第6話 天城澪は現場に入る
一ヶ月後。
俺の本業は、たぶんまだフリーライターのままだった。
税務上も、名刺上も、昔の編集に連絡を入れれば「最近どうですか、久世さん。次の特集、空いてます?」と普通に返ってくる程度には。
ただし、生活の中心は完全に別の場所へ移っていた。
都内の外れ、再開発から半歩取り残されたような準工業地帯の一角。古びた事務所兼倉庫を改装した、小さなテナント。表向きの看板には、東都エナジー&ロジスティクス株式会社の新規事業実証ラボとだけ書かれている。
中に入れば、簡素だがよく整理された工房だ。
壁際に並ぶ保管ラック。
作業台。
簡易検査機器。
入出庫管理用の端末。
納品前チェックのためのスペース。
表向きには、中古・業務用バッテリーを再生し、高耐久仕様へチューニングするための、小規模な実証工房。
そして、表向きでは絶対に説明できないコア工程だけが、俺の手元に残っている。
東都E&L名義で流す製品は、まだ一般向けではない。
業務用。現場用。高単価。限定供給。
それでも問い合わせは順調に増えていた。
初期ロットはすでに、測量用ドローン業者、港湾設備点検会社、映像撮影チーム、それから災害訓練向けの機材会社にまで回り始めている。量産とはまだ呼べないが、少なくとも「片手間の副業」で済む段階はとっくに超えた。
先月の原稿料と、今月の再生バッテリー関連収益を比べた時は、さすがにしばらく天井を見上げた。
笑うしかない。
「顔、死んでますよ」
背後から声がして、俺は振り返った。
天城澪が、紙コップのコーヒーを二つ持って立っていた。
「死んでない。現実を見てただけだ」
「どっちにしても似たような顔でした」
そう言って、一つを差し出してくる。
天城は一ヶ月前と変わらずきっちりした格好をしていたが、今はもう初対面の企業人という感じではない。この工房の空気に馴染んでいる。搬入業者と話し、契約書を片付け、ラベルの表記を詰め、検査設備の発注ミスに頭を抱え、俺の無茶な要求に眉をひそめる――そういう現場側の顔を、もう何度も見た。
「ここまで一ヶ月で整えるとは思わなかった」
俺が言うと、天城は肩をすくめる。
「思っていたより面倒でしたけどね。特に、あなたの“これは見せていい、これは見せるな”の線引きが」
「重要だろ」
「重要です。でも毎回ギリギリすぎます」
そこは否定できない。
工房は東都E&Lが押さえた。
表向きの帳簿、資材の調達、テスト市場への流し込み、初期顧客の選定、納品経路の偽装――いや、偽装というと語弊があるが、“再生業者として不自然に見えない外観作り”はほぼ天城がやった。
俺はコア工程と品質の線引きだけを握る。
この分担がなければ、一ヶ月でここまでは来られなかっただろう。
「今日は例の“確認”でしたよね」
天城がコーヒーを一口飲んで言う。
「ええ。約束でしたから」
約束。
工房を回し始めるにあたって、俺たちはいくつか線を引いた。
表の工房には表の設備しか置かない。
本当に見せたくないものは持ち込まない。
けれど、天城が共同責任者としてこの場に入る以上、コア装置の存在だけは一度きちんと見せる。
そう決めていた。
録画なし。
持ち出しなし。
接触は俺だけ。
イヴのことは伏せる。
海鳴りの倉庫のことも伏せる。
信頼の証というより、管理の明文化だ。
「準備は?」
「できてる」
俺は作業台の端に置いていた金属製ケースへ視線を向けた。
天城も、その視線を追う。
ほんの一瞬だけ、彼女の表情が変わった。仕事用の冷静さの奥に、純粋な好奇心が覗く。
その顔を見ると、少しだけ安心した。
この女は、まだ驚ける。
◇
「先に確認しておきます」
天城は作業台の前に立ち、タブレットと小型計測器を並べた。
「今日は工程そのものの全開示を求めません」
「ですが、コア装置の存在と、それが本当に工程の中心であることは確認したい」
「それでいいですか」
「いい」
「あと、質問は後に回します」
「助かる」
「その代わり」
天城はケースから一本のバッテリーを取り出した。
「テスト個体は私が持ち込みます。検査済みです。仕込みの余地はありません」
「ぬかりないな」
