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第四話

 ……遠くで声が聞こえる。しかし何を言っているかは分からない。ならばせめて周囲を見回そう。しかし瞼が上がらない。じゃあ身体を動かしてみよう。しかし全体的に身体がだるい。というか、身動きが取れない。折角意識が戻ったのに、私は何もすることが出来ない。そうしている内に、戻った意識さえもまた遠のいて行く。かと思いきや、完全に途切れる前に意識は掬い上げられる。それは何度か繰り返された。まるで浅い水底に沈められ、引き上げられ、沈められ、引き上げられを繰り返されているような感覚。私はそれに抗おうと努めた。何でも良い。どこでも良い。動け。そう念じていると、不意に私の喉が声を、いや、音を発した。


「んん……。ん……」

「……起きたみたい。じゃあ、また後で」


 ぼんやりとだが女性らしき声が聞こえた。するとそれに続いて瞼も開いてきた。視界はまだぼやけているし、居る場所が薄暗いのか、辺りの様子はよく見えない。それでも何となく、私の前に誰かが立っていることは分かった。


「おはよう。聞こえてる?」

「んん……」


 私は答えようとするが、上手く話せない。


「あー、ごめんなさい。これ、外さないとね」


 そう言うと、目の前の人物は私の背後に回った。すると程なくして、口が動くようになった。感覚が鈍っていたせいで気付いていなかったが、どうやらタオルか何かで口を縛られていたらしい。


「はい。これで喋れるでしょ?」


 そう言いながら私の前に戻って来ると、その人物は私の顔を覗き込んだ。私の眼前にいたのは、モミさんだった。その顔を見た瞬間、意識を失う直前の光景を思い出した私は、今すぐ彼女に掴みかかり、問い質してやる。そう思ったのだが、ガタンッ。という音が鳴り、手首と足首に鈍い痛みが走っただけで、手足は、身体は、動かすことが出来なかった。


「良かった。元気そうね。でも落ち着いて。あなたはまだだから。あと、あんまり動かない方が良いわよ。無理に動くと結束バンドが食い込むから」


 そう言われた私は動かせない自分の手元を見た。私の両手首は椅子の肘掛けにそれぞれ結束バンドで拘束されていた。それを見て、私はようやく、今自分は椅子に座らされていて、そこに拘束されているのだと理解した。と同時に、私が今動かせるのは首から上だけらしいということも察した。となれば、首から上だけで情報を集めるしかない。私はひとまず呼吸を整え、周囲を見回す。が、やはり今私は薄暗い場所にいるようで、ほとんど何も見えない。一応一つだけ、室内にいるらしいということは分かった。斯くして動けない、見えないことが分かったこの現状で、首の上だけで情報を集めるとなると、出来ることはあと一つ、目の前にいる彼女と話すだけだ。その結論に至った私は、無駄に体力を消耗しないよう、感情を抑え込み、なるべく体の力を抜き、まず、今一番気になっていることを聞く。


「……華恋は?」


 自分はこれからどうなるのかという不安、懸念、焦慮、恐怖は勿論あったが、それでも私の頭の中で一番大きかったのは、華恋の安否だった。


「無事よ」

「どこ?」

「ここにはいない」

「どこにいるの?」

「教えるわけないでしょ」


 私たちは睨み合う。そして数秒後、相手が口を開く。


「まぁ、すぐに会えるわよ。それより結子さん、あなた、自分のことは心配じゃないの?」

「……」

「フッ。なーんだ。ちゃんと怖いんじゃない。だったら、ねぇ、結子さん、私たちの仲間にならない? そうしたら助けてあげる」

「仲間に?」

「そう。あなたは優秀だから、こちら側で一緒にお仕事がしたいの」

「こちら側?」

「こちら側って言うのはね。ふふっ。今はここまで。敵であるあなたにこれ以上情報を渡すわけにはいかないから」


 そう言うと、彼女はゆっくりと歩き出し、私の背後に回る。そして私の両肩に手を乗せ、


「それじゃ、私はこれからカレンちゃんと遊んで来るから、仲間になる件、考えておいてね。あなたの返答次第では、カレンちゃんも多少は救われるかもね」


 耳元にそう言い残すと、間もなく足音が遠ざかって行き、ドアの開く音、ドアの閉まる音が微かに室内に響き、静寂が訪れる。


(私のせいだ……。私が変な推理をして、証明するとか言ったからこんなことに……。いや、そもそも最初から止めておくべきだったんだ。視聴者に会うなんて……)


