絆と約束
今回は台詞が多めです。台詞でキャラを立たせるって、大変ですね‥ 一話と二話の行間を今のと同じにしました。
大護と別れた水夜はルイスに連れられて、魔界の城の地下に来ていた。随分昔にここを出てきて以来、もう来る事がないと思っていた城の地下通路を歩きながら、水夜はずいぶんここも変わったな、と上の空で目の前の風景を眺める。
以前はまだ人間界の技術があまり流入されておらず、そのほとんどが木造だった壁や天井は、その全てがコンクリートで固められ、鉄製のパイプが何本も天井を駆け巡っている。
「カトレア様、貴方に用意された部屋はこちらになります。」
ずっと黙っていたルイスは、金属製の頑丈そうな扉の前で事務的にそう言うと、水夜に道を譲るように横へとずれる。目の前の冷たい扉に手を掛けて、今の気分のように重いそれを開く。
「こ、これは‥‥?」
扉の向こう側には真っ白な部屋が広がっており、その壁には透明になっており、更にその向こう側には、何人もの人が何かの液体に全身を浸けていた。一瞬それが誰だったか分からなかったが、よく見ると全員が同じ顔をしており、それが誰か分かった瞬間に、水夜は全身から血の気が引くのを感じる。
「‥わ、わた‥し‥‥か?この中に‥‥‥入ってい、るのは‥‥」
口の中がからからに渇く。ガラス越しに何人もの自分を見る事になるとは、予想もしていなかった。
目の前で浮いている自分の分身は、口に呼吸を助けるらしい器具を着けており、その器具から時折泡が立つ以外では、生きているかさえ怪しいほどに、一切の動きを見せない。
「それは貴方と同じ、カトレア様のクローン体です。」
「私と、同じ‥?」
動揺している水夜とは対称的に、ルイスはあくまで事務的だった。そして、その事務的な語りで、更なる衝撃の事実を告げられる。
「ただし、これらは歪曲玉に魔力を込める時にのみ使われる、使い捨ての失敗作です。なぜか魔力が回復しないので、長持ちしない個体の集まりです。」
今まで過ごしてきた世界では、道徳的にありえない事を平然と言ってのけるルイスを、怒りを込めて睨みつける。
水夜は命を弄ぶ研究が嫌で、ここから逃走したのだ。自分につけられている、魔造生命体No.32834の数字の意味くらい分かる。自分が生まれるまでに、それだけの犠牲があったという事だ。
「貴様はなんとも思わんのか!?私が生まれるまでにも多くの命が無駄になったんだぞ!その上に、これだけの数を使い捨てだと!?ふざけるのもいい加減に‥」
「貴方が逃げ出したからですよ。」
「っ!?」
ルイスの言葉が胸に突き刺さる。
「貴方が逃げ出してから、これまでに使われた個体はおよそ250体。貴方が逃げ出さなければ、それだけの命が無駄に散る事もなかった。」
ルイスの言葉は辛辣なものだが、口調に感情は一切を伴わない。ただ、淡々と事実を水夜に突き立てるだけだ。水夜にとっては、まだ怒りなり悲しみなりを込められた方が気も楽だっただろう。
「原因は分かりませんが、貴方以降の個体での実験が成功する事はありませんでした。ですので、出来る限り使用頻度を下げるため、こうして防魔法コーティングと同じ作用がある液体に保存されているのです。」
冷たい視線で見下ろされ、まるで責められているような感覚に囚われる。ルイスは淡々と事実を言っているだけなのだが、それがより水夜の心を苛む。
だが、水夜には聞かなければいけない事があった。ここに浸かっている自分を見てから、ずっと疑問に思っていた事。
「こいつらは‥‥どうなるんだ?」
先程ルイスが言っていた事が事実ならば、自分が歪曲玉に魔力を込める役割を担ってしまえば、ここにいるクローン体は必要なくなるだろう。ならば、この後どうなるのか。水夜には、どうしても最悪の結末しか思いつかなかった。
