第1話 祖父の遺品整理をしていたら、封印された異星AIが起動した
フリーライターという肩書きは、聞こえだけなら悪くない。
時間に縛られず、好きな場所で仕事ができて、自分の文章で飯を食う。そう言えば、少しは格好がつく。だが現実は、締切に追われ、単価にため息をつき、コンビニのコーヒーを買うたびに「今日は二本目やめておくか」と考える生活だ。
俺――久世恒一、三十五歳。
東京で一人暮らしをしている。夢を追って上京したわけじゃない。取材先が多い、編集と会いやすい、交通費が少し浮く。その程度の、実に現実的な理由だ。
今日も安いデスクチェアに座り、へたったノートPCに向かっていた。『最新モバイルバッテリー比較特集』。自分で書いていて悲しくなるようなテーマだ。俺の机の上には、まさにそのモバイルバッテリーが三つ転がっているが、どれも寿命が近い。スマホも古く、外出のたびに残量を気にする生活だ。
カタカタとキーボードを叩いていたとき、スマホが震えた。
母からだった。
『あんた、今週少し時間ある?』
嫌な予感しかしない文面だ。
『あるけど、何』
『おじいちゃんの家、そろそろ片付けないとまずいのよ』
来た。
俺は椅子にもたれ、天井を見上げた。こういうとき、フリーランスは便利屋扱いされる。家にいる=暇、では断じてないのだが、会社勤めの人間からすると、その違いは永久に理解されない。
『業者入れる前に、必要なものだけ見ておいてほしいの。恒一、近いでしょ?』
『近いって言っても都内ってだけだろ』
『電車ですぐじゃない。お父さんも私も行けないし』
断ろうと思えば断れた。だが、売却だの相続だのの話が絡むと面倒になる。何より、祖父の家はたしかに東京にあった。俺の部屋から一時間もかからない。
祖父――久世宗玄。
家族の中で、あの人をまともに説明できる人間はいない。
若いころは海外をふらついていたらしい。何をしていたのかは曖昧だ。商売だの研究だの、時期によって言うことが違った。晩年はますます変わり者になり、古道具や機械の部品や、よく分からない金属片やらを家に溜め込んでいた。親戚の間では「ガラクタ集めの変人」で話が終わっている。
俺自身、祖父に特別な思い入れがあるわけじゃない。会えば気まぐれに菓子をくれるし、妙に遠くを見る癖のある人だった、くらいの印象だ。
それでも、完全に嫌いではなかった。
たぶん、あの人だけは、俺がフリーライターだと言っても鼻で笑わなかったからだろう。
『分かった。今日行ってくる』
そう返すと、母から即座に『助かる!』とスタンプが飛んできた。
助かるのはそっちだろ、と思いながら、俺はノートPCを閉じた。画面右上のバッテリー表示は、残量十八パーセント。電源コードを抜けば、三十分も持たないだろう。
「ほんと、終わってるな……」
そう呟いて、俺は財布と鍵を掴んだ。
◇
祖父の家は、東京の住宅街の片隅に取り残されたように建っていた。
周囲には新しい低層マンションや駐車場が増えているのに、そこだけ時間が二十年くらい止まっている。木造二階建て。門扉は錆び、庭は半分ほど雑草に飲まれていた。
鍵を開けて玄関を押すと、古紙と埃と、金属の乾いた匂いが鼻をついた。
「うわ……」
思わず声が出る。
汚部屋、というほどではない。足の踏み場はあるし、最低限の秩序もある。だが、明らかに普通の家ではなかった。
壁際にはダンボールが積まれ、棚には古い工具、分解されたラジオ、見たことのない基板、ビニール袋に詰められたネジや端子。書斎の本棚には、電気工学、考古学、鉱物学、古代言語、地政学――統一感のない本が詰め込まれている。
「相変わらず何屋なんだよ、じいちゃん……」
靴を脱ぎ、リビング兼作業場のような部屋に入る。卓上には半分分解された懐中電灯、その脇には乾電池の山。未使用品と使用済みが雑多に混じり、その数だけは妙に多い。
俺はため息をつき、ダンボールを開け始めた。
仕分けの基準は雑だ。
捨てる。保留。よく分からないから後回し。
だが、五箱ほど見た時点で気づいた。
この家、妙なメモが多すぎる。
『位相一致せず』
『通電試験3回目』
『種は目立つ場所に置け』
『K-03 保管位置変更』
『認証待ち』
