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第一話

 私の名前は岩城結子いわきゆうこ。都内近郊のワンケーアパートに一人で暮らし、動画編集で食い繋ぎながら小説家を目指している二十七歳。女。彼氏がいたことはないし、友だちは少ないし、財力もない。けれど、霊感だけはある。これは、そんな私が体験した、いつか作品になるかもしれない備忘録である……。


 事の発端は炎天下の日だった。数日ぶりに外出して最寄りのスーパーマーケットで買い出しを済ませた私は、外の猛烈な暑さに焼かれ、苦しみ、萎えながら、今日も今日とて帰宅時のルーティンとして、片側二車線道路の向こう側に聳え立つ背の高い高級マンションを見上げ、(いつか絶対あそこに住んでやる……)と恨めしくかつ羨ましく睨んでから裏道に入り、真っ直ぐ数分歩き、我が居城、オンボロアパートに帰り着く。


「あっつ、何この暑さ……。流石にエアコンつけないと死にそう……」


 そんな愚痴をこぼしながらアパートの鉄階段を上がり、一番端の二〇四号室前で一度止まると、自宅の鍵を取り出し、レバーハンドル上にある鍵穴に鍵を挿し、解錠方向に回す。――しかし鍵は回っただけで、解錠した手応えがない。


(あれ。行く前に二回は確認したし、間違いなく施錠したはずなんだけどな……。まさか……)


 嫌な予感がした私は、鍵を引き抜き、ショルダーポーチにそれをしまうと、レバーハンドルを握り、恐る恐るそれを下げ、手前に引く。ドアは何にも引っ掛からず、静かに、ゆっくりと、不気味に開いていく。その隙間が開けば開くほど、私の内に芽生えた嫌な予感が大きく、そして確かなものになっていくのを感じた。

 程なくしてドアは完全に開いた。私は傍に置いていた荷物を手に取り直し、二〇四号室に入る。玄関からすぐにあるキッチンスペースには誰もいない。そのキッチンの先、居室に続くドアは閉まっている。エアコンはつけずに家を出たので、私は確実にドアを開けたまま出掛けたはずだ。にもかかわらずドアは完全に閉まっている。それを目にした私は覚悟を決めるように小さく息を吐くと、靴を脱ぎ、真っ直ぐキッチンを進み、再度呼吸を整えてからドアを開ける。すると次の瞬間、冷気がサッと吹き抜け、私の全身を撫ぜた。そしてその冷気に乗って、


「おかえりー」


 と、呑気な声が届いた。


「やっぱり……」


 普段私が愛用している座椅子には、小学生時からの友人……。いや、腐れ縁の、椎名華恋しいなかれんが座っていた。


「やっぱりって何? もしかして、私が来るって分かってたの?」

「いや、そういうわけじゃなくて……」

「スゴイ! 霊感があるとそんなことも分かるんだね!」

「いやだから――」

「じゃあ次は、なんで来たのか当ててみて?」

「……はぁ。荷物置いて来たらね」


 この通り、椎名華恋は天然である。そして見ての通り、私は椎名華恋に逆らえない。腐れ縁だからというのも一つの理由だが、それは些細なものである。彼女に逆らえない理由は他にある。それも大きな理由が二つ。一つ目は、椎名華恋が私の雇い主であるという点だ。彼女は有名なインフルエンサーであり、私はその、有名インフルエンサー椎名華恋の動画編集をさせてもらっている。いや、正確には無理やり押し付けられて現在に至るのだが……。この詳細を話し始めると切りがないので今回はこの辺でやめておこう。気を取り直して逆らえない理由二つ目は、彼女の父の存在である。彼女の父は管理会社を経営しており、ここら一帯のアパートやらマンションやらをまとめて管理している。ここまで話したら大体察しがつくと思うが、一応最後まで説明すると、私が一人暮らしをすることになった際、フリーターの私が都合良く住める家など無く、それを知った彼女が父親に頼み、この部屋を確保してくれたのだ。以上の二点から、私は椎名華恋に逆らえないのである。ちなみに、私に霊感があることを知っているのも、この世で彼女だけである。


「まだー?」


 ドアの向こうから緩く軽く能天気な声が聞こえてくる。


「もうちょい待ってて!」


 この暑さが私を苛立たせるのか、或いは彼女が私を苛立たせているのか定かではないが、私はドア越しに、そこまで必要ない声量と語気で答えると、買ってきた物諸々を冷蔵庫にぶち込み、マイバッグを調理台に放り、部屋に戻る。