水夜の質問に、僅かにルイスは表情を強張らせるが、一旦目を閉じて顔から感情を消す。そして、その質問に答えようと口を開こうとした時、ルイスの後ろの扉が大きく開いた。
「ひょひょひょ!報告は本当じゃったか!御苦労じゃったのぉ、ルイス。」
「き、貴様は‥!」
扉の向こうから現れた老人を見た瞬間、それまで打ちのめされたように縮こまっていた水夜から、怒りとともに魔力が溢れ出す。腰を曲げてよぼよぼと歩み寄ってくる老人は、ガイア=ベンギニア。彼は魔造生命体研究の第一人者だ。
水夜はガイアが昔から嫌いだった。自分の事をまるで所有物のように扱うという事もあるが、それ以上に、自分の前に生み出されたクローン体の事をよく罵る事も嫌いな理由だった。勝手に生みだしておきながら、僅かに欠点があると言うだけで処分し、その後にも文句を言うガイアが許せないのだ。
「ひょひょひょ。感情が乱れると魔力が溢れる癖はまだ直っとらなんだか。まぁ、それは追々調整していく事にするとしよう。」
彼から離れるように、水夜は後ろへと下がっていくが、クローン体が浸かっているガラスに背中が当たった所でそれは止まる。
「まだ生きていたか。てっきりもうくたばっていたのかと思ったぞ。ガイア。」
「まだわしの名前を覚えておったか。脳に障害はないようじゃな。」
水夜の前まで来たガイアは、彼女を品定めするようにあちこちを見ると、満足したように一度頷いて、ルイスへと視線を移す。
「よく傷付けずに持ち帰ってこれたのぉ。かなり手こずったじゃろ?」
「いえ。匿っていた者が勝手に連れて行けと言ったので、特に手間取る事はありませんでした。」
ルイスの何気ない報告で、別れ際に言われた言葉を思い出す。自分の事を水夜ではなくカトレアといった大護は、どんな心境だったのだろうか。今まで事実を隠していた事に怒っていたのか、それともそれで傷付いたのか。今の水夜にはもう、確認する事の出来ない事だった。
「No.32834がいるのじゃったら、もうこれは必要ないのぉ。ルイス、これを‥」
「待て!」
自分の分身を指さしながら、ガイアが水夜の考えていた最悪の結末を言おうとするのを、水夜は慌てて遮る。
急に耳元で大声を上げられたガイアは顔をしかめるが、少し間があった後、皺だらけの顔を歪めて笑う。
「急に何じゃ?何か言いたい事でもあるのかのぉ?」
ガイアは明らかに水夜が何を言うかに気付いていたが、どうやらそれを本人の口から言わせたいらしい。そんなガイアの意図に気付いていても、このまま黙っていれば、後ろにいるクローン体は処理されてしまうだろう。
「‥‥‥貴様の言う事は聞く。だから‥‥‥このクローン体は生かしてやってくれ‥」
悔しさや情けなさに耐えながらそう言った水夜を見て、ガイアは高笑いをする。
「ひょひょひょひょひょ!良いぞ!こんなガラクタ、あるだけで金を喰うだけだが、お前がそう言うなら生かしておいてやろう!」
ガラクタという言葉に水夜は激しい怒りを覚えるが、爪が掌に喰い込むほどに拳を握りしめる事で、何とかそれを押し殺す。
「では、ルイス。帰ってきてすぐに悪いんじゃが、さっそく研究の準備をしてくれんか?どうしてこの個体だけが魔力を回復したのか調べなければいけないからのぉ。」
「分かりました。では、カトレア様。こちらへ来て下さい。」
水夜はもう抵抗する気も失せたのか、素直にそれに従う。だが、彼女の瞳は悲しげだった。
香織が大護の入院している病院を訪れてから一月経ち、ようやく傷が完治して退院した大護は、久しぶりになる請負所に帰ってきた。