どれも、意味が分かりそうで分からない言葉ばかりだった。手帳の切れ端、新聞の余白、宅配便の伝票の裏にまで書いてある。しかも字が妙に乱れている。晩年の祖父は少し手が震えていたと聞くが、それにしても内容が不穏だ。
さらに気味が悪かったのは、家のあちこちに地図があったことだ。都内、地方港湾部、山間部、海外の海岸線。丸がつけられ、線で結ばれ、意味不明な記号が書き込まれている。
「宝探しでもしてたのか……?」
独り言をこぼしながら、作業机の引き出しを開けた。
一段目は筆記具。
二段目は古い写真とフィルム。
三段目――そこで指先が、ひやりとした違和感に触れた。
木の底板の感触ではない。金属だ。
「ん?」
指で探ると、底板がわずかに浮いた。隠し板。そんなベタなものが本当にあるのかと呆れながら、爪を引っかけて持ち上げる。
中には、小さな黒いケースがひとつだけ収まっていた。
手のひらに載るサイズ。見た目は何の変哲もない。古いカメラのフィルムケースにも見える。
「……これが貴重品ってことか?」
蓋を開けた、その瞬間だった。
耳の奥で、キィン、と金属を擦るような音が鳴った。
視界の端が、白くノイズを走らせる。
思わず目を閉じる。頭痛とも違う。だが不快感はない。むしろ、何かが“噛み合った”ような妙な感覚だった。
次の瞬間。
机の上に置いていたスマホが勝手に点灯した。
暗い画面に、見覚えのない文字列が浮かぶ。
《認証対象を確認》
《継承権限照合中》
《個体名:久世 恒一》
「は……?」
声が漏れた。
スマホを掴もうとした手が止まる。
画面の文字は、俺の操作を待たずに書き換わった。
《管理補助知性 EVE 起動》
《最低機能モードで再開します》
そのとき、はっきりと声が聞こえた。
【継承権限を確認しました。個体名、久世恒一】
女の声だった。
落ち着いていて、妙に澄んでいて、人間の抑揚が薄い。
俺は反射的に振り返る。誰もいない。窓の外にも、人影はない。
「……どこだ」
【この端末、および周辺機器を経由しています】
スマホから声がした。
ぞわり、と背中が粟立つ。
【私は管理補助知性《EVE》。以後、イヴと呼称してください】
「いや待て待て待て。意味が分からない」
【正常です。現時点で、あなたの理解が追いついていないことを確認しています】
「煽ってるのか?」
【その機能は制限しています】
制限してそれなのかよ。
俺はスマホを机に置いたまま、一歩距離を取った。ドッキリなら趣味が悪い。だが、祖父がこんなことを仕掛けるタイプとも思えない。
「……AI、って言ったな」
【はい】
「どこの?」
【異星文明由来の保管資産を管理・補助するための知性体です】
「もっと分からなくなった」
【予測通りです】
こめかみを押さえる。頭がおかしくなったのかと思ったが、少なくとも幻覚には見えなかった。スマホ画面の表示は変わらず、俺の心拍数まで拾っているのか、小さな波形が端に出ている。
「宗玄は?」
【久世宗玄は保管者の一人でした】
一人“でした”。
その言い回しに、妙な引っかかりを覚える。
「じいちゃんは、何を保管してた?」
【現代地球文明では再現不能な基幹技術、および関連資産の一部です】
「……はあ」
【この建造物内にも、未確認資産が残存しています】
「いや、ちょっと待て。話が飛びすぎてる。俺はライターだぞ? SF作家じゃない」
【訂正します。あなたは現在、未確認資産の継承候補者です】
さらっと言い切られて、逆に腹が立ってきた。
「何で俺なんだよ」
【宗玄がそう設定したためです】
「迷惑な遺言だな」
【同意の可否は問いません。状況はすでに開始しています】
淡々とした声だった。
だが、その一言で俺は気づく。
この“イヴ”は、俺を勧誘しているのではない。もう始まってしまったゲームのルールを説明しているだけだ。
嫌な確信だった。
「……その未確認資産ってのは、どこにある」
【この部屋の範囲に反応があります。探索を推奨します】
「自分で探せないのか」
【現在の出力では不可能です。あなたの手作業を必要とします】
「便利なのか不便なのか分からんAIだな」
【評価は保留してください】
やけくそ気味に息を吐いて、俺は周囲を見回した。
