第42話 眠り板
採石場跡は、遠くから見るとただの削れた山だった。
山肌を大きく抉った灰色の壁面。ところどころ雑草に覆われた斜面。使われなくなった搬入路。錆びたガードレール。重機の轍だけが古く乾いた地面に残っていて、いまはもう大きな音もない。
だが近づくと、完全な廃墟ではないことが分かる。
閉山した採石場そのものは死んでいる。
でも、その脇にくっつくように残った旧資材仮置場の一部は、まだ地元企業が使っていた。土木資材、古い鉄材、型枠、用途不明の機械片。いかにも「捨てるには金がかかるが、使うには古い」ものが積まれている。
時間に置いていかれた場所。
だが、人の都合だけはまだ残っている。
そういう場所だった。
「良い場所ですね」
車を降りた直後、天城が言った。
「良いか?」
「はい。雑多で、整理されきっていない。何かが埋もれるには最適です」
「お前の“良い”はたまに怖いな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
受け取るなよと思ったが、たぶん止めても無駄だ。
同行は前回と同じく、俺と天城、それから佐伯。
表向きの名目は、旧港湾設備部材の由来確認と産業遺物の安全性評価。統合室が引いた線はきれいだった。港の荷揚げ施設から流れた古い部材の一部が、採石場跡の旧資材仮置場へ入った可能性がある。その確認に東都が来た。十分それらしい。
現地で出てきたのは、地元企業の管理をしているらしい中年男だった。背は高くないが、腕と首が太い。採石場の全盛期は知らなくても、その終わりと後始末をずっと見てきた顔だ。
「東都さんですね。話は聞いてます。古い港の資材がどうこうって」
「ええ。仮置きされた部材の一部を確認したくて」
天城がいつもの仕事の顔で返す。
管理者――新城と名乗った男は、面倒そうではあったが、拒む感じではなかった。たぶんこういう場所は、外から来る“ちゃんとした用事”には逆らいづらい。逆らわない代わりに、責任の線だけは曖昧にしない。そういう空気がある。
「危ないとこもありますから、勝手に奥へ行かないでください。古い棚も床も、見た目ほど信用できません」
「助かります」
佐伯が短く答えた。
こういう時、この人は妙に現場へ馴染む。財閥本流の人間なのに、無駄に偉そうな顔をしないからだろう。
案内されて入った旧資材仮置場は、思っていた以上に“何でもある”場所だった。
曲がったH鋼。
切断途中のワイヤ。
古い滑車。
箱に入ったボルト類。
使い道の分からない留め具。
何かの基礎架台。
そして、どう見ても今後使うことはないのに、誰も処分の決断をしていない古い箱。
見渡して最初に思ったのは、これは時間の墓場だな、ということだった。
使われなくなったものは死ぬ。
だが、死んだものがすぐ消えるわけじゃない。
予算と手間と責任の都合で、こういう場所に長く残る。
だから、埋もれる。
「こういう場所、面白いものと壊れたものが同じ顔して並んでるな」
俺が言うと、天城が頷いた。
「ええ。そして今の私たちに必要なのは、面白い方ではなく、必要な方です」
その通りだ。
パワーアーマーでも、妙な外骨格でも、古い発光護符でもない。
いま欲しいのは、札を眠らせる側の技術だ。
俺たちは、資料にあった区画名を頼りに奥へ進んだ。
仮置場の端、崩れかけた棚列の向こう。半分倒れた表示板が、雑草に半分埋もれている。
そこに、かろうじて文字が残っていた。
危物一時寝かせ
「ほんとにそのまま残ってるのかよ……」
思わずそう呟くと、新城が肩をすくめた。
「昔の区画名です。うちも半分ネタみたいに呼んでますよ。危ないもんはとりあえずそこへ寝かせとけって、昔の現場が勝手にそう呼んでたらしいです」
「危ない、って?」
天城が聞く。
「重いとか、切れるとか、よく分からんとか、そういうやつです。古い機械の変な部材も、たまに回ってきてたらしいですね。うちは閉山後の掃除から入った口なんで、昔のことは聞きかじりですけど」
それで充分だった。
札車。
