板に直で3人が三角形を描くように座る。
「茶も用意出来ねえが、諦めてくれ」
「いえ、招かれざる客という自覚はありますのでお気になさらず。それで取引の件ですが……」
そう言ってセレスティナは皮袋を広げる。中には銀貨や小銀貨や銅貨等の貨幣が大量と、その硬貨の山の頂上に鎮座する血のような赤さをたたえた大きな宝石が一つ。
「裏組織『金鹿の尖角』の情報をありったけ売って下さい。情報量はこれ全部です」
「俺に、組織を裏切れって言うのか?」
「こんな所で貧乏暮らししている時点で、組織から大事にされてるとも思えませんが」
「他に行ける所も無ぇからな……」
ザックが語った所によると、彼も昔はそこそこの探索者だった。そこで名を挙げたことにより『金鹿の尖角』のスカウトを受け“専属”へとなった訳だが、とある裏仕事に失敗してパーティが壊滅、彼以外のメンバーが皆返り討ちに遭ったと言う。
「俺一人、命からがら逃げ出したんだが、一度裏に入っちまうともう表には戻れねぇ。どこのパーティも受け入れてはくれねぇし、単身じゃあマトモな仕事にもありつけねぇ。人生詰みって訳よ」
「そうなんですか……」
確かに、先程のスリの時の動きはクロエだからこそあっさり捕まえられたが客観的に見ても熟達した技で、探索者崩れということに素直に納得できる。
「ただ、私達の方も仕事で来てますから、今は人情話より情報が必要なんですよ。差し当たり、言える部分だけ全部教えて貰って報酬もそれに応じて支払うというところでどうですか?」
「……そうだな。あんたらが何を知りてえのか、まずはそれから教えてくれ。あと、あんたら何者だ? ただの貴族のお嬢様じゃあ無えよな?」
「そうですね、人身売買の実態を調べる捜査官、みたいなものと思って下さい」
人間による魔族の拉致問題は外交の最重要課題であるので間違ってはいない。
ともあれ、硬貨の山による欲望刺激策が功を奏したか、情報収集は当初思ったよりスムーズに始まった。
「……そうすると、盗品売買や人身売買に参加するには特別な会員証が必要なのですね?」
「ああ。場所は『金鹿』が経営してるカジノの奥なんだが、そこに入るには会員の紹介が要る。国の目も誤魔化さないといけねぇからただカネを積んだだけで入れるってもんじゃねぇな」
ザックの語った情報、そして語らなかった箇所から推測した情報を総合すると、『金鹿の尖角』は予想通り、暗殺や誘拐や人身売買や違法薬物等も含めてほぼあらゆる形態の悪事に手を染めているそうだ。そしてその悪事に加担する探索者も多く囲っている。
それら違法事業の中でも最も闇の深い位置にあるのが、国宝を含む盗品売買やオークションと人身売買で、これらの取引はカジノの奥にあるシークレットエリアで極一部の共犯者にのみ解放されると言う。
「ザックさんが紹介して下されば入れるんですよね?」
「…………高くつくぞ」
彼の言葉にセレスティナは、一際強い輝きを放つ赤い宝石を取り上げた。
「この宝石はとある魔獣の額から取られた物で、魔力を含んでいます。観賞用のみならず魔道具の触媒なんかにも使われる高価なものなんですよ。最低でも金貨20枚、いや25枚は下らないと思います。これでどうですか?」
彼女の言葉にザックはしばし考えて。
「…………そうだな。じゃあこれからカジノに売りに行くか。もし本当に金貨25枚以上で売れたらその場で紹介してやろう。但し、25枚に満たなければその時はカネだけ頂いていくぜ」
「盗品売買の現場見学ですね、良いでしょう。じゃあ出発前にあと一つだけ」
既に日は暮れかけており、これからカジノが賑わう時間だ。情報収集を終えるに当たりセレスティナは最後の質問を繰り出した。
「ザックさんは、人身売買に加担した事はおありですか?」
「……ノーコメントだ。だが、あんたみたいな貴族のお嬢ちゃんが売られる現場に居合わせたことならある」
「東の国の、魔国テネブラの住民に手を出したことはありますか? 特に獣人さんとか」
「いや、魔界に行って帰って来れるのは一握りの実力ある連中だけだからな。俺達は専ら王都周辺専門だ」
魔国テネブラは国民皆兵を掲げており、軍務省主導の下で一般市民を対象にした戦闘訓練なんかも定期的に実施していて、普通の職人や商人や主婦でもそれなりに戦える。
訓練の主な目的は魔国に多く棲む魔獣からの被害を最低限に留めることであるが、その戦闘力は当然、侵略を企てる人間に対しても遺憾なく発揮されるのだ。
また、魔国に住む多種多様な種族がそれぞれの得意とするフィールドや時間で戦いを仕掛けてきた場合、その脅威度は通常よりも遥かに高くなる。
特に、サングイス公爵率いる吸血族の部隊は夜戦最強と言われており、夜営中に彼らに襲われたなら半日後には無残に干からびた死体を多数朝日に晒すことになるだろう。
但し、吸血族は生来の引きこもり体質にして昼間は役立たず以下の存在なので外征には参加できず防衛専門なのであるが。
このように防衛能力の高い危険な地域であるので、大軍で攻めるよりもむしろ少人数でこっそり侵入して身を隠しながら目的を達成し速やかに退去するのが最近の密猟者の主流である。
「それに、首都から魔界は遠すぎる。魔界に“遠征”に行く連中の本拠地は大抵東の国境付近の都市にあるもんだろうな」