 もう何もすることが出来ない私は、ただただ自分の無力感に打ちひしがれた。すると次の瞬間――


「あのー」


 薄暗闇の中から声が聞こえた。


「だ、誰?」

「僕です。高木郁男です」


 名乗りが聞こえた後、ガタン。ガタン。という慌ただしい音が右斜め前から聞こえた。その音がした方をじっと見ていると、薄っすらと、闇の中で左右に動く人影を見つけた。どうやら彼も椅子に拘束されているらしく、椅子ごと無理やり私の方に移動しようとしているらしい。


「ま、待ってください。こけたら大変ですから、一旦止まってください」

「わ、分かりました」


 私が声を掛けると、力尽くで移動しようとする音は止まった。少しは前進出来たのか、或いは私の目がこの薄暗闇に慣れて来たのか、先ほどよりかは彼の姿が見える。


「えっと、高木さん?」

「は、はい。なんでしょうか」

「高木さんは、何もされてませんか?」

「はい。何もされていません。ずっと気絶したフリをしていたので」


 ということは、今さっきの話を黙って聞いてたってわけね……。この人、あんまり信頼出来ないかも。そう思いつつも、何故話しかけられたのか気になるし、こっちも気になることがあったし、何より今は、この人しか頼れないと思い、話を続ける。


「なら良かったです。えっと、それで、何か用があって話しかけて来たんですよね?」

「は、はい。そうです。今、何が起きているのか全く理解できていないので、少しでも良いから状況の説明をしてほしくて」

「あぁー、ですよね」


 信頼できるかどうかはさておき、今回の件に関しては、恐らく、いや、十中八九巻き込まれた側、あの人の仲間ではなさそうだよね。そう思った私は、


「お話しします」

「あ、ありがとうございます」

「まず現状ですけど、正直、私も理解し切れていません」

「えっ、そうなんですか?」

「はい。まぁ、今分かることは、どこかに監禁されてるってことくらいですかね」

「そ、そう、ですね……」

「となると、経緯をお話しすることしか出来ないわけですが、その前に、私の方から一つ聞いても良いですかね?」

「え、えぇ。はい。なんですか?」

「気絶する前、あなたにも聞こえたんですか。女性の声が」

「えっ?」


 私は鮮明に覚えている。気絶する少し前に彼が、「今の! 聞こえませんでしたか! 女性の声が!」と叫んでいたのを。私は経緯を説明する前に、どうしてもここを確かめておきたかった。


「私は聞こえました。ダメ。助けて。って」

「き、聞こえました。僕も! あっ、えっと、その、霊感がおありなんですか?」

「はい。あります」

「は、初めて出会いました……。仲間ってことですね!」


 余程嬉しかったのか、高木郁男は再びガタンガタンと動き出した。


「あの、こけたら面倒なのでやめてください」

「あっ、す、すみません……」

「いえ。それじゃあ話を戻して、今に至るまでの経緯を話しますね?」

「お、お願いします」

「はい。私たちは、ついさっきこの部屋にいた女性に頼まれて、心霊現象の検証動画を撮りに来たんです……」


 霊感のことも伝えたので、私は包み隠さず、詳細にかつ手早く経緯を話した……。


「な、なるほど。なんと数奇な巡り合わせ。それで僕が電波混信の犯人だと疑われたわけですか」

「はい。何もかも噛み合ってたんです」

「もう少し早く出会えていたら、或いは捕まった時、僕がもっとマシな反論を出来ていたら、こんなことにはならなかったかも知れませんね……」

「かもですね。でも、何を言っても今更です」


 一連の経緯を話し終え、結局、現状何も出来ないことが再び明白になると、私と高木郁男は黙り込んだ。


「あ、あの」


 少しの沈黙を経て高木郁男が話を再開する。


「ちなみになんですけど、今回の心霊現象。どう思ってますか?」

「え。それはさっき話した通りですよ。私が聞いた霊の声と、誰かが引き起こした電波混信の声。二つの声があったと思ってます」

「い、いえ。そういうわけじゃなくてですね。その、僕が言いたいのはですね。霊のことをどう思っているのかって話です」

「霊のことを?」

「はい。霊の種類です」

「えっ。まぁ、地縛霊。とかですかね……?」

「やはりそう思いますか!」

「あっ、いえ、すみません。知ってる単語を言っただけで、深い意味はないです」

「そう、ですか……」

「あぁー、えっと、高木さんはどう思ってるんですか?」

「ぼ、僕ですか? そうですね、僕はですね、少し違和感はありますが、現状では、地縛霊だと思っています。そう思う理由としては、住宅街の人たちに聞き込みをして、とある情報を入手したからなんです」


