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龍神の棲む池

鵺の章で作ったあらすじを基に書いた、民話っぽいお話です。

 昔々あるところに、龍神が棲むと云われる、池がありました。


 山の麓にあるその池は、周りを黒々と生い茂る木々に囲まれており、昼間でも薄暗い陰鬱な場所でした。にもかかわらず、夜中に、ここを訪れる人がおりました。


 なぜなら、誰にも見られず、龍神に供物を捧げて祈れば、願いごとが叶うと伝えられていたからです。


 さて、そんな池の近くにある村の一つに、夕という美しい娘がおりました。夕は幼い頃から病弱で、床に伏せる事が多く、家で静かに過ごすしかありませんでした。


 ただ幸いなことに、夕の家は、近隣の村々の中でも一番のお金持ちでありましたので、医師を呼ぶことはできましたし、同じ年頃の娘達のように、畑仕事や機織りをせずとも、暮らしに困るようなことはありませんでした。


 ある日のこと、夕の家に庭師が訪れました。夕の家の庭は、なかなか外に出られない娘のために、頻発に庭師を呼び、いつも美しく手入れがされておりました。


 いつもは、厳めしい四角い顔の年老いた親方が、一番年嵩の弟子と二人でやってくるのですが、その日は、数ヶ月前に弟子入りしたばかりの青年と、三人でやってきておりました。


「お嬢さん、すみませんね。今日はいつもより、少々賑やかになります」

 笑ったのだろう、四角い顔をくしゃっとさせて、親方が言いました。


「いいえ。賑やかなのは、嬉しいわ」

 体調が良く、陽射しも暖かかったので、縁側で庭を眺めていた夕が微笑みました。


 それを見ていた弟子の青年、佐吉は、はっと息をのみました。


 なんと美しい人だろう。


 艶やかな黒い髪、陶磁器を思わせる白く滑らかな肌、ほんの少し紅を差した唇は、微笑んだために上品な弧を描いております。夕は、佐吉がついぞ見たことのない、儚げな美しさをたたえておりました。


 佐吉が、夕の美しさに息をのんだ直後、夕もまた、佐吉の逞しい姿に、目が釘付けとなっておりました。


 精悍な顔立ち、それに似合った引き締まった身体、日焼けした肌には汗が光っております。夕は一目で恋に落ちました。


 仕事中の佐吉を潤んだ目で見つめる夕に、女中はもちろんのこと、両親も夕の気持ちに気づきました。


 伏せってばかりいる、可哀想で可愛い娘の想いを実らせてやろう。そう思った夕の両親は、佐吉の元に夕を嫁がせることにしました。


 佐吉の家に赴き話をまとめ、村のはずれに小さいながらも立派な家を建ててやり、身の回りの世話や家事をするための女中をつけて、夕を送り出しました。


 二人の、おままごとのような暮らしが始まりました。夕は佐吉と一緒にいられて幸せでしたし、佐吉も美しい妻が自慢でした。


 夕の実家の援助が無ければ、暮らしが立ちゆかないのを歯がゆく思っていた佐吉でしたが、それでも夕のために何かしてやりたいと、椿の花が彫ってある櫛を買ってやりました。


 が、そのようなあたたかい日々は、ほんの一月ほどのことでした。


 一日中、何もしない夕に、佐吉が不満を持ち始めたのです。身体が弱いのは分かっているが、座ってできる仕事もあるだろう。全てを女中任せにするのは、働くのが当たり前の人達の中で暮らしていた佐吉には、納得出来ないことでした。


 また、夜の営みがままならないことも、若くて活力にあふれた佐吉にとっては不満の種でした。その捌け口を外に求め、帰宅が遅くなっても、負い目を感じる夕は咎める事ができません。それを良いことに、佐吉はどんどん家に寄りつかなくなっていきました。


