第15話 遺産庫の白い円盤
忙しい、というのは便利な言葉だと思う。
何かを後回しにした時の言い訳になるし、やるべきことをやっている気分にもなれる。
実際、ここ数ヶ月の俺は本当に忙しかった。売れないフリーライターだった頃には想像もしなかった種類の忙しさだ。
東都エナジー&ロジスティクスとの共同事業。
EEL-RXの拡張。
EEL-TCの試作と研究所送り。
天城澪との打ち合わせ。
納品、検査、運用テスト、資料の辻褄合わせ。
しかも、その全部の根っこには、説明不能な異星文明テクノロジーがある。
普通の人間なら、どこかで「いや待て」となるはずだ。
だが、俺はもうその段階をとうに通り過ぎてしまっていた。
だから、その日の夜、海鳴りの倉庫の一番奥にある未整理区画の扉を前にして、俺が最初に思ったことは――
「……ようやくここか」
だった。
白銀の通路の先。
通常区画の明るさから一段落ちた、少しだけ薄暗い一画。
宗玄の家から運び込んだ木箱や金属ケースが、半ば乱雑に、半ば秩序だった顔で積み上がっている。
整理しよう、整理しようと思っているうちに後回しになり続けた場所だ。
バッテリーが先だった。
工房の立ち上げが先だった。
海鳴りの倉庫の前室を動かす方が先だった。
永冷石と、それを使った商売が次に来た。
その結果、スタート地点であるはずの「祖父の遺品整理」が、いつの間にか一番後ろへ押しやられていた。
骨伝導イヤホンの奥で、イヴが静かに告げる。
【恒一】
「分かってる」
【未整理品の中には、概念操作文明系統の遺物が複数含まれている可能性があります】
「そうだろうな」
俺は苦笑した。
「永冷石みたいなのが普通に混ざってるって分かった以上、もう“ただの遺品”って顔で放置しておくのは無理だ」
【妥当な認識です】
「妥当、ね」
相変わらずイヴの言葉は味気ない。
だがその味気なさの裏で、俺は少しだけ高揚していた。
祖父の残した箱の山。
前宇宙由来かもしれない魔法使い文明の断片。
起動さえすれば文明の根本に食い込む技術群。
そういうものが、すぐそこの部屋に雑に押し込まれている。
わくわくしない方が無理だろう。
◇
未整理区画の鍵を開けると、少しだけ乾いた空気が流れてきた。
前室ほど清潔でもなく、宗玄の家ほど生活の匂いもない。
倉庫の中の倉庫。
そんな空間だ。
木箱には手書きの番号札がついているものと、何も書かれていないものがある。
金属ケースの表面には、宗玄の癖字でメモが貼られているものもあれば、完全に無記名のものもある。
分かりやすいようで、全然分からない。
「こういうところ、本当に祖父だよな……」
俺は一番手前の箱を持ち上げ、作業台代わりに持ち込んだ折りたたみ机へ置いた。
中身は、古い真鍮のリングが何本か。
ただのガラクタにも見えるが、イヴは反応しない。
【低優先度です】
「はい次」
もう一箱。
こっちはガラス瓶の欠片と、木製の箱の留め金。反応なし。
三箱目。
石の札。
小さな壺。
何かの器具の脚部らしい金属片。
反応なし。
四箱目。
ここで少しだけ空気が変わった。
中には、布で何重にも巻かれた、平たいものが入っていた。
皿にしては薄く、板にしては丸い。
「……何だこれ」
布を一枚ずつ剥がす。
出てきたのは、乳白色の円盤だった。
直径は十五センチほど。
厚みは二センチ弱。
ぱっと見は、古いセラミック製のフィルターか、実験用の濾過板に見えた。
だが、縁は真鍮色の枠で覆われていて、その金属部分には意味の分からない刻線が一周している。
しかも円盤の中央には、爪の先ほどの黒い点が埋まっていた。
そして表面。
肉眼で見て分かるほど微細な孔が、蜂の巣みたいにびっしりと並んでいる。
触ればざらついていそうなのに、見た目はむしろ滑らかだ。
「……フィルター?」
そう口に出した瞬間、ポケットの中のセル・チューナーが、ほんの少しだけ熱を持った。
いや、熱ではない。
いつもの、逆向きの脈動だ。
指先から何かを持っていかれるような、小さな反応。
俺は円盤を机に置いたまま、ゆっくりとセル・チューナーを取り出した。
「来たか」
【反応を確認】
イヴの声が少しだけ硬くなる。
【概念操作文明系工業遺産の可能性が高いです】
「工業遺産」
【はい】
【分類上、儀礼物や個人装備ではありません】
【浄化・精製・分離系統の設備部材である可能性が高い】
「また地味そうなのが来たな……」