この扉を最後に開けたのも随分前だったな、と似合わずに郷愁の想いに駆られながら、鍵を開けようとし、そこで手が止まる。掛けられていた筈の鍵が掛かっていなかったのだ。
空き巣に入られたのか、とも思ったが、どうせ盗まれそうなものなどパソコンくらいしかない事に気付き、落ち込んで地面へと視線を落とす。
そんな事を大護がしていると、不意に目の前の扉が開く。地面と睨み合いをしていた大護が顔を上げると、そこには懐かしい顔が二つ並んでいた。
「ひっさしぶり、大ちゃん!退院するって聞いて、待ってたよぉ!」
「退院おめでとうございます。お帰りなさい。」
香織と沙織が明るい笑顔で迎え入れてくれる事に、大護は少しの間は心が温かくなったが、すぐに顔を上げて眉間に皺を作る。
「何でお前らがここにいんだよ!?おかしいだろ!鍵を渡した覚えねえぞ!」
大護の怒りを正面から受けても、二人はきょとんとした顔を見合わせるだけだ。
「え?水夜さんに合鍵を貰ったんですけど‥‥」
「そうそう。大ちゃん、みぃちゃんから聞いてないの?」
欠片も聞いた事のなかった事実を知り、大護は地面にめり込む勢いで崩れ落ちる。
「あ、あいつ‥‥所長の俺に黙って勝手な事を‥」
その場にいなくても自分に迷惑を掛けてくる水夜に、大護は大きく溜め息をつく。だが、そんな迷惑な少女を命懸けで助けに行こうというのだから、自分も大概物好きだなと苦笑してしまう。
「大ちゃん。今から退院祝いするから、早く行こうよ!」
「‥‥は?いやいや、俺は準備したらすぐに‥」
「病み上がりで危ない事したらだめですよ。頼んだ私が言うのも変ですけど、急がば回れ、ですよ。」
大護が提案を断るよりも早く、二人はその手を引っ張って請負所の中を進んでいく。大護も、まさかその手を振り払う訳にもいかず、何処か納得しない顔で引っ張られていくのだった。
二人に連れてこられた応接間は、まるでパーティを開くかのように、壁やテーブルに飾り付けがされ、豪華そうな料理が並べられていた。
「どう?大ちゃんの為に、朝早くから作ってたんだよ。すごいでしょ?」
沙織が胸を張ってそう言うのを聞いて、大護の背中に嫌な汗が滲む。踏ん反り返っている沙織に気付かれないように、大護は香織の側へと寄って耳打ちする。
「あいつ、料理できるのか?」
今まで華田姉妹の料理を口にした事はなかったが、普段の言動から受ける印象から、大護には沙織はあまり料理をしているようには見えなかった。そして、そんな予想は当たっていた。
「‥‥‥すいません。出来る限り止めようとしたんですけど‥‥」
申し訳なさそうに頬を引き攣らせている香織を見て、大護はどうすればこの危機を回避できるか考える。だが、そんな時間の猶予は与えられなかった。
「病院食ばっかりで大変だったでしょ!?私が心を込めて作った料理、たんと召し上がれ!」
「あっ!?ちょっと待った!まだ心の準備が、もが!?‥‥‥‥‥」
沙織に無理矢理料理を口に放り込まれた大護は、反射でそれを咀嚼してしまい、そのまま動きを止める。そんな大護を、心配そうに大護を見る香織と、どんな反応が返ってくるか心待ちにしている沙織。
しばらく大護はそのままの状態で固まっていたが、思い出したように何度か顎を動かし、口の中のものを喉に流し込む。
「ねえねえ、どうだった?美味しかった?ねえねえ?」
何処か顔色が悪い大護の肩をがくがくと揺らしながら、沙織は味の感想をせがんでくる。大護は歪みそうな口元を何とか吊り上げて、ほとんど笑みとは言えない顔をする。
「ど、独創的な味だな‥‥あり、がと‥な‥‥」
「本当!?よかったぁ‥‥自分で味見した時は、ちょっと変な味だったと思ったんだけど、大ちゃんはこういうのが好みなんだね!」