 心霊の話になったら急に饒舌になったな。と思いつつ、


「とある情報?」


 と話を促す。


「はい。実はですね、約十年前、あのトンネルで誘拐騒動があったそうなんです」

「誘拐騒動? 事件じゃなくて?」

「はい。騒動です。大まかに説明するとですね、まず、あのトンネルで女子大学生が誘拐されたかもしれないと目撃情報があったんです。それで警察が捜索したところ、その女子大学生はすぐに見つかったんです。サークル仲間の家で。そうか。仲間の家で見つかったなら大丈夫か。なんてことにはいかないので、警察はもちろん、その場に居たサークル仲間たちの事情聴取をしました。その結果、全員が、その女子大学生も含めて全員が、悪ノリでも何でも無く、ただ家に連れて来ただけだ。と証言し、特段怪しいところも無かったので、この一件は目撃者の誤情報ということで終わったんです」

「なるほど」

「しかし問題はここからです。その騒動から約一年後、その子は自殺してしまったらしいんです」

「自殺……。てことは、やっぱりその誘拐騒動の時に何かあったのかな?」

「そうなんです。その誘拐騒動の時も、その後も、いじめがあったそうなんです。幸い、その子がいくつか証拠を残していたらしく、加担していた人は全員逮捕されたらしいです」

「そんなことが……。でも、おかしいですね。事件は解決されたんですよね?」

「はい。それなのに何故、十年近く経った今、地縛霊となって出て来たのか。ここが謎なんです」

「犯人が出所した。とか?」

「いえ、調べたところ、まだ出て来てないらしいです」

「なら、残党がいる? 事件はまだ解決していない。とか?」

「あり得る線ですが、今話した以上の情報は得られていないので、なんとも言えませんね」

「じゃあ、心霊的にはどう見てるんですか?」

「心霊的に? そうですね。一応可能性としては、自分の死を認知できていなくて数年後に現れるだとか、想いが熟成されて数年後に現れるだとか、最初は浮遊霊だったのが地縛霊になるだとか。説としては色々ありますけど、前の二つは死因が自殺と言うこともあり、そこまでしっくり来てなくて。三つ目に関しても、今地縛霊になるくらいなら、最初から地縛霊になるくらいの怨みがあるように思えるので、これもしっくり来ません。それに、トンネルで霊の声を聞いた感じ、あまり敵意とか怖さを感じなかったんですよね……。とまぁ、色々言いましたけど、結局はどれも説で、霊に関しては明らかになっていないことだらけなので、こういうケースもある。と言われたらそれまで。って感じですね」

「そうですか……」


 私は今の話を聞き、「敵意とか怖さをあまり感じなかった」というところが引っかかった。実際私も、霊の声から邪気を感じていなかったからだ。それどころか、気絶する前に聞いた声からは、拒絶、いや、警告と懇願を感じていた。私に何か伝えようとしていた気さえする……。この私の感想が何か手掛かりにならないだろうか。そう思った私は、


「霊に関しては詳しくないので何とも言えませんけど、一応、私が声を聞いた感想としては、あの声からは、警告と懇願、それと、何か伝えようとしている想いみたいなものを感じました」

「警告と懇願。それに、何か伝えようとしている想い。ですか」

「はい。何というか、助けを求められているような感じというか」

「助けを……。そうか、根本が違かったんですよ! これは地縛霊じゃなくて、守護霊なのかもしれません! 僕やあなた、その他少し霊感の強い人が、あのトンネルの近くに住む人の守護霊の声を感じ取っていたのかもしれません! 主人に危険が迫ってる、助けてくれ! と。これなら、トンネルの外で声が聞こえたのも納得できる。なんで気付かなかったんだろう。あの声から敵意や恐怖を感じてなかったんだから、地縛霊以外の線を考えてみるべきだったんだ……! そしてもし件の女子大学生が守護霊になっているんだとしたら、家族、或いは親友辺りを見守っているはずだ。まぁとにかく、交友関係を調べればこの心霊現象を解決出来るかもしれない」


 興奮する高木郁男を他所に、私の脳内には、「親友」という言葉がこだました。


(華恋……。そうだ。諦めちゃダメだ。私が華恋を助けないと……!)


