事実なんです
スレイアには魔力がある、そうだ。
そんな事実を、初めて知った。アルセリア一と名高い、「知の学園」から来た女性によって。
今のところ確認されているのは、人々に幻覚を見せる力。シェリーだと主張できて、それを信じてもらえたのは、そんな力のおかげ。詳しいことは、学園でさらに調べる必要があるのだとか。
十二歳で受けるという魔力測定は、両親が亡くなっていたこともあって、スレイアは存在さえ知らないままだった。
だから首都に来てほしい、と請われて……迷った末に、行くことにした。ケレックを離れるのは不安だったけれど、同時に少しだけ嬉しくもあったから。
マリアと名乗った、調査員の女性に案内され、見たこともなかった巨大な建物や、広い廊下、高い天井にくらくらしながら進んだ先に。
あの、「ラルフ」がいた。
とっさに逃げ出してしまったのは、仕方ないと。
スレイアはだれともなく走りながら言い訳した。
とはいえ、早々逃げられるはずもなく。
追いつかれて、戻ってくれと説得された。マリアも同席させるから、と。きちんとスレイアを気遣ってくれる言葉に、躊躇いながらもうなずいた。
部屋に戻って、「ラルフ」の顔を見た瞬間に、後悔したけれど。
バサッとその「顔」に分厚い布地が掛けられた。それは肩当てやら徽章やらごってり着いた、重そうな上着で。
うっかり顔面に固い部分が当たったら、怪我さえしそうな「布」だった。
さすがに呆気にとられて、スレイアは目を瞬く。
「見なくていい」
悪びれず、一片の躊躇いもなく、追いかけてきた人は断言した。恐る恐る横を見上げると、苦い顔つきでラルフを睨んでいた。
忠告通り、スレイアは出来るだけラルフが視界に入らない位置に腰かけた。相手は、話しやすい距離で、なおかつ近すぎない場所に座った。なかなか見事だった。
あー、と何かとても言い難そうで、話は始まらなかった。それでも、まずは、と頭を下げられて、またスレイアは驚いた。
「ひと月前は、とんだ迷惑をかけたようで申し訳ない」
「あの、いいえ」
返答に困って、スレイアは首を振った。こんな、ただの庶民に魔法の使える凄い人が頭を下げるなんて、思いもよらなかった。
「それからもう一つ」
「はい」
「薄々聞いているかもしれんが、そいつは、ラルフ・タージエルじゃない」
「……はい」
「騙そうってつもりはなかった。ラルフってのは、俺の名前だ」
「……」
「そいつは、イースレイ……イースレイ・シア・ヘルザ」
名前は、知っていた。有名な魔術師だから。もしかしたら、国一番とさえ囁かれてる、至高の存在。ちら、とスレイアの目が動いたのを悟って、慌ててラルフは言い募った。
「いや、普段は……もう少しまともなんだ」
「いえ。現実はかくも厳しいと思い知りました」
「仕事は出来るんだ」
「そうですか。残念な典型ですか」
「いや。そんなことは……」
なかったんだ、とは口に出なかった。現在進行形で、カンペキに残念な男なのだから。もぞもぞと上着を取ろうとし、顔をちらちらとさりげなく覗かせようとしている。気付かれていないと思っているのだろうか。
過去の事情を一応は説明されたが、結局奇天烈な行動を起こしたことには変わらない。変人で残念で、一歩間違えば変態だ。
顔に出たのか、ラルフは頭を抱えていた。
「否定できないのが辛いとこなんだが……あれは一種の、魔力酔いなんだ」
「魔力酔い?」
「君の持つ力が、とても強いんだ。あいつは目がいい。きちんとコントロールされていない余剰の魔力に、どうしても過敏に反応する」
「ラルフ様は、平気なんですか?」
「力の使い方が違うから。俺の目は、かなり強く意識して呼び起こすものだ。イースレイは、常に常人とは違う景色を視ている」
「つまりは、ただの酔っ払い?」
「…………まあ、そうだな」
かなり長く沈黙してから、ラルフは肯定した。何がいけなかったのか、やや顔色が悪い。ぐでぐでな駄目男なら、酔っ払いで十分だ。
スレイアの後ろではマリアが笑いをかみ殺していた。高名な魔術師二人も、スレイアに掛かれば形無しだった。
「事情は分かりました。つまり私は、どうしても知の学園に行かなきゃならないんですね」
「そうだ。さっきも説明したが、君は力がありすぎる。身内を残していくのは心配かもしれないが……」
「ああ。それでしたら、大丈夫です」
細やかに気遣いに、ふるふるとスレイアが首を振った。
「シェリーは結婚しましたから」
「……」
「……」
「……」
三名分の沈黙が落ちた。
「え?」
「ですから、シェリーは結婚しました。相手は幼馴染のお兄さんです」
四歳の時からシェリーをいちずに諦めなかった強者だ。年齢差は九つあった。確実に犯罪だが……スレイアは、異を唱えることが出来なかった。シェリーがあまりにも幸せに笑ったから。
失恋の後だとか、いろいろ要因は重なったかもしれない。それでも、シェリーは選んだのだから。
スレイアは、微笑んで祝福したのだ。
しばらく瞬きを繰り返してから。そうか、とラルフがそれだけを口に乗せた。一番直近にスレイアと会っていたはずのマリアでさえ、ぽかんとしていたのに。
「めでたい話だ……」
「ありがとうございます」
「ではその、首都に来てもらえるか?」
「……はい」
濃緑の瞳が、ただ真っ直ぐに肯定を返した。ラルフは、その後に続くはずだった言葉をのみ込んだ。
魔術師の道は厳しい。スタートが遅ければ遅いほど、不利なのだ。そういう意味で、魔術測定から洩れてしまったスレイアはとても不運だ。
険しい道のりだと告げるつもりだった。
それでも、この稀有な才能を潰してしまうのは、惜しかった。
けれど。
覚悟を決めた、揺らぎない双眸に、助言は不要だった。
つい気になって、イースレイの方をうかがう。あの男には、今いったいどんな光景が見えているのだろうか。
上着が、動かなくなっているのは……どうにも不安なのだが。
スレイアが立ち上がった。
「よろしくお願いします」
作法を習ったのか、丁寧に礼をする。ふう、とラルフはため息を吐いた。
「君は、まずきちんとした魔力の計測を受けてもらう」
「はい」
「学費は経済的な面をかんがみて、奨学金が支給される。その後は寮生活になる。幅広い年齢の人間の中で暮らすことになるが、部屋くらいは同年代がいいだろう?」
「……」
ふっとスレイアが困った表情になった。
「……どうした?」
「シェリーと同じだと……ちょっと辛いです」
うっとラルフが詰まった。複雑な面持ちに、スレイアもうまく説明が出来ないのだと知る。
「では、シェリーは確か、十八だったか」
「はい。なのでできれば、年下がいいです」
「年下? 年上ではなく?」
「はい。私が十五なので、それより下の子が」
「……わかった」
ラルフの返事が遅れた。
思った以上に……思っていた以上に、イースレイがヤバかったせいだ。
十五と、とうに二十歳越えて三十の方が近くなったとこの組み合わせは……まずい。非常にまずい。一歩は、すでに間違っているのだ。
これ以上、変な言動をすれば、どうなるか。
考えたくもないが容易に想像がついてしまう事態に、ラルフは内心で冷や汗をかいていた。
が。
すっとラルフと、スレイアの間に立ちふさがったのは。
「さみしいなら、私がずっと一緒にいるよ、可愛いスレイア」
のばされた手が、少女に触れる前に奴を床に静めた自分を、誰か切実に褒めて欲しいとラルフは願った。