沙織の言葉を聞いて、大護は愕然とした表情を浮かべる。せっかく根性で傷付かないように取り繕ったというのに、既に沙織は自分の料理が下手な事を自覚していたらしい。しかも、大護の感想を聞いて気を良くした沙織は、料理を片手に大護の方へと迫ってくる。
「今日は大ちゃんの退院祝いだから、遠慮せずに食べてね!」
「ぁ、いや、その‥‥えっと、‥‥‥」
口籠っている大護から救いを求めるような目で見られ、香織は何も言わずに目を背ける。最後の希望を断たれた大護は、それでも満面の笑みで迫ってくる沙織を拒否する事も出来ずに、差し出された料理を口に含むのだった。
沙織の料理を完食した大護は、香織の目から見てはっきりと憔悴していた。
だが、沙織の目にはそう映ってはいないようだ。空になった皿を上機嫌で洗いながら、次は更に品数を揃えたフルコースを振る舞うと楽しそうに話し、憔悴している大護への追撃を加えていた。
香織はそれを気の毒そうに見ていたが、沙織にはっきりと事実を言う事も出来ず、結局成り行きを見守るしかない。
沙織が食器を洗い終えるのを待ってから、大護は真剣な顔をして二人を見る。それまで賑やかだった雰囲気の請負所を、突然の静けさが襲う。
「今日はありがとな。そろそろ行ってくるわ。」
身支度を整えながら、大護はそう言って部屋を出ていこうとする。だが、その袖を後ろに引かれる。大護が振り返ると、袖を持った香織が、顔に不安を張り付けて見上げていた。
「大護さん。もうひとつ、我儘言っていいですか?」
「お前も案外我儘だな。何だよ?」
出来るだけ不安を与えないように、いつものような軽い口調でそう言うと、香織は少しぎこちない笑みを浮かべる。
「こんな事を依頼して言うのも変ですけど‥‥‥‥絶対帰ってきて下さいね?」
大護がこれからする事がどれだけ危険な事かくらい、香織も沙織も分かっている。それでも、別れ際に見た水夜の泣き顔が忘れられず、大護が別れる事を選んだ心境を知る二人にとって、どうしてもこのままでは納得できない。
そんな二人の葛藤は大護にも分かっている。いつもなら、不安を取り除くような事の一つでも言っただろうが、今回ばかりは訳が違う。魔界王室に喧嘩を売るような事をして、無事に帰ってこられる保証はどこにもないのだ。
「お前なぁ‥‥依頼は一つだけしか‥」
「依頼じゃありません。友達として、約束して下さい。」
はっきりそう言い切る香織の瞳は真っ直ぐだったが、まだ何処か不安が混じっている。
そんな香織を見て、大護は思う。何を迷っていたのか、と。
ここに帰りを待っている友人が、少なくとも二人いるのに、初めから死ぬ事前提で行動してどうするつもりだったのだろう。ほんの少し前までの自分は、どうかしていたのだ。
「じゃあ、そのかわりにメール整理頼んだぞ。どうせまた金払えねえんだから、今日から働いてもらうからな。」
香織が、そして沙織も嬉しそうに笑顔になる。
「はい、任せてください!」
「帰ってきたら、たくさん仕事用意しとくからね!」
大護はおう、とだけ答えると、応接間を後にする。また、ここに帰ってくるために。
華田姉妹と別れた大護が請負所の扉を開けると、僅かに覚えのある匂いがするのに気付き、その元を辿る。その匂いを発している煙を見つけた大護は、座り込んでいる人物に手を上げて挨拶する。
「よう、竜次。総統様がこんな一般人に何の用だ?」
「せっかく退院祝いをしに来てやったのに、随分な言い方だな。女性を二人も連れ込んでいる所を邪魔して機嫌でも損ねたか?」
竜次は軽口を叩きながら、地べたに座り汚れたズボンを叩きながら立ち上がる。
「うっせえ、大きなお世話だ。で、本当に何の用だよ?まだそっちは混乱してて忙しんだろ?」