 尽きかけていた心の火が再び燃え上がる。私の全身に力が漲ってきた。まずはこの拘束を解かないと。私は周囲を見回す。すると数秒後、左斜め前の少し先に、作業台みたいな物を見つけ、その上に様々な工具らしき物が並んでいるのを見つけた。どうやらこの薄暗闇にも慣れてきたみたいだ。そう思いながら、私は先ほど高木郁男がそうしていたように、縛られている両手両足を椅子ごと動かす。


「えっ、えぇ? あ、危ないですよ?」

「うるさい。行かないと。私は華恋を助けに行かないといけないの……!」


 両手足首の痛みに耐えながら、私は椅子ごと跳ね、慎重に、素早く、少しずつ前進する。しかし半分も行かないところでバランスを崩し、転倒した。


「だ、大丈夫ですか?」

「だい、じょうぶ、です……」


 私は答えながら、体をくねらせ、芋虫のように進もうとする。しかし上手くいかない。するとその時、ドアの開く音がして、冷気が流れ込んできた。あの声を聞いた時の寒気だ。そう思っていると、部屋の電気が点き、パタパタと足音が聞こえ、倒れている私を通り過ぎ、私が目指していた作業台の前に人が立った。そしてその人物は何かを手に取ると、私の方に歩み寄ってきて、しゃがみ込み、手に持っている物で私の左手首を拘束している結束バンドを切った。


「あなたは……」


 突然の明かりで眩む視界の中にいたのは、情報提供者三人のうち、一番左に座っていたオドオドした女性だった。


「ご、ごめんなさい。私、間違ってました」

「え?」

「またあの人の言いなりになるところでした」

「あの人?」

「はい。津野智美つのともみ。あなたたちを連れて来た女性です。そして、今回の件と、九年前の元凶でもあります」

「も、モミさんが……?」


 まぁ確かに、三十代前半に見えるという私の感覚が合っているのなら、十年前のモミさんは二十代前半、全然大学生でもおかしくはない。となると、いじめに関わっていてもおかしくないということになる。私は話を再開する。


「またって言うのは?」

「……さっきの話、少し違うんです。いじめられていたのは私で、私を助けようとした私の親友があの人たちに殺されたんです」


 彼女はそう語りながら、私を拘束する結束バンドを全て切ってくれた。そして高木郁男の方に向かう。私は立ち上がると、その背中に向かい、


「殺された?」


 と続けて問う。


「本当は自殺じゃないんです。あの人たちに薬をたくさん飲まされて殺されたんです。でも、証拠が足りなくて、殺人罪には出来なかった……。あの時、私は脅しに怯えて何も出来なかった。そして今回も、もう十年も経つのに、突然戻って来たあの人に脅されて、逆らえませんでした……」


 彼女はそう答えながら、高木郁男の結束バンドも全て切った。そして私の方に向き直り、


「でも、さっき隣の部屋でお二人の話を聞いて気付いたんです。変わらなきゃ。もう逃げちゃダメだって」

「さっきの話、守護霊の話を信じるんですか?」

「信じる信じないじゃありません。今さっき言ったように、気付いたんです。自分のためにも、あの子のためにも、あなたたちのためにも、変わらなきゃって」


 その瞳は力強く輝いていた。そこには決意と希望が宿っていた。


「私は助けられなかった。だから、早く行ってください。今ならまだ助けられると思います、お友達のこと」


 彼女がそう言った直後、


「助けて……」


 トンネルで聞いたあの声が聞こえて来た。高木郁男の方を見ると、彼は小さく頷いた。やはり守護霊はこの人に憑いているらしい。そしてもしかしたら、この守護霊は華恋の居場所を教えてくれている……? そう考えた私は、


「一緒に来てください。あなたが、いや、あなたの親友が、華恋の居場所を教えてくれるかもしれません」

「えっ、わ、分かりました」


 私たちは作業台に置かれている私物を回収すると、部屋を出て、隣のリビングキッチンを抜け、外に出た。どうやらアパート二階の一室に監禁されていたらしい。空は薄っすらと白んでいる。恐らく朝方なのだろう。そして視界の左方には、あの高架下トンネルが見えた。ということは、今現在いる場所は、トンネルの向こう側にある住宅街だ。