「共同責任者ですから」
言い方に迷いがない。
もうスポンサー候補なんて温度ではない。
俺は金属ケースに手をかけた。
開ける。
中に収まっていた銀色の小球――セル・チューナーは、工房の白い照明の下ではやけに静かに見えた。
何も知らない人間が見れば、奇妙な工業試作品か、装飾のない金属工芸品にしか見えないだろう。
だが、天城は息を呑んだ。
「それが」
「中核装置だ」
俺はそれ以上の説明をしない。
セル・チューナーを専用の断熱シートの上に置き、天城の持ち込んだ劣化バッテリーを隣に並べる。彼女は腕を組んだまま、食い入るように見ていた。
「触らないでください」
「分かっています」
俺はセル・チューナーに指先で触れ、バッテリーへ近づける。
一瞬だけ、銀の表面に薄い光が走った。
高音とも金属音ともつかない、小さな“鳴り”がする。
次の瞬間、セル・チューナーは磁力でもない力で吸い寄せられるようにバッテリー表面へ寄り、するすると滑った。数秒。たったそれだけだ。
淡い光が一度だけ脈を打つ。
終わり。
セル・チューナーをケースへ戻す。
天城は、すぐには動かなかった。
「……今ので?」
「今ので」
彼女は無言でバッテリーを取り上げ、計測器に接続する。
画面が立ち上がり、数値が流れた。
ほんのわずかな沈黙のあと、天城は目を細めた。
「熱特性が変わってる」
「出力の揺れも減ってる……劣化セルの挙動じゃない」
タブレットでもう一つ別の測定を走らせる。
指先は落ち着いているのに、呼吸だけが少し浅くなっていた。
「……なるほど」
前にも聞いた言葉だが、今回は重みが違った。
「これでようやく、“工程”という言葉の意味が分かりました」
俺は肩をすくめる。
「見せたかったのはそこだけだ」
「十分です」
天城は画面から目を離さずに言う。
「少なくとも今の時点で、これは単なる職人技ではありません」
「装置依存のブラックボックス工程です」
「そして、あなた一人の勘や感覚に頼った偶然でもない」
「そこは強調しておきたいところだからな」
「でしょうね」
天城はようやく顔を上げた。
その目にあったのは驚きではなく、覚悟に近い光だった。
「では改めて整理しましょう」
彼女は作業台の上にメモを広げる。
「中核工程はあなたが握る。装置もあなたが管理する。工房には持ち込むが、保管場所は固定しない」
「私は表の事業を管理する。物件、設備、法務、資材調達、販路、契約、帳簿、納品」
「この場は“表の工房”です。ここに来る人間には、ここで見える範囲だけが全てだと思わせる」
「その通り」
「本当に見せたくないものは、ここに置かないでください」
その言い方に、俺は少しだけ笑った。
「理解が早くて助かる」
「理解しないと、この技術は守れませんから」
彼女の口調は真面目そのものだった。
「それと、工程の一部が見えても困ります。なのでこの工房では、最終変質の前後工程だけを通常業務に見せる設計にします」
「外から見れば、あくまで高品質な選別・再生・調整をしている工房」
「極端な話、ここを調べられても“優秀な再生業者”以上には見えない形にしたい」
「俺もそれがいいと思ってる」
「なら話は早いですね」
天城はメモに線を引いた。
「販売先は予定通り、閉鎖市場から。一般向けはやりません」
「業務用ドローン、測量、港湾設備、災害訓練、特殊環境向け電源。少量高単価で、性能が歓迎される領域」
「製品名は東都E&Lの業務ラインに寄せてあります。怪しまれない程度に、でも印象には残るように」
「そこは完全に任せる」
「任されました」
短い返事だが、その声にはほんの少しだけ満足が混じっていた。
天城は仕事を任されるのが嫌いではないらしい。
いや、むしろ好きなのだろう。
「それで」
彼女はペンを止めて、俺を見る。
「ここからが大事です」
「何が」
「私の立ち位置です」
空気が少し締まる。
「前にも言いましたが、私はスポンサーになるつもりはありません」
「資金だけ出して、レポートだけ受け取る立場ではこの技術に関われない」
「だから、この工房に関しては共同責任者として入ります」
真正面から言われて、俺は黙った。