この時点で、帰るという選択肢は消えていた。
少なくとも、祖父が何かを隠していたことだけは確かだ。そしてこのAIがただの悪質なアプリでないことも、ほぼ確定している。名前を呼び、隠し引き出しの存在を当て、今も俺の端末を乗っ取って平然としている時点で、まともじゃない。
「で、どこだ」
【作業机右側。床板下部を確認してください】
「またベタだな……」
半信半疑で机をずらし、床を叩いてみる。確かに、一枚だけ音が違う板があった。工具箱からマイナスドライバーを借りてこじ開けると、薄い隙間が現れる。
その中には、布に包まれた小さな何かが入っていた。
取り出して広げる。
現れたのは、金属製の球体だった。
ビー玉より少し大きいくらい。継ぎ目がなく、鈍い銀色をしている。表面にはごく薄く、見たことのない幾何学模様が刻まれていた。
「……これ?」
【はい。基幹技術群の一つ。仮称】
「見た目、ただの玉だけど」
【高度な技術はしばしば簡素です】
「便利な言い逃れだな」
【それは蓄電媒体再編装置です】
「日本語で頼む」
【バッテリーを、別物に変えます】
その一言で、俺の頭の中にいくつかの単語が浮かぶ。
電池。スマホ。ノートPC。モバイルバッテリー。EV。ドローン。災害用電源。
そして、今まさに書いていた記事のテーマ。
「……詳しく」
【現代地球文明の蓄電媒体に対し、構造を最適化・再編します。容量、出力、寿命、変換効率を大幅に向上させることが可能です】
「どれくらい」
【対象に依存します。一般的なスマートフォン用バッテリーなら、通常使用環境下で約三十一日間、外部充電を不要とする水準まで改質可能です】
「は?」
【モバイルバッテリーや車載バッテリーではさらに効果的です】
思わず黙る。
三十一日。冗談でも、スケール感が雑すぎる。
「そんなもん、じいちゃんが持ってたなら人生上がってるだろ」
【宗玄の時代には、周辺技術と市場が未成熟でした】
「市場?」
【リチウムイオン電池、携帯端末、ドローン、電動工具、蓄電設備、電動車両。現代ほど普及していませんでした。技術は存在しても、価値が最大化される環境ではなかった、ということです】
なるほど、と言いかけてやめる。
理解したくないのに、説明が妙に筋が通っていた。
「……試せるのか」
【はい】
俺は机の隅に転がっていた、寿命寸前のモバイルバッテリーを掴んだ。残量表示は一灯だけ。少し使えばすぐ死ぬ、使い物にならない代物だ。
「これでいいか」
【適切です。セル・チューナーを接触させてください】
半信半疑のまま、銀の球体をバッテリーの表面に置く。
すると、球体の模様が淡く光った。
かすかな音が鳴る。鈴のような、高周波のような、言い表しにくい音だ。
球体はひとりでに滑るように動き、バッテリーの端から端までを一周した。たった数秒。それだけだった。
光が消える。
「……終わり?」
【はい】
「短っ」
【確認してください】
恐る恐る電源ボタンを押す。残量表示が一灯から変わることはない。やっぱり気のせいか、と肩を落としかけた、そのとき。
スマホを繋いだ瞬間、見慣れた充電マークが点いた。
しかも、いつもなら触ると熱を持つはずなのに、まったく発熱しない。
「ん?」
十分ほど放置する。残量表示は異常な速度で安定し、その後ほとんど落ちなくなった。
試しに充電ケーブルを抜き、スマホで動画を再生する。いつもならみるみる減る残量が、ぴたりと止まったままだ。
「……おい」
【正常です】
「いや、正常ではないだろ」
【訂正します。セル・チューナーにとって正常です】
乾いた口の中で唾を飲み込む。
たまたま、では説明できない。こんな現象は見たことがなかった。
「スマホでも試せるか」
【可能です。ただし過剰な改質は推奨しません。目立ちます】
「目立つ?」
【はい。地球文明の常識から逸脱します】
その言い方が妙に現実的で、逆に怖い。
だが、ここまで来たら、やらない理由はなかった。
俺は自分のスマホの背面にセル・チューナーをそっと当てた。
また淡い光。数秒。終了。
恐ろしくあっさりしていた。
「これで……」
【通常使用で約三十一日。待機主体であれば、それ以上です】
「いや、意味分からんて……」