「助けて……」


 また声が聞こえた。その直後、背後から冷気が吹き付け、私の右腕辺りを抜ける。まるで私の腕を引こうとしているかのように。


「た、多分ですけど、この住宅街のどこかにいると思います」

「みたいですね。行きましょう」


 見渡す限り家。その数は膨大だ。しかしそれでも私の頭に絶望の二文字はなかった。何故なら、私たちを呼ぶ声が、私たちを導く声があるから。

 鉄の階段を下ってアパートを離れると、ひとまず警察への連絡を済ませ、私たち三人は守護霊の呼ぶ声に従い、住宅街の奥へ奥へと駆けて行く。そうして走ること二、三分。突然声が止んだ。


「はぁはぁ、この辺りってこと……?」

「そ、そうだと思います……」


 高木郁男の方も声が聞こえなくなったようだ。華恋はこの辺りにいるらしい。しかしよりによって今いる通りには、五階建てのマンションが建っていた。


「こ、このマンションを、一部屋ずつ探すんですか? 他に何か手掛かりは? あの、何か知らないんですか?」

「すみません。私は何も知らされてなくて……」

「とりあえず、警察に続報を連絡しておきます」


 このまま何もしないのは良くない。そう思った私はスマホを取り出す。そして警察に電話しようとしたのだが、見たことのない通知が来ており、それが目に留まった。


「これって……。すみません。どちらか警察に連絡をお願いします」

「わ、わかりました。私がしておきます」


 代わりに連絡を頼み、私はその通知を開く、するとマップが表示され、イヤホンの現在位置が表示された。私はそれを見て、その現在位置の方を向く。そこはマンションの隣に建つ、何の変哲もない一軒家であった。そして先ほど守護霊の声が途絶えた場所でもあった。


「華恋に渡してたイヤホン……。てことは間違いない。声は完璧に教えてくれてたんだ……」


 私は確信を得ながら小さく呟くと、スマホをしまい、その家に向かう。


「あっ、ちょっと。何か分かったんですか?」

「居場所が分かった。高木さん。囮になってくれませんか?」

「お、囮?」

「はい。相手を挑発して誘い出して、警察が来るまでここら辺を走ってください」

「は、はい?」


 私は短く説明すると、インターホンを押し、電話をしている彼女を連れ、マンション寄りの電柱裏に隠れる。


「えっ、あ、あぁー、聞こえますか? えっと、高木郁男です。何というか、逃げ出せちゃいましたー」


 インターホンに向かってそう言うと、玄関ドアの開く音がした。すると高木郁男は「ひぃ」と声を上げ、私たちがいない駅の方に向かって走り出す。そして間も無く、それを追うように、私たちを気絶させた男三人が出て来た。


「お前たちはアイツを追え、俺はアパートを見てくる」


 男三人は猛スピードで高木郁男を追いかける。その背中を見送ったあと、私は入れ違いで玄関ドアに向かい、予想通り鍵が開いたままになっている玄関ドアを開いた。すると、あの女と、モミさんと、いや、逃げようとしている津野智美と鉢合わせた。


「逃がさない」

「ちっ」


 舌打ちだけすると、津野智美は廊下を引き返し、階段を上がって行く。それを見た私は、視界の右端にあったビニール傘を手に取り、靴のままその後を追った。そして津野智美が逃げ込んだ二階の一室に入る。そこには様々な撮影機材と大きなベッドがあり、そしてその上に、華恋が横たわっていた。


「華恋……!」


 ――私がその姿に気を取られた一瞬、ドアの陰に隠れていた津野智美が襲いかかって来た。私は咄嗟に傘を構えようとしたが、それよりも前に相手の両手が私の首を掴み、私はそのまま背中から倒れた。


「ビジネスの邪魔、しないでくれる?」


 私は傘で反撃、乃至は押し返そうとするが、この距離では全く機能しない。私は早々に傘を手放し、体重をかけて首を絞めてくる津野智美の両腕を掴み、離そうとしてみたり、足をばたつかせてみる。しかしこちらの体力が削られるだけで、相手の首を絞める力は一向に衰えない。息が苦しい。意識が、遠のく……。もう、ダメだ……。そう思い、私の両手から力が失われた瞬間。私の肺が一気に酸素を吸い込んだ。そして私の上に力なく津野智美が倒れ込んだ。私は気絶した津野智美を横にずらし、仰向けに寝転がったまま前方を見上げる。するとそこには、両手で傘を握りしめて立つ、もうオドオドした様子は一切ない彼女が立っていた。