「分かった? 私が来た理由」


 戻るや否や、華恋は純真無垢な瞳で私に問いかける。彼女がここに来た理由なんて分かるわけがない。と言いたいところだが、実は、全然分からないというわけでもない。何故なら、以前にも幾度か似たシチュエーションに遭遇しており、彼女の行動パターンは大体把握しているからだ。恐らく二、三手で当てられるだろう。私はそう考えながら、ノートパソコンが置かれているローテーブルを挟み、彼女の対面に正座する。まず思い出すべきは、過去に幾度かあった似たシチュエーションだ。確かそのどれもが、彼女自身のことだったはずだ。動画投稿を始めたいという相談。好きな人ができたという相談。面白くて新鮮な動画のネタが欲しいという相談等々。そしてそれらの事実に加え、私が編集ミスをした時や、家賃の支払いが遅れた時など、私に関する問題が起きた時は、メッセージアプリで軽く済まされただけという事実も存在する。以上の過去から鑑みるに、彼女が私を叱るためにだとか、私の生活に口出しするためにだとか、理由は何にせよ、私のためにわざわざここまで来るとは思えない。というわけで今回も、彼女は彼女自身のためにここに来たのだと思われる。そう推理した私の一手目はこうだ。


「うーん、そうだなぁ……。多分だけど、なんか相談があって来た。とかかな?」

「えっ、うん。スゴイ! その通り!」


 やっぱり。当たって嬉しく思う反面、間違いなく面倒なことになるだろうなという予感が過ぎる。しかしここで話を進めないと彼女は間違いなく拗ねる。だから私は、


「動画のことかな?」


 と仕方なく、間断なく続ける。


「えっ、そう!」


 華恋は驚いているが、別に大したことではない。私はただ、直近の相談、動画のネタを探しているという彼女の相談を覚えていたから、一番可能性が高いと思い、当てずっぽうに言っただけである。


「なるほど。ということは、何か新しいネタを見つけて来たとか。そんなところ?」

「まさに! その通り!」

「へぇー、気になるなー」


 これはもちろん建前である。全然気にならないし、出来れば関わりたくもない。彼女がこうして目をキラキラさせている時は、大抵面倒、若しくは危険なことに巻き込まれる前兆なのだ。しかしそれでも、そこまで理解していても、実質彼女に食べさせてもらっている身の私は、こう聞き返すしかなかったのだ。


「気になる? うーん。でもどうしようかなぁ。また当ててもらおうかなぁ」

「さ、流石に無理だよ。教えて欲しいなー。あはは……」


 振り被って平手打ちでも食らわせてやろうかと言う気持ちを抑え込み、私は愛想笑いと共に媚びへつらった。


「仕方ない。そこまで言うなら教えてあげよう!」


 華恋は機嫌良く答えると、少し前のめりになり、両肘をローテーブルに乗せて話を続ける。


「前回企画会議した時、視聴者さんに向けて企画募集してみようって話になったじゃん?」

「うん」

「それで、企画募集動画、アップしたでしょ?」

「したね」


 簡単に説明するとこうだ。数週間前、「動画の内容がマンネリ化して来たから、何か新しいことをしたい。それか、何か刺激的なことがしたい」と華恋から相談を受けた。それに私は、「視聴者さんに聞いてみれば?」と答えた。その結果、我々は企画募集動画を投稿したのだ。この相談から、そして彼女の話し振りから予想するに、どうやら今日は、その餌に掛かった獲物を報告に来たらしい。


「その動画にね、面白いコメントが来てたの。見て見て」


 華恋はニコニコしながらそう言うと、スマホを取り出し、数週間前に投稿した企画募集動画のコメント欄が表示されたスマホを私の前に置いた。私がそれを手に取ると、「これこれ!」と華恋が華奢な指で一つのコメントを指し示したので、私はそのコメントを口に出して読んだ。


「動画投稿お疲れ様です。いつも楽しい動画、面白い動画をありがとうございます。動画のネタを探しているということで、早速ですが、私の希望を一つ、書かせていただきます。久し振りに、心霊検証動画なんてどうでしょうか」