 それは、夕が伏せっていても変わりません。


「いいのかい?こんな所にいて。きれいな奥さんが、待っているんだろ?」

 薄い布団に寝そべって、艶っぽい笑みを浮かべた女が言いました。


「かまわねえさ。あいつには、世話を焼いてくれる女中がついてる。それに、あの村には居づらくなっちまった」

 逞しい裸体をさらした、佐吉が答えます。


 佐吉は、夕をないがしろにした事で村に居辛くなっておりました。仕事で訪れた町で、たまたま入った飯屋の、出戻りの色っぽい女将と気が合い、そこに居着きつつありました。


「あいつは人形さ、ただ、きれいなだけのな」

 吐き捨てるように言うと、薄桃色の柔らかい肌の女に、覆いかぶさりました。


 その頃、夕は高い熱で朦朧とする意識の中で、佐吉に想いを馳せておりました。


 なぜあの人は、そばにいてくれないのだろう。辛いときに寄り添ってくれさえすれば、あとはどこで何をしようとかまわなかったのに。


 熱が下がっても、なかなか床を離れることができず、櫛を握りしめて一人鬱々と考えていると、佐吉への想いは、次第に恨みへと変わってゆきました。


 あの人は、私のことをこれっぽっちも好いていなかったのではないか。私の親に言われたから、夫婦になっただけではないのか。実家のお金が目当てだったのではないか。仮に本当に好いてくれていたとしたら、あの人を奪った女が憎い。簡単に心変わりしたあの人も憎い。 


 やっと起き上がって、家の中を歩けるようになったとき、佐吉がいた痕跡がほとんど無いのを見て、夕は決心しました。


 龍神に願おうと。


 ある晩、女中達が寝静まると、夕はこっそりと家を抜け出しました。月明かりのほとんど無い夜で、小さなろうそくの灯りを頼りに、池を目指しました。


 家から池までは、元気な者であれば、四半時もあれば十分ですが、夕の足ではその倍近くもかかり、到着した時には、息も絶え絶えでした。


 それでも力をふり絞り、闇の中で祈り続けていると、突然、水面が激しく波打ちました。龍神です。


 龍神は、二抱えほどもある白い腹を伸びをするように見せてから、身体を二つに折り曲げ、恐ろしい顔を夕に近づけました。


「ほほう、わしを見ても気を失わぬとは、お前は本気で望んでおると見える」

「もちろんでございます。そうでなければ、思うように動かぬこの身体で、わざわざまいりません」


「して、お前は何故速い足を欲す」

「あの人の元へ馳せるためでございます」


「何故鋭い爪を欲す」

「あの人を引き戻すためでございます」


「何故牙を欲す」

「あの人ののど笛に食らいつくためでございます」


「面白い。しかし、供物が見あたらぬが」

「供物は、私自身でございます」


「気に入った」

 龍神がそう言うや否や、雷鳴がとどろき、稲光が走り、大粒の雨が降りだしました。


 夕はふと、重かった身体が、軽くなっていることに気がつきました。自身の身体を見下ろすと、毛むくじゃらの腕に鋭い爪、太くがっしりした足は、雨で濡れた土をしっかりと掴んでおります。これならば、きっと牙も生えていることでしょう。口元に初めて感じる違和感が、それを教えてくれます。


 龍神に深々と頭を下げると、夕は駆け出しました。


***


 激しい稲光と雷鳴に、佐吉は目を覚ましました。大粒の雨が、飯屋の屋根や壁を叩きます。隣で寝ていた、半裸の女も目を覚ましたようで、布団の中で身じろぎをし、佐吉の胸にすり寄ってきました。


 あの村に帰ったって、自分には居場所が無い。このままこの女と、この店を切り盛りするのも良いだろう。


 女を優しく引きはがし、外の様子を伺おうと布団から這い出そうとしたときの事です。店の方から、凄まじい物音が聞こえました。


 激しい雨風で、雨戸が飛んだか。


 佐吉は飛び起きると、脱ぎ捨ててあった