俺は苦笑した。
でも、その地味さが逆に怖い。
永冷石もそうだった。
一見するとただの石板。
だが起動してみれば、花崗岩を冷媒へ変える文明級技術だった。
こいつも同じ類かもしれない。
「すぐ分かるか?」
【限定的な解析は可能です】
【ただし、起動にはエネルギー補填が必要です】
「セル・チューナーで?」
【推奨します】
俺は白い円盤を見下ろした。
見た目は、どう考えてもただの古い工業部品だ。
しかも用途が微妙に分かりそうで、分からない。
これが宗玄の家の押し入れから出てきても、普通なら「昔の濾過器具か?」で終わっていただろう。
けれど、セル・チューナーはちゃんと反応している。
なら、やることは一つだ。
「よし」
俺は円盤を抱えて立ち上がった。
「前室に持ってく」
【妥当です】
◇
前室の作業台の上に、乳白色の円盤を置く。
白銀の照明に照らされると、表面の細孔がよりはっきり見えた。
細かい。異様に細かい。
でも均一すぎるわけでもなく、どこか“自然物を無理やり工業化した”みたいな不穏さがある。
俺はセル・チューナーを指先で転がし、一度だけ息をついた。
「じゃあ、頼む」
【エネルギー補填を開始します】
銀の小球を円盤の中央へ近づける。
接触した瞬間、前室の照明が一度だけ鈍く脈打った。
白い円盤の中央に埋め込まれた黒い点が、墨を垂らしたみたいにじわっと広がる。
いや、広がったように見えただけだ。実際には何も変形していない。
でも、周囲の細孔の並びが、一瞬だけ“意味を持った模様”へ組み替わったように見えた。
「おお……」
【再活性化を確認】
【休眠状態からの起動に成功】
円盤の縁の真鍮枠に刻まれた線が、薄い金色の光を帯びる。
宗教儀式みたいにも、古い実験装置の通電みたいにも見える。
要するに、どっちでもある顔だ。
「それで、何だこいつ」
【仮称を付けるなら、“選択透過概念付与核”です】
俺はその場で数秒黙った。
「……毎回名前が強いな」
【機能をそのまま表しています】
「意味は?」
【既存の多孔質材料に対し、“何を通し、何を通さないか”を高精度で与える技術です】
「つまり」
【恒一の表現で言えば、“とてもすごいフィルター”です】
「雑!」
【理解補助です】
でも、その雑な言い換えが意外と芯を食っている気もした。
何を通すか。
何を通さないか。
それを物質に“教え込む”技術。
たしかにフィルターだ。
ただし、普通のフィルターでは絶対にない。
「じゃあ、浄水器みたいなもんか?」
【文明の浄化・精製・分離技術の基幹です】
「毎回すぐ文明スケールで殴るのやめろ」
俺は頭を掻きながら、作業台の上の円盤を見下ろした。
「これ、充電したらどれくらい持つ?」
【現在の補填量であれば、数年単位で安定動作が可能です】
【設定変更や高負荷運転を繰り返さない限り、三〜五年相当の持続が見込めます】
「数年か」
思わず口元が緩んだ。
それはかなり大きい。
永冷石みたいに手元で運用してもいいが、こっちは性質上、研究所や材料系の設備へ持ち込んだ方がずっと面白い。
しかも数年持つなら、ブラックボックス原器として貸し出す運用も現実的だ。
「外に持ち出しても平気?」
【可能です】
【ただし、概念設定のコア変更権限は恒一側で保持した方が良いでしょう】
「了解」
そこまで聞いて、俺の中で一気に道筋が見え始めた。
東都E&Lではない。
こいつはたぶん、別の会社案件だ。
もっと材料寄り。
もっと研究寄り。
論文とか学会とか、そっちの匂いがする。
だがその前に、まずは自分の目で見たい。
「とりあえず、何ができるか試すか」
【推奨します】
◇
海鳴りの倉庫の便利なところは、意味不明な実験をするのにちょうどいい設備が、意味不明なくらい揃っているところだ。
もちろん全部が全部動いているわけじゃない。
だが前室だけでも、簡易分析台、小型ポンプ、透明な試験容器、圧力制御のまがい物みたいなものは使える。現代日本の工房よりは明らかに便利だ。
俺は手近にあった材料を並べた。
濁った水。
食塩水。
細かい砂を混ぜた水。
鉄粉を少量溶かした液。
あと、念のためコーヒー。
「コーヒーいる?」
【恒一が必要なら】
「そういう意味じゃない」
俺は苦笑しながら、白い円盤を簡易保持具に固定した。
「で、まずどうする」
【対象流体を通してください】
【現状態では“粗い浄化・分離”設定になっています】