警察の内部事情を詳しく知らない大護でも、竜次が総統に代わってからの評判はいいと聞いている。事実、市民も治安が上がった事を喜んでおり、今まで黙認されていた犯罪者も続々と捕まっている。
「まあ、ようやく一段落といった所だ。」
「‥‥‥‥‥」
話題をはぐらかす様な竜次の態度を見て、大護はこれから自分が何をする気か彼が知っていると、何となく分かった。総統という立場上、大護のしようとしている事を竜次が口にすれば、止めざるを得なくなる。だから、何も言わないのだろう。
「この前聞いた事があってな。今魔界の警備は通常の数倍は厳重らしい。お前一人じゃあ突破できないくらいにな。」
「そうかい。ま、俺には関係ねえ話だ。魔族嫌いの俺が魔界に用なんてねえからな。」
お互い僅かに頬を緩めた後、竜次は真剣な眼差しに戻る。
「‥‥‥やっぱり行くんだな。」
「ああ。もう約束しちまったからな。それに‥‥」
「‥?」
言葉を途切れさせる大護に、竜次は不審そうに眉根を寄せる。大護は自嘲気味に笑い、空を仰ぐように上を見上げる。
「‥‥‥もう闇の中を一人で歩くのは疲れちまった。」
「ん?どういう事だ?」
大護は頭を掻きながら、また自嘲気味に笑みを浮かべる。
「あいつは俺にとって、太陽みたいなもんなんだよ。昔は太陽なんかいらねえなんて粋がって、一人で闇ん中突っ走ってたが、一度太陽の温もりを覚えちまったら、もうそれなしじゃ生きられなくなってな。」
自嘲気味だった大護の笑みが、何かを懐かしむような顔に変わっていく。
「我儘なのは分かってんだけどよ。心と頭は別の事考えてんだよな。」
「意志は固い、か。なら、友人として一つだけ言っておくぞ。」
竜次の口から出た意外な言葉に、大護は目を瞬かせて竜次の方へ顔を向けるが、竜次はもう背を向けて歩きだしていた。そして、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、呟くように言葉を放つ。
「友人を悲しませるような事はするなよ。」
僅かに煙草の匂いだけを残して、竜次はその場を去っていった。
しばらく去っていく竜次の背中を見送っていた大護だったが、不意に噴き出す。
「似合わねえ事言いやがって。」
また一つ約束を増やした大護は、それでも嬉しそうに微笑み、彼岸の門へと歩き出した。
そろそろ彼岸の門へ到着しようとしていた大護は、手甲を手に嵌めた所で、急に路地裏へと強い力で引きずり込まれる。反射的に拳に魔力を込めるが、自分を引きずり込んだ犯人の顔を見て、それを霧散させる。
「なっ!?お前、健一じゃねえか!?何でこんな所に‥」
「久しぶりだねぇ。いろいろと大変だったらしいじゃないかぃ。」
驚いている大護を余所に、呑気な口調で話す男は、紛れもなく健一だった。大護は大剣を背負った健一を初めこそ警戒していたものの、敵意などは感じられず、すぐに警戒を解く。
「刑務所にいたんじゃねえのかよ?」
「あぁ、そうだよ。でも、ちょっと野暮用ができちまってねぇ。」
相変わらず呑気で捉えどころのない健一は、大護を連れて更に路地裏の奥に進みながら、ここに来た経緯を説明しだした。
昨日、刑務所の独房で暇つぶしに腕立て伏せをしていた健一の元に、意外な人物が訪れる。
「牢屋の中で筋トレたぁ、随分と真面目だな。」
「おやおや。少し懐かしい顔だねぇ。どうかしたのかぃ?」
鉄格子の向こうに現れたのは、なぜか健一の大剣を持った冬馬だった。冬馬はどこか不満そうな顔をしながら、指で健一に近付いて来るように指示を出す。訳も分からず、健一はそれに従うと、冬馬が顔を近付けて耳打ちしてくる。
「この前の魔族のガキ覚えてるか?」
「あのお譲ちゃんの事かぃ?」