「なるほど……ありがとうございました」
考えてみれば当然であるが、首都からだと魔国までに相当の距離がある。従って魔国に密入国して資源や住民を奪うような勢力は国境近くに集中するのも想像に難くない。
この王都に居ると思われる囚われの獣人奴隷達も、一旦東の都市に連れて行かれたのを買われたということかも知れない。
「やっぱり、この問題を解決するには国の協力が必須ですね」
国内にどんな都市があるのか、そこに至るまでの情報網や交通網はどうか、それを押さえない限りは国内各地に散らばった魔族奴隷の情報を集めたり身柄を保護したりするのは到底無理だろう。
改めて、早くそして有利な立場で条約を結ばないと、そう思うセレスティナだった。
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「――であるから! この場所には国庫から盗難された国宝が持ち込まれているという疑いがある! 一度検めさせろと言ってるのが分からないのであるか!」
「申し訳ございません。騎士様といえども、この先は立ち入らせるなと上からのお達しでして」
「目撃証拠も挙がってるのであるぞ! 盗品の遣り取りは重罪であると、それを分かっているのであるか!」
「そうは申されましても、証拠なんて幾らでも捏造可能ですし、それに“落し物を拾ったらもうその人の物”というのはスラムの掟のようなものですし」
大金と欲望が渦巻く賭博施設、カジノ。虚栄や虚飾に覆われた偽りの華やかさ溢れるその空間にセレスティナ達が入って来た時、受付の方で何やら揉めていた。
騎士らしい金属鎧の青年が受付嬢に詰め寄っているのだ。盗品売買がどうこうということで、恐らくは王城から消えた国宝の行方を追っていた騎士がここに行き着いたのだろう。
「第一、仮に盗品だったとしてもそれは盗んだ人の罪であって正規に購入した私どもには関係の無い話ですわよね? とにかく他のお客様のご迷惑になりますのでお引取りを願います」
「うわ! 待て貴様ら! 王家に盾突くつもりであるか! ――!」
受付嬢が手で合図をすると数人の大柄な男たちが集まり、その騎士を乱暴に外へ連れ出し、放り捨てる。
その様子を見届けた彼女は、受付嬢の顔から女盗賊の顔に一変し、粗野な口調で愚痴を吐いた。
「やれやれ、まだあんな青二才が居るなんて、城の方も教育をもっと徹底させとけっての。次は川に浮かぶよ、いやあの鎧だと沈むか」
これも先程ザックに聞いた話になるが、『金鹿の尖角』は王城の有力者にも協力者、或いは脅迫していい様に利用している有力者が居て、彼らの権威が及ばない言わば治外法権のような有様になっているのだった。
そんな中、セレスティナ達の来訪に気付き慌てて笑顔を作る受付嬢。
まずザックが合言葉を口にして裏の受付へと案内を受け、「拾い物だ。買取の査定を頼む」とバニースーツ姿のお姉さんに宝石を見せた。
「これは、まあまあ悪くないルビーですね。金貨15枚というところでどうですか?」
「え? この宝石がルビーだと思ってるんですか? 視力検査受けてきた方が良いですよ? これは希少な魔獣カーバンクルの額の魔石です。特別保護種に指定されてますので自然死したのを偶然見つけるしか今は手に入れる手段の無いものなんですよ? 金貨50枚ってところですね」
流石に裏稼業相手は隙を見せるとあっさり食い物にされかねない。安く買い叩こうとする裏の受付のお姉さんと高く売ろうとするセレスティナが火花を散らす。
余談であるがセレスティナとクロエは通常の変装に加え、目の周りを隠すマスクを装着しており、親に隠れてこっそり悪さするどこかの令嬢感を出している。
「ああカーバンクルですね、ええ勿論知ってますよ。でもだからってその値段はボり過ぎじゃないですかねえ? こっちに利益出ませんよ。20枚」
「この中に秘められた膨大な魔力が感じられませんか? それに利益出ないって言葉が出る時点で既にこの値段でも損はしないって把握してるじゃないですか。40枚」
そして結局、セレスティナが譲り渡してザックが持ち込んだ赤い宝石は金貨30枚で売却された。
ずっしりと重い金貨の山を受け取った彼は渋々と、セレスティナをここの裏会員に紹介する旨を受付に伝える。
「それでは、こちらの誓約書に従う旨の確認としてサインをお願いします」
「偽名で良いんですよね……では、『シルバーソード』と……」
セレスティナの使った偽名を聞いてクロエがぶふぉっと噴き出す。シルバーソードは勇ましい名前だがその実は魔国近海で獲れる細長い青魚のことであり、脂の多い身が柔らかい秋の味覚の定番で、クロエの大好物の一つだ。
そうして会員証を受け取って合言葉も教えて貰い、盗品売買も人身売買もこの日は開かれていないのでそのままカジノを後にする。
やがて、ザックとの別れ際にセレスティナが切り出した。
「今日はありがとうございました。お陰でお仕事も捗りました」
「そうか。まあこっちも儲かったしな」
「それで一つ言い忘れてましたが、近々『金鹿の尖角』とは事を構える予定で、少なくとも人身売買部門だけは潰すつもりでいますので、巻き添えにならないようできれば今日のお金で遠くに逃げて新天地で一からやり直すことをお勧めします」
「ちょっと待てええ! 何をする気なんだお前はっ!?」




