第16話 通す石、通さない石
翌日の昼、天城澪はほとんど時間ぴったりに工房へ来た。
この女は待ち合わせに遅れない。
その几帳面さが仕事人としてはありがたいし、人間としては少し息苦しい。もっとも、今の俺にとっては、その息苦しさすら頼もしさの一部になっていた。
「またですか」
工房に入って最初の一言がそれだった。
しかも、呆れと諦めが綺麗に半々で混ざっている。
俺は苦笑しながら、作業台の上のケースを見た。
「まただな」
「前回は石でした」
「今回も半分くらい石だ」
「最悪ですね」
言い切ったな、おい。
天城はコートを椅子へ掛け、作業台へ近づいた。
そこには昨夜のうちに並べておいた実験道具がある。
白い多孔質円盤。
透明な試験容器。
濁り水。
食塩水。
金属塩を溶かした試薬。
簡易ポンプ。
細いチューブ。
温度計ではなく、今回は導電率計と簡易分析紙が主役だ。
「……冷やすわけではないんですね」
「今回は熱じゃない」
「良かった」
「そんなに永冷石がトラウマになってるのか」
「“花崗岩を冷媒に変える技術”を見たあとです。多少は」
その気持ちは分からないでもない。
俺だって、永冷石を初めて見た時から、世の中の“普通の工業製品っぽい顔”を素直には信じられなくなっている。
まして天城は、あれを事業へ落とし込む側だ。原理不明の異常技術を“市場に通る説明”へ変換する役目の人間である以上、トラウマにもなるだろう。
俺はケースを開けた。
乳白色の円盤。
真鍮色の枠。
中央に埋め込まれた黒い核。
見た目は古い濾過器具。
あるいは宗教祭具にも見える。
つまり、いつもの「どう見ればいいのか分からない遺物」だ。
「また、拾ったんですけど」
俺がそう言うと、天城はこめかみを押さえた。
「その導入、そろそろやめませんか」
「でも実際そうだしな」
「事実なのが一番困るんです」
彼女は小さく息を吐いてから、円盤を覗き込んだ。
「見た目は……フィルター?」
「俺も最初そう思った」
「そして違うと」
「いや、違うというか、たぶん“それだけじゃない”」
天城は俺を見る。
「説明してください」
「まだ俺も完全には理解してない。だから先に見せる」
「分かりました」
こういう時、天城は本当に話が早い。
余計な確認を挟まず、まず現物を見る。現象を見てから考える。
この順番ができるから、こいつとは組める。
俺は円盤を簡易保持具に固定した。
骨伝導イヤホンの奥で、イヴが淡々と告げる。
【起動状態は安定しています】
【昨日と同設定であれば、粗い浄化・分離挙動を再現可能です】
俺は返事をしない。
人前ではそれが基本だ。
「まずはこれ」
俺は濁り水の入った容器を持ち上げた。
「ただの泥水ですか」
「まあ、それに近い」
「それをこの円盤に通す」
「そう」
ポンプを動かす。
ゆっくりと、濁り水が円盤へ流れ込む。
天城は最初、半信半疑の顔だった。
だが、円盤を抜けた先へ落ちる水が、明らかに澄んでいるのを見た瞬間、その目つきが変わる。
「……ちょっと待ってください」
「だろ」
「濾過性能の高い素材、というだけでは?」
「次を見れば分かる」
俺は二本目の容器、食塩水を手に取った。
「それは何ですか」
「塩水」
「普通に考えると、泥水よりそちらの方が厄介ですね」
「普通に考えればな」
また流す。
今回は時間がかかる。
円盤の向こうへ落ちた液体を別容器に受ける。
俺はそれを舐める前に、一瞬だけ迷った。
客観的に見ると、原理不明の遺物を通した液体を舐めている男でしかない。
かなりどうかしている。
「……何やってるんですか」
「一番早い確認法だ」
「やめてください、その現場判断」
天城が止めるより先に、俺は少しだけ口に含んだ。
昨日と同じだ。
完全な真水じゃない。
だが、明らかに塩気が薄い。
「やっぱり薄い」
天城が一歩踏み出す。
「本当に?」
「簡易計測でもやるか」
導電率計を差し込む。
数字は元の食塩水より明らかに低かった。
天城は黙る。
こういう時の沈黙は良い沈黙だ。驚いているのではなく、頭の中で用途が増えている時のやつ。
「これは……」
「まだある」
俺は次に金属塩の混ざった試液を持ち上げた。
「何を見たいんです?」
「こっちも正確な分析まではまだできない。けど、何かを通して何かを止めてる感じがある」
「何かを通して、何かを止める……」
その言葉を天城が小さく繰り返す。
そこでたぶん、彼女の中で何かが切り替わった。
試液を通す。
結果は肉眼では分かりにくい。
だが反応紙と簡易試薬で見ていくと、透過後の液体側で色の出方が明らかに違う。