「そうだ、そいつだ。面倒臭えから詳しい話は省くが、そいつが魔界に帰った。」
「‥?」
言葉の意味は分かっても、それを自分に言ってくる意図が分からず、健一はきょとんとした顔をするが、冬馬はそれに構わず話を続ける。
「で、そいつを連れ戻す為に、あのいけ好かねえ野郎が明日辺りに、魔界に乗り込む。」
いけ好かない野郎というのが大護の事だと理解するのにしばらく掛かったが、健一はそれが理解出来ても、まだ話の意図が分からない。
冬馬は不満そうだった顔を更にしかめると、言うのも嫌そうに口を開く。
「今、魔界は厳戒態勢で、あの野郎一人じゃあ間違いなく死んじまう。だから、お前が助けに行ってやれ。」
冬馬はもう話は終わりだと、鉄格子の間から大剣を差し出す。差し出された大剣を受け取りはしたものの、なぜこんな事を自分に頼みに来たのか健一には分からなかった。
「どういう風の吹きまわしだぃ?犯罪者を脱獄させようっていうのかぃ?」
そんな健一の言葉に、冬馬はさらに眉間に皺を刻みつける。
「俺としてはかなり、か、な、り、不本意だが、他でもねえ冬馬さんの頼みだ。お前は黙ってあの野郎を手助けに行きやがれ。そのかわり、事が終わったらここに帰ってこいよ。あと、人は殺すなよ?その為に、一応刃は潰してあるからな。」
冬馬にそう言われて、初めて大剣の刃が潰されている事に気付く。
「一つ聞きたい事があるだけど、いいかぃ?」
「あ?何だよ?」
用事を終えてさっさと帰ろうとしている冬馬の背中に、健一は声を掛ける。呼び止められた冬馬は更に機嫌を悪くするが、健一が珍しく真剣な顔をしているのを見て、眉間の皺を少し減らす。
「お譲ちゃんは、こっちに帰ってくる事を望んでるのかぃ?」
「‥‥‥‥‥‥多分そうなんじゃねえの?」
曖昧な答えではあったが、冬馬は役目を終えてその場を去っていく。
健一はしばらく考えたが、もしあの少女がそれを望んでいなかったならば、竜次がこんな事を頼んではこないだろうと思い、大剣を鉄格子目掛けて思い切り振り下ろした。
健一の説明を受けて、大護は頭を抱えながら、先程別れた竜次の事を思い出す。
「あの野郎、また似合わねえ気障な事しやがって‥‥」
口ではそう言いながらも、これが竜次の精一杯の協力だという事は分かっていた。だが、自分の行動を見透かされているのが気に入らず、つい文句を零してしまう。
「あんた、いい友人を持ったねぇ。羨ましい限りだよ。」
呑気にそんな事を言っている健一を見て、大護は前から抱いていた疑問をぶつける。
「何で俺に協力しようと思ったんだ?前の時だってそうだ。その気になれば、俺の事を殺すことだって出来ただろ?」
以前戦った時、大護は健一に負けそうだった。あのまま戦っていれば、いずれ殺されていただろう。殺さない事前提で戦っていた事もあるが、それを差し引いても健一は強いと大護は感じた。だが、水夜が戦いに割って入った途端、急に戦うのを止めた。その後にも、水夜の事を助けたり、協力してドラゴンと戦ったりと、健一の心の内が大護には分からなかった。
健一はそれまでの呑気な表情を引っ込め、遠い目で虚空を見つめた。
「‥‥‥あんたに協力する訳じゃないよ。ただ、あのお嬢さんには秀治を救ってもらったからねぇ。」
「秀治‥?」
なぜここで秀治の名前が出てくるのか分からなかった大護だが、健一は自分を嘲笑うような笑みを浮かべる。
「ずいぶん昔になるんだけどねぇ、弟が一人いたんだ。」
「‥‥‥弟が‥いた?」
「あぁ。もう死んだんだけど、その弟に秀治が驚くくらい似ていてねぇ。」
そう語る健一は、どこか悲しげだった。