止め具。
眠り板。
どれも、現場語の中にだけ残る。
“危物一時寝かせ”なんて、まさにそういう名前だ。
◇
最初の三十分は、ほとんど外れだった。
それっぽい金具。
変な板。
妙に薄い鉄片。
古い仕切り札。
変色した絶縁材。
どれも見た目はそれらしい。だが、触ると違う。
材の座りが違う。
匂いが違う。
何より、札車の下札や港の止め具にあった、あの“周囲から少し浮いた感じ”がない。
「これじゃないな」
「ええ。違います」
天城も短く答える。
「似ているようで、ただ古いだけです」
「こういう場所、偽物も多いな」
「偽物というより、時間に削られて全部同じ顔になるんです。だから厄介なんですけど」
棚の奥へ行く。
木箱を一つずらす。
古い資材札をめくる。
そのたびに埃が立ち、乾いた錆の匂いがする。
佐伯はその少し後ろで何も言わないまま動線を見ていた。新城も最初こそ付き合っていたが、途中から「危ないとこだけは声かけてください」と言って少し離れた場所へ引いた。こちらが本気で何かを探しているのは分かったが、それ以上に深入りする理由もない、という温度だ。たぶんそれでいい。
棚列の一番奥に、小さな工具箱があった。
灰色の、つぶれた鉄箱。蓋の蝶番は片方死んでいて、鍵もない。中には古いスパナ、割れた計器片、意味の分からない留め具が詰まっている。
その底に、一枚だけ板が敷かれていた。
いや、敷かれているように見えた。
「……待て」
俺はしゃがみ込み、手を止めた。
ただの仕切り板に見える。
灰色がかった薄板。
金属にも木にも見えきらない。
取っ手も装飾もない。
片端に浅い切り欠きが一つあるだけ。
地味すぎる。
でも、その地味さの奥に、見覚えがあった。
札車の下札に似ている。
港の止め具の札にも、少しだけ似ている。
材の座り。
周囲と喧嘩しないくせに、周囲の時間に完全には馴染んでいない感じ。
「天城」
呼ぶと、彼女はすぐ横にしゃがんだ。
「見つけましたか」
「たぶん」
俺は箱の中を指さす。
彼女は一瞬だけ黙り、それからかなり小さく息を吐いた。
「……これですね」
「そう見えるか」
「かなり」
それ以上、二人ともすぐには触らなかった。
見た目が地味なものほど、こういう時は一歩置いた方がいい。
札車の件で、それは学んだ。
だが、確かめずに帰るわけにもいかない。
「新城さん」
天城が立ち上がり、少し離れたところにいた管理者を呼ぶ。
「この箱ごと、少し確認してもいいですか」
「いいですけど……何かありました?」
「古い絶縁板か仕切り板の類だと思います。由来確認をしたいだけです」
言い方がうまい。
“何か変なもの”ではなく、最後まで“古い板”の顔で通す。こういう時の天城は本当に頼りになる。
「構いませんよ。そんな箱、誰も使ってませんし」
「助かります」
箱を机代わりの平台へ移す。
板だけを外す。
軽い。
いや、軽すぎるわけじゃない。
素材相応の重さはある。
でも、持った瞬間に妙な静けさが手へ伝わる。主張しない。暴れない。なのに、ただの古板じゃないと分かる。
「……眠り板、っぽいな」
俺が低く言うと、天城が頷く。
「ええ。ただ、まだ“っぽい”です。少しだけ反応を見ましょう」
そこで彼女が車から持ってきた小型ケースを開けた。中には、港から借りたあの古い部材片が入っている。札車の近くに置いた時、作用が少し浅くなったやつだ。
天城は眠り板らしき薄板を、その部材片の近くへそっと寄せた。
目に見える変化はない。
音もしない。
光りもしない。
だが、部材片の周囲にあった、あの微かな“張り”みたいな感じがふっと薄くなる。説明しづらい。けれど、札車の近くで感じた鈍りと同種のものだった。
「……落ちたな」
「ええ。強い変化ではありません。でも、効き方がそっちです」
「止めるんじゃなく、浅くする」
「はい。たぶん、そういう側です」
それで充分だった。
記録がある。
手帳とも繋がる。
現地の区画名も合う。
そして、札車や止め具に寄せた時の反応もある。
もう外れではない。
◇