「やっぱり偏ってるな」
「……成分選択」
天城の声が低くなる。
「それに近い」
「久世さん」
彼女は円盤を見たまま言った。
「これ、浄水器じゃありませんよね」
「その結論に行くの早いな」
「泥水が澄むだけなら濾過です」
「塩気が薄まるだけなら、まだ“特殊な浄化材”の顔で見られる」
「でも今の反応を見ると、これは“何を通して何を通さないか”を握っている」
俺は小さく笑った。
「大体合ってる」
「大体、ですか」
「いや、かなり近い」
天城は黙って円盤を見下ろした。
白い多孔質の表面は、照明の下でごく普通に見える。だからこそ中身の異常さが余計に際立つ。
「……また面倒なものを拾いましたね」
「今回はかなり“論文の顔”してるだろ」
「してます」
即答だった。
「しかもすごく嫌な方向で」
「嫌なのかよ」
「嫌です。こういうのが一番困るんです」
天城はようやく俺を見た。
「冷える石は、まだ“変な材料”として押し切れます」
「電源も、現場向け高性能品として押し切れる」
「でもこれは違う」
「これは正面から学術と産業へ刺さる顔をしてる」
「だよな」
「しかも一番まずい種類です」
「表向きには既存科学の延長に見えるのに、成果だけが明らかにおかしい」
さすがに分かっている。
俺も昨夜それを感じた。
これは“異星文明の怪しい便利道具”というより、もっと静かに現代社会へ侵食する技術だ。
膜。
分離。
精製。
浄化。
こういうものは、表舞台で騒がれにくい。
でも、一度工場へ入れば根っこから効いてしまう。
「名前、つけるなら何だと思う?」
俺が軽く聞くと、天城は少しだけ考えた。
「表向きなら……高選択性セラミック分離膜」
「あるいは特殊処理多孔質無機膜」
「そういう方向でしょうね」
「やっぱり材料会社だな」
「はい」
天城の返事は迷いがなかった。
「これは東都E&L単独の案件ではありません」
「少なくとも、表に出す顔としては向いていない」
「電源や熱管理の延長線上には置けますが、それだけだと狭すぎる」
「同じグループの別会社か」
「ええ」
彼女はタブレットを開いた。
もうそういう段階らしい。
「東都マテリアルサイエンスが一番自然です」
「無機材料、膜材料、機能性セラミック、共同研究、学術発表」
「全部そっちの顔で持てます」
「早いな」
「遅いと久世さんが次の実験を始めるでしょう」
「信頼されてるのかされてないのか分からんな」
「後者寄りです」
ひどい。
だが間違ってはいない。
俺は円盤を保持具から外し、改めて手に取った。
重さはそこそこある。
ただのセラミック部材としては妥当だ。
でもそれが逆に怖い。こんな見た目で、文明の根に刺さる機能を持っている。
「貸し出しはできる」
「本当に?」
「数年は持つらしい」
「フル充電状態なら三〜五年」
「設定変更を頻繁にしなきゃもっと持つかも、だそうだ」
もちろん「だそうだ」の中身はイヴだ。
だがそこは言わない。
天城は小さく息を吐いた。
「それなら研究所に回せますね」
「問題は、どこまで見せるかだな」
「全部は当然無理です」
そこは即答だった。
「材料会社の中でも最小限。しかも最初は“原器サンプル”扱いにするべきです」
「理論の完全開示ではなく、現象の再現と周辺説明の構築を先にやる」
「この手のものは、いきなり製品ではなく論文を経由した方が強い」
「分かる」
「たとえば」
天城はもう画面に何かを書き始めている。
「高選択性イオン透過膜」
「無機多孔質材料の異常高効率分離」
「花崗岩由来アルミノシリケート骨格の新奇挙動」
「いくらでも学術的な顔が作れる」
「“いくらでも顔が作れる”って表現、ちょっと好きだな」
「気に入ったなら何よりです」
相変わらずこっちの感情の拾い方が雑だ。
だが、天城の言う通りだろう。
これをいきなり商品として出せば怪しまれる。
永冷石よりさらに怪しまれる。
でも、論文の顔をすれば話は変わる。
大学。
共同研究。
学会。
査読。
そういう“正しそうな道”を通って出てきた異常技術は、むしろ世間に受け入れられやすい。
しかも今回は、本当に既存科学の延長に見せやすい。
分離膜だ。
浄水、資源回収、超純水、半導体、電池材料精製。
全部、現実にある研究テーマの延長へ滑り込ませられる。
「一番最初に刺さる用途って何だと思う」
俺が聞くと、天城は少しだけ考えた。
「短期で一番わかりやすいのは超純水」
「でもそれは大きすぎます」
「同じくレアメタル回収も大きい」
「いきなりそこへ行くと、国家と海外企業が早すぎる」
「じゃあ?」
「まずは電池材料精製」
「それか研究試薬レベルの高純度分離」
「東都E&Lの電源事業とも繋がります」
なるほど。
バッテリー。
熱。
そして今度は材料精製。
文明の基盤を一個ずつ押さえていく感じがあって、少しだけ笑えてくる。
「祖父、ほんと何を集めてたんだろうな」
「少なくとも、骨董趣味ではありませんね」
「だよなあ」
俺たちはしばらく黙って、白い円盤を見ていた。
工房の空調が静かに鳴っている。
外ではどこかで工事をしているらしく、鈍い振動が床へ伝わってきた。
そういう現実の音に囲まれているのに、作業台の上の円盤だけが少し違う層にあるように見える。
「……天城」
「はい」
「これ、論文が出たら面白いことになるな」
「面白い、で済めばいいですけど」
彼女は苦笑した。
「たぶん最初は、材料科学の一成果として扱われます」
「でも性能が本物なら、そこから先は早い」
「半導体、水処理、資源、電池材料、医療、どこも黙っていません」
「日本政府とかもか」
「ええ。海外もです」
そこで彼女は一度言葉を切った。
「南鳥島のレアアース泥にも使える、と気づいた時点で、たぶん空気が変わります」
俺は少しだけ眉を上げた。
「もうそこまで見えてるのか」
「見えますよ」
天城は当然のように答えた。
「通す/通さないを異常精度で握れるなら、希土類回収の選択性に話が飛ぶのは早いです」
「しかもそれが財閥グループ内の材料会社から論文の顔で出てくるなら、各国政府が放っておくわけがない」
「日本、アメリカ、中国、ロシアあたりか」
「その辺りは確実です」
さらっと言うが、話のスケールが地味に怖い。
だが、その怖さは嫌いじゃない。
いや、むしろかなり好きだ。
「で、その時どうなる」
「連絡は山ほど来るでしょうね」
「めちゃくちゃ来るだろうな」
「でも」
天城はそこで少しだけ笑った。
「東都の表の財閥ラインに手を出せるところはそう多くありません」
「しかも、うちはうちで“学術研究の延長です”という顔を作れます」
「ですから、すぐに奪われることはありません」
「待ちぼうけを食らうのは向こうか」
「ええ。かなり」
その絵面を想像して、少し笑ってしまった。
日本政府も、アメリカも、中国も、ロシアも。
みんな「それをどうやってるんだ」と思いながら、表向きは論文と共同研究の列へ並ぶ。
滑稽だが、ありえそうだった。
そして、その入口にあるのが、今目の前にある白い円盤だ。
「じゃあ決まりだな」
俺はケースを閉じた。
「次は東都マテリアルサイエンスだ」
「はい」
「また変なもの見つけたんですけど、材料会社案件でした、って持ってくか」
「その言い方はやめてください」
「でも内容は合ってる」
「合っているのが嫌なんです」
天城は本気で嫌そうな顔をしたが、その目の奥にはもう仕事の火が入っていた。
たぶん、次は研究所だ。
無機材料の連中が首をひねり、膜材料の専門家がデータに唸り、知財担当が胃を痛める。
そしてその果てに、一本の論文が出る。
東都マテリアルサイエンスが開発した高選択性セラミック分離膜。
表向きは、それでいい。
中身が異星文明の分離・浄化技術の断片だなんて、誰も知らなくていい。
少なくとも、まだ今は。
「なあ」
俺はふと思いついて言った。
「これ、世間的には一番“まとも”に見える超技術かもな」
天城は一瞬だけ考え、それから頷いた。
「そうですね」
「だからこそ、一番深く刺さると思います」
その言い方は、妙にしっくり来た。
バッテリーは目立つ。
永冷石は不気味だ。
でも分離膜は、もっと静かに入り込む。
水に。
工場に。
資源に。
国家の利害に。
たぶんこれは、地味な顔をしたまま一番遠くまで行く。
工房の照明の下、ケースの中の白い円盤は何も言わずに沈黙していた。
だが、その沈黙の形はもう、ただの古い部材には見えなかった。
何を通し、何を通さないか。
そんな当たり前みたいな問い一つで、世界の側を選り分けてしまう技術。
思えば、今の俺たちのやっていることそのものに少し似ている。
表へ出すもの。
出さないもの。
見せる相手。
まだ隠す相手。
そうやって少しずつ、世界の境界を弄っている。
「……ほんと、面倒な物しか出てこないな」
俺がそう言うと、天城は珍しく小さく笑った。
「今さらです」
それもそうだ。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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