「初めて会った時、秀治は俺の事を殺そうとして来てねぇ。当然秀治を殺す事が出来ずに、その場を収めるために謳歌師団に入ったんだ。落ち着いて話し合って、人殺しを止めるように説得しようとしたんだ。」
「で、駄目だったのか?」
「あぁ、秀治の心の闇が思ったより深くってねぇ。曲がった心を真っ直ぐにしてやろうとしてたのに、気付けば二人で曲がり合っててねぇ。それでも見捨てる事なんて出来なくて、ただ謳歌師団の人形として働いてた。」
自分の情けなさに薄ら笑みを浮かべながら、健一は話を続けていく。
「でも、あのお譲ちゃんが秀治の心を救ってくれた。本当に感謝してるよ。結果として、秀治は死んでしまった。でも、心は救われたんだ。だから、あのお譲ちゃんに恩返しがしたくってねぇ。」
話を終えた健一は、また表情を呑気なものに戻し、大護の方へと笑顔を向ける。
「ま、そういう訳さ。だから、あんたに協力する訳じゃないよ。」
「知らねえぞ?死ぬ事になっても。」
「恩返しして死ぬなら本望さ。どうせ死んでも悲しむ人なんかいないからねぇ。」
それを聞いた大護は、大きく溜め息をつく。大護が溜め息をついた理由が分からない健一は、片眉を吊り上げる。
「どうしたんだぃ?そんな溜め息なんてついて。」
「お前は分かってねえ。何にも分かっちゃいねえ。」
呆れたように手を上げて首を横に振る大護を見て、ますます疑問が深まる健一に向けて、大護ははっきり言い切ってやる。
「お前が死んだら水夜が悲しむだろうが。だから、絶対死ぬんじゃねえぞ。」
一瞬呆けたような表情を取った健一は、すぐに噴き出し、声を上げて笑い出す。
「あっはっはっ!あんた、さっきと言ってる事が矛盾してるじゃないかぃ?」
「うっせえ!とにかく覚えとけよ!死んだら殺してやるからな!」
また矛盾した事を言っている大護の言葉を聞きながら、健一は笑いを堪える。噴き出しそうになっている健一の顔に、いらつきを隠せない大護だったが、これ以上何を言っても墓穴だと思い、何も言わずに健一の笑いが収まるのを待つ。
そして、健一の笑いが収まった所で、真剣な顔をして、何人かの護衛が周りに立っている彼岸の門を見つめる。
「心の準備はいいか?」
「死なないんだから、そんなもの必要かぃ?」
「確かにそうだな。」
不敵に笑い合いながら、緩んだ顔をもう一度引き締め、二人は彼岸の門へと向けて走り出した。
突然路地裏から飛び出してきた二人を見た彼岸の門を守っていた衛兵は、何事かと警戒する。そして、すぐにその片方が脱獄囚だと気付き、一斉に銃を構える。
「やっぱり素直に通しちゃくれねえか!『魔剛壁』!」
大護の魔力が手を中心に展開され、迫って来る弾丸を全て防ぐ。健一は銃声が僅かに収まった一瞬を見極め、一気に大護の魔力の壁へ向けて地を蹴る。そして、大剣で目の前の壁を切り裂き、返す刀で衛兵の銃を叩き落とす。
「ちょいと悪いけど、寝ててくれないかねぇ?」
健一は無駄のない動きで、銃を失った衛兵の首筋に手刀を落としていく。そして、最後の一人の意識を奪った後、大護の方へと向き直る。
「さぁ、ここからは後戻りに出来ない地獄だねぇ。覚悟はいいかぃ?」
「死なねえ覚悟ならとっくに決まってる。今度ここに戻ってくる時は、水夜も一緒だ。」
「聞く方が野暮だったねぇ。じゃ、行こうかぃ?」
辺りが騒がしくなり始めたのを聞きながら、大護はもう一度だけ振り返り、人間界の光景を目に焼き付ける。
目を閉じて深く深呼吸し、心の中で友人との約束を思い出す。心に温かい感情が溜まるのを感じて、ゆっくりと目を開く。
「行ってくる。待っててくれよ。」
誰にでもなくそう呟いて、大護は健一とともに彼岸の門をくぐるのだった。
長編と書いてる割に、もう終わりそうですが、最後まで頑張りたいです。