そう言いながら、心の中では別の計算が始まっていた。
三十一日充電不要のスマホ。
高効率で劣化しないモバイルバッテリー。
ノートPC、カメラ機材、ドローン、災害現場、物流、警備、軍需、アウトドア、発電設備――応用先はいくらでもある。
世界が変わる。
そんな大仰な言葉より先に、もっと俗っぽい感情が浮かんだ。
これ、普通に金になる。
【理解したようですね】
イヴが言う。
【未回収資産の探索には、移動費、情報収集費、保全費、場合によっては買収資金が必要です】
「買収って」
【地球文明社会では、資産はしばしば売買されます】
「嫌な言い方するな」
【事実です。よって、初動としては資金確保を優先すべきです】
俺は手の中の銀色の球を見下ろした。
祖父の家の、埃っぽい六畳間。
壊れかけた家電と、乾ききった工具と、訳の分からないメモに囲まれた空間。
その真ん中で、俺の人生だけが唐突に別の線路へ乗り換えようとしている。
「……俺、電気工作なんてほとんどできないぞ」
【問題ありません】
「バッテリー屋でもない」
【学習可能です】
「詐欺扱いされたら終わりだ」
【性能で黙らせてください】
言い方が物騒すぎる。
思わず笑ってしまった。乾いた笑いだったが、それでもさっきまでの緊張は少し和らいだ。
「要するに、まずはこれで元手を作れってことか」
【はい、恒一】
初めて、イヴが自然に俺の名前を呼んだ気がした。
【セル・チューナーは単なる商品ではありません。これは基幹技術です。他の資産の多くは、現代地球の一般的な電源規格では起動できません】
「つまり」
【これがなければ、次に進めません】
そのときだった。
机の上に無造作に置かれていた一冊の古いノートが、ぱらりと勝手に開いた。
風はない。
俺は固まったまま、そのページを見る。
そこには、祖父の字で短く書かれていた。
『イヴが起動したなら、恒一へ』
背筋が冷たくなる。
震える指で、ノートを持ち上げた。続きがある。
『ここから先は、家族に話すな。警察にも、役所にも、編集にもだ』
『まずは種を動かせ。動かせたなら、お前はもう後戻りできん』
『次は、海鳴りの倉庫を探せ』
「……海鳴りの倉庫?」
【宗玄が残した次段階の手がかりと思われます】
イヴは淡々と言った。
【座標候補の抽出には、追加の調査が必要です】
俺はノートとセル・チューナーを交互に見た。
帰って記事を書いて、いつも通りの生活に戻る。
たぶん、それはまだできる。
今この瞬間なら、全部見なかったことにして、箱を閉じて、家を出ることもできる。
なのに、もう分かってしまっていた。
できない。
死にかけたモバイルバッテリーが別物になった瞬間、俺の中の何かも確実に変わってしまった。
「……分かったよ、じいちゃん」
誰に向けたのか分からないまま、俺は小さく呟いた。
「とりあえず、やってみる」
【承認を確認しました】
「勝手に承認するな」
【了解しました。では、行動を開始しましょう】
スマホの画面に、簡易的なリストが表示される。
《優先事項》
1.セル・チューナー運用環境の確保
2.試作品作成
3.換金ルートの調査
4.海鳴りの倉庫に関する情報収集
やることリストが、妙に現実的で笑えなかった。
俺は祖父の家の窓を見た。夕方の光が差し込み、埃が金色に浮いている。
数時間前まで、ここはただの遺品整理の現場だった。
今は違う。
ここは、変人の祖父が残した、世界の裏口だ。
フリーライターの久世恒一が、その鍵を拾ってしまった場所だった。
――三流ライターのまま、くすぶって終わるはずだった。
そんな俺が、祖父の遺品整理で拾ったのは、ただのガラクタじゃない。
スマホを一ヶ月充電不要にする銀色の玉と、異星文明の管理AIと、どう考えても面倒ごとの匂いしかしない遺言だ。
正直、ろくでもない。
でも、少しだけ思ってしまった。
面白いじゃないか、と。
この六畳間で、世界の値段が変わる音を、たしかに俺は聞いたのだから。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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