「はぁはぁ、助かりました」

「いえ。本当に、ごめんなさい……」


 申し訳なさそうに、悲しそうに謝る彼女に私は何も言えなかった。すると耳元で、


「ありがとう……」


 と小さく声が聞こえた。それで私は言うべきことが分かった。


「前を向きましょう。私たちには、心強い親友がついているんですから」

「……はいっ」


 パトカーのサイレンが聞こえて来た。それを聞いて安堵した私は、持ち上げていた頭を下ろし、一息ついた。それから多分、約一分後、先に保護されていた高木郁男の案内で警察が到着し、津野智美は逮捕され、私たちは保護された。尚、華恋は連れ去られた時に打たれた薬でずっと眠っていただけで、何かされたわけでも無く、病院へ向かう途中で何事もなく呑気に目を覚ました。


 一ヶ月後。複数回に渡る事情聴取が終わり、私と華恋は元の生活に戻った。華恋は事件についての動画をアップしたいから詳しいことを話してくれとしつこかったが、詳細なことは話せるわけもない、というか、話してはいけない決まりなので、私はなんとか華恋を説き伏せ、いつも通りの動画スタイルに戻した。高木郁男は、今回彼のブログが事件解決に繋がったと噂され、マニア以外の読者も増えたらしく、それで味を占めたのか、心霊スポットの霊の所以を考察する新しい方向性を開拓したとのこと。ちなみに、私が彼を囮にしたことは勿論根に持っているようで、その詫びに心霊スポット巡りを手伝えとちょくちょく連絡が来ているが、今のところは上手く断っている。そして今回の黒幕、津野智美は、次々に余罪が暴かれているとのこと。詳しいことは分からないが、大体の手口は、弱っている女性や困っている女性を見つけては、言葉巧みに欺き、違法な薬を飲ませ、それで脅し、女性が寄り添い合っている安全なグループという雰囲気作りをさせた上で、また新しい女性を取り込み、性的な動画を撮って稼ぎ、その稼いだ金と取り込んだ女性をあてがうことで数人の男を従わせ、捕まりそうになった時はその男たちを身代わりにして逃げ延びていたとのこと。この他にもまだまだ疑いがあるらしいので、事件が完全に解決するのはしばらく先のことになりそうだ。次いで、事件解決のキーマンとなった彼女と守護霊について。まず彼女は、津野智美が起こして来た過去の事件の完全解決に全面協力をすることになった。それに加え、女性を様々な被害から守る会、延いては、被害を受けた女性を守る会を作るとのこと。大変そうではあるが、頑張って欲しい。何かあれば私たちも手伝うつもりだ。続いて守護霊について。津野智美逮捕後、何回か彼女と会っているのだが、もうあれ以来声は聞こえない。しかし成仏したわけでも無いと思う。何故なら、微かに気配を感じるから。多分今は、ただ静かに、成長した彼女を見守っていたいのだと思う。それとこれは願望だが、守護霊になった彼女の事件も、いつか完全に解決したら良いなと願っている。

 とまぁ、これで私たちのその後については終わりだ。というわけで最後に、個人的な感想を残して終わろうと思う。これは今回大きな被害が無かったから書けることだが、今になってみると、色々なことを学べたなと思っている。やはりネットは危険だということや、一番恐ろしいのは人間なのだというネガティブな部分もそうだし。案外霊感があるのも悪くないなと自分の力を初めて認められたことや、霊について多少知れて、興味を持てたことはプラスだと思っている。そんな色々な学びがあった中、今回私が一番痛感したのは、他人との繋がりの在り方だ。それは良い繋がりに限らず、悪い繋がりも含めてだ。悪い繋がりはすぐに断つ。願わくば相手を見極め、繋がりを持たない。逆に良い繋がりは大切に、蔑ろにせず、一生の宝にするべきだと、私は今回の件を通じて思った。……以上。


 とりあえずの備忘録を書き終えた私は、ノートパソコンのキーボードから両手を離し、天に向け、うんと伸びる。終わらせ方が少しクサいかな。とも思ったが、それはまた後で推敲すれば良い。今日は多分もう少ししたら。

 ――ピンポーン。

 来た。私は玄関に向かい、ドアを開ける。するとそこには、


「おはよー、結子。動画のネタ、考えよー」


 私のかけがえのない親友が立っていた。

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