持ち帰りは、思っていたよりあっさり通った。
拍子抜けするくらい、だ。
もちろん理由はある。
今回は現役設備に組み込まれていた止め具とは違う。
ただ仮置かれ、死蔵されていた箱の底板。
地元側にとっては古い仕切り板か絶縁板の類でしかない。価値を知らなければ、処分候補ですらない。
「それ、要るんですか」
新城が少し不思議そうに聞いた。
天城が迷いなく答える。
「はい。旧港湾設備由来の資材として、一緒に評価したいので」
「変わってますねえ」
「よく言われます」
そのまま、東都側の評価対象として回収することになった。書類の文言は地味だ。旧設備由来部材一点。用途不明補助板。産業遺物評価用移送。
でも、俺たちには分かっていた。
必要なものが増えるばかりだった流れの中で、今回はちゃんと一つ、欲しかった側へ近いものを手に入れた。
それがだいぶ大きい。
◇
帰りの車の中で、眠り板は封印ケースへ収められていた。
ケースの中の薄板は、相変わらず何でもない顔をしている。これが札車の下札を眠らせる側かもしれないなんて、外から見れば誰も思わないだろう。
隣で天城が端末へ何かを打ち込みながら言った。
「一歩前進、ですね」
「そうだな」
「ただし、これで全部揃ったわけではありません」
「分かってる。眠り板は手に入った。でも固定解除や抽出はまだ別だ」
「はい」
彼女は短く頷いた。
「言い換えるなら、“止める前段”は取れました。次に要るのは、その浅くした状態を壊さず外す側です」
「順番としては正しい」
「ええ」
そこで、彼女はほんの少しだけ口元を緩めた。
「でも今日は、ちゃんと一つ拾えました」
「そうだな」
その言い方が良かった。
必要なものはどんどん増える。
札車を拾ったら下札が欲しくなった。
下札のために停止系が欲しくなった。
停止系を見つけたら、今度は眠らせる側が必要になった。
増えてばかりだ。
でも、今日は一つ減った。
その実感は、かなり大きかった。
◇
工房へ戻った時には、外はもう暗くなっていた。
机の上へ、眠り板の入ったケースを置く。
その隣に札車。
さらに祖父の手帳。
この三つが並ぶと、妙にしっくり来た。
札車の下札。
港の止め具。
採石場跡の眠り板。
バラバラの場所で拾ったのに、全部が同じ文明の切れ端みたいな顔をしている。
ケースを開ける。
作業灯を落とす。
眠り板を札車の近くへ置く。
まだ完全な試験はしない。
でも、ただ隣に置いただけで、札車の周囲にあった嫌な“張り”が少しだけ浅くなる感じがある。
「……やっぱり、お前はこっち側か」
小さく呟く。
机の端に置いたスマホへ目をやる。
「イヴ」
【はい】
「必要なものが増えるばかりだったけど、今日は一つ手に入れた」
【肯定。進捗としては良好です】
「味気ないな」
【欲しかった系統の部材を実際に回収できたのですから、十分に前進です】
その通りだった。
眠り板だけで札車の下札が抜けるわけじゃない。
港の止め具にも、まだ触れられない。
固定解除の側も、抽出の側も、たぶんまだ足りない。
でも、それでいい。
今日はちゃんと、次に必要だったものを自分たちの手で拾えた。
それが大事だ。
祖父の手帳を開く。
消えかけた鉛筆書きの一つに、前より意味が乗って見えた。
――札は抜くな、まず眠らせろ
「……順番通り、ってやつだな」
【はい】
短い返答だった。
だが、それで充分だった。
俺は手帳を閉じ、札車と眠り板を見比べる。
足りないものはまだ多い。
でも、次に必要なものを一つ、自分たちの手で拾えた。
それだけで、景色は少し変わる。
「よし」
小さく言う。
次は、この眠り板をどう使うかだ。
そして、その先でまだ足りない鍵を探す。
でも今日は、ここまででいい。
必要なものが増えた分だけ、ちゃんと一枚、こちら側へ来たのだから。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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