「在庫管理、納品判断、顧客選定、危険案件の切り分け、リスク管理」
「少なくとも表の顔に関わる部分では、私は当事者です」
「そこまで背負うのか」
「背負わないと意味がないでしょう」
天城は少しだけ首を傾げた。
「この技術、久世さん一人では抱えきれません」
「でも、会社の枠だけでも扱いきれない」
「なら、誰かが中に入るしかない」
その言い方は、妙にしっくり来た。
たぶん俺も、どこかでそれを待っていたのだと思う。
金を出すだけの相手ではなく、面倒ごとごと抱えに来る人間を。
「じゃあ改めて確認する」
俺は作業台に手をついた。
「天城さんは、この工房の共同責任者になる」
「表の器はそっちが作る」
「俺はコア工程を握る」
「利益は仮で折半」
「一般市場はなし」
「妙な匂いがしたら止める」
「異議ありません」
「……早いな」
「この一ヶ月で、そこは何度も頭の中で確認しましたから」
言いながら、天城はバッグから小さな封筒を取り出した。
「これは?」
「工房の鍵です」
封筒の中には、物理キーとICカードが一枚ずつ入っていた。
俺は少しだけ眉を上げる。
「二重管理か」
「当然です。ここの出入りは履歴を残します」
「ただし、あなたが深夜に来ることも想定して、物理キーも用意しました」
「至れり尽くせりだな」
「言い方によっては監視です」
「そっちの方が正確だろうな」
だが、嫌ではない。
この女は“信用してるから自由にどうぞ”とは言わない。
代わりに、“信用するための管理方法を作る”タイプだ。
たぶん、俺と組むにはその方がいい。
天城は封筒を俺の手元に押しやった。
そこで一度だけ、表情が少し柔らかくなる。
「ここからは」
静かな声だった。
「あなた一人の仕事ではありません」
その一言が、やけに深く落ちた。
工房の白い蛍光灯。
作業台。
簡易検査設備。
壁際に並ぶ納品待ちのケース。
銀色の小球が収まった金属ケース。
そして、財閥系企業の新規事業開発室から来た女。
どれも現実感の薄い取り合わせなのに、今この瞬間だけは妙に確かだった。
俺は鍵を受け取る。
「……そうだな」
小さく笑ってしまう。
「そこまで言うなら、こき使うぞ」
「望むところです」
天城は即答した。
その顔を見て、俺は思う。
ああ、こいつは本当に現場に来るつもりなんだな、と。
◇
その日の夕方、天城が帰ったあと。
工房の中は急に静かになった。
さっきまで二人で詰めていた在庫表や顧客リストが、作業台の上に残っている。鍵の重みがポケットにある。
俺はスマホを取り出し、小さく呟いた。
「終わったぞ」
【交渉結果は良好です】
イヴの声が返る。
「思ってたより、ずっと踏み込んできた」
【天城澪は有能です】
「だな」
俺は工房の中を見回す。
表の工房。
裏の秘密基地。
業務用に偽装された革命。
ライター崩れの男と、財閥系企業の現実主義者。
数週間前の俺なら、こんな光景を文章にしても没にしただろう。設定が盛りすぎだと、自分で笑って終わったはずだ。
でも今は違う。
鍵は手の中にある。
工房は動いている。
チームもできた。
「一人じゃない、か」
【事実です】
「いちいち余韻を潰しに来るな」
【確認しただけです】
海鳴りの倉庫はまだ一七パーセントしか起動していない。
セル・チューナーは一基しかない。
隠すべきものは山ほどある。
その上、そろそろ外の世界も騒ぎ始めるだろう。
面倒ごとは増える。間違いなく。
でも、もう“俺だけで抱えるしかない”状況ではない。
ポケットの中の鍵を指先で弄びながら、俺は小さく息を吐いた。
黒字になった事業。
現場へ降りてきた共同責任者。
秘密を守るための表の工房。
そして、帰るべき裏の基地。
ようやく、形になってきた。
世界をひっくり返すには、まだ全然足りない。
けれど、少なくとも始めるための陣地は整った。
この鍵は、その証明みたいなものだった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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