「結構前にも一回やったけどさ、その動画、めっちゃ伸びたじゃん? それに今夏だしさ、丁度いいと思うんだけど、どう?」

「うーん……」


 心霊系が伸びるというのは分かる。そしてそれに加え、動画が伸びれば私の収入に繋がるというのも自明だ。しかしとは言え、霊感のある私としてはあまり乗り気にはなれない。とここで、恐らくこう思う方がいるだろう。動画を撮りに行くのは華恋なのだから私には関係ないだろう。と。そんな方々に向け、説明しておきます。前回私はカメラマンとして同行していたのです。だから今回も間違いなく、私が同行すること前提で話していると思うのです。よって、私は乗り気になれないというわけです。


「前回は結局何もなかったんだしさ、今回だって大丈夫だよ。だから、ね? 行こうよー」


 私が答えを渋っていると、予想通り、私が来ること前提で華恋が追い討ちを仕掛けて来た。まぁ確かに、彼女の言う通り、前回の撮影では何も起きなかった。有名な心霊スポットなんて言われてはいたが、行ってみたら全然霊気を感じなかったし、当然霊も出なかったしで、結果的には無事に帰ることが出来た。しかしそれは結果論だ。やはり、事前情報で霊が出ると言われている場所に自ら赴くなんて無理だ。そんなの私からしたら自殺行為に等しい。


「じゃあさ、とりあえず内容を見てみるってのはどう?」

「内容?」

「そう。このコメントの返信にね、コメ主さんが、心霊スポットの概要が書かれたブログのリンクを貼ってくれてるの」


 華恋は巧みに話を進めると、身を乗り出し、私が持っているスマホの画面を逆さまに覗き込み、私が読んだコメントの返信を開いた。そこには確かにリンクが貼られていた。それも二つ。


「二つあるんだけど?」

「片方はさっき言ったように心霊スポットのリンク。もう片方は、この人の交流アプリのアカウント。もし撮影するなら案内してくれるって」

「ふーん」


 なんだか急に胡散臭く思えて来た。このコメント主、もしかして、ただ華恋と出会いたいだけなんじゃない? と。しかしそうは思いつつも、ひとまず、華恋の機嫌は取っておいた方が良いだろうと思い、私は一つ目のリンクを開く。リンク先は、オカルトマニアとしてその道の人たちから支持を得ている、やや名の知れたブロガーの心霊スポット紹介ブログであった。


「異界からの呼び声……」


 目に付く見出しだったので、私は思わず声に出して読んでしまった。それを聞いていた華恋は私を見て微笑みを浮かべた。あまり調子に乗らせるのも良くない。私は気を引き締め直し、黙読で、本文を読み始める。……ブログ記事はそれほど長くなく、ほんの数分で読み終わった。大体の内容はこうだ。

 心霊現象が起きている場所は都内近郊の某所にある、歩行者だけが通れる、人通りの少ない高架下のトンネル。時刻は夜。この道を一人で歩いていると、「こっちに来て……こっちに来て……」とか、「助けて……助けて……」とか、「ダメ……ダメ……」とか、突然女性の声が聞こえて来るとのこと。筆者も自ら赴いたところ、「助けて……」と聞こえたような気がしたらしい。尚、未だ幽霊の目撃証言は挙がっていない。が、ほとんど同時期に、結構な数の類似証言がネットに出回り、そのタイミングでこのブロガーが取り上げたこともあり、俄かに騒がれ始めている心霊スポットになっているらしい。


「なるほどね」

「どう?」


 どう? と聞かれても、私の答えは変わらない。見るだけ見て機嫌は取ったのだから、後は断るだけだ。


「うーん。まぁ、幽霊の姿は目撃されてないみたいだけど、やっぱり、私としては――」


 私が却下しようとしたその時、私の持っているスマホ、華恋のスマホに通知が届いた。通知音が爆音だったので、私はその音に反応し、不本意ながら手元に視線を落とし、通知を見てしまった。するとそこには、


『いつお会い出来ますか?』


 という文字が並んでいた。それを読んだ私は、口を半開きにしたまま固まった。


「……」

「どしたの?」

「どしたのじゃないよ。これ何?」


 そう言いながら、私はスマホの通知画面を表示し、それを突きつける。


「あっ、えっと、その、これは……」


 華恋は必死に誤魔化そうとするが、間もなく、


「ごめん! 実は、もう行くって言っちゃってます!」


 と白状した。


「はぁ……」


 斯くして私は、私たちは、「異界からの呼び声」という心霊現象の検証動画を撮りに行くことになったのであった。

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