「現状態ってことは、設定変えられるのか」
【可能です】
【ただし、詳細調整は後で説明します】
後で説明します、という言い方をする時のイヴは、大抵こちらが驚くことを知っている。
まあいい。今は目の前だ。
まずは濁り水。
簡易ポンプで円盤へ流す。
ごく普通の操作だ。
何かが爆発したり、謎の光が出たりすることはない。
ただ、向こう側へ落ちた液体を見て、俺は目を細めた。
「……おい」
透明だった。
いや、完全な純水みたいに透き通っているわけじゃない。
でも、さっきまで濁っていた水が、目に見えて澄んでいる。
「マジでフィルターじゃねえか」
【はい】
「はい、じゃないんだよ」
次は塩水。
こっちは少し時間がかかった。
だが、通した後の水を舐めてみると――
「薄い」
【分離性能を確認】
「いや、待て。これかなりやばくないか?」
海水淡水化ほどではないかもしれない。
でも、“ただの古い円盤”にしか見えないものが、ここまでやる時点で十分におかしい。
鉄分を混ぜた液体も試す。
今度は逆に、透過後の液の方が妙に偏る。
成分を全部正確に測れる設備はない。だが明らかに、何かを通して何かを止めている。
俺は作業台の前で腕を組んだ。
「……すごいフィルターどころの話じゃなくなってきたな」
【そうです】
「これ、工場全部変わるやつでは?」
【業種によります】
「そういう冷静な返しをされると逆に怖いんだが」
でも、ワクワクは隠せなかった。
水。
塩。
不純物。
金属イオン。
もし“通す/通さない”を高精度で制御できるなら、浄水だけじゃ終わらない。
半導体。化学。資源精製。医療。電池材料。
現代文明の根っこのあちこちへ、そのまま刺さる。
「……なるほどな」
俺は低く呟いた。
「これは東都E&L単独で抱えるやつじゃない」
【同意します】
「もっと材料屋だ」
「同じグループの別会社に持っていくべきだろ、これ」
【妥当です】
天城の顔が頭に浮かぶ。
資料を見た瞬間に、たぶん数分で会社名と研究所名まで出してくるだろう。
それはちょっと悔しいが、まあ今回は仕方ない。
こっちはまだ「とてもすごいフィルター」くらいの理解なのに、あの女はそこから工業化ラインを引いてしまうから怖い。
俺は白い円盤を保持具から外し、改めて手に取った。
乳白色。
古びた真鍮枠。
中央の黒い核。
見た目の地味さに対して、中身がえげつない。
宗玄はこれを、何のつもりで取っておいたんだろうな、と少しだけ考える。
いつか使うためか。
誰にも触らせないためか。
あるいは、その両方か。
「とりあえず」
俺はケースに円盤を戻した。
「明日、天城呼ぶか」
【推奨します】
「また変なもの拾ったんですけど、で通るかな」
【通ると思われます】
「だよなあ……」
笑いながらも、俺は少しだけ疲れを感じていた。
だが、その疲れは悪くない。
何かを見つけた時の疲れだ。
祖父の収集品の山は、まだほとんど手つかずなのに、そこからもう永冷石に続く次の一手が出てきた。
しかも今度は、現場向けの地味な商売だけじゃ終わらない。
論文の顔をして、学会の顔をして、産業構造へ潜り込むタイプの技術だ。
それは少しだけ、今までと違う匂いがした。
東都E&Lの製品ラインとは別の場所で。
同じ財閥の、別の会社から。
もっと静かに、でももっと深く、世界の側へ食い込んでいく。
たぶん、そういう話になる。
「忙しくなるな……」
【既に忙しいです】
「知ってるよ」
俺は苦笑して、前室の照明を少し落とした。
作業台の上には、透明になった水の入った試験容器が並んでいる。
その真ん中に、乳白色の円盤だけが静かに置かれていた。
何を通し、何を通さないか。
その性質を物質へ与える技術。
また一つ、文明の根っこみたいなものを拾ってしまった気がする。
そしてたぶん、これは電源や冷却よりも、もっと厄介な顔で社会へ出ていく。
地味に見えて、実は逃げ場がない種類の技術だ。
「……祖父、あんた何をどれだけ溜め込んでたんだよ」
答えは当然、返ってこない。
けれど、その沈黙の代わりみたいに、ケースの中の白い円盤が、ほんのわずかに光を返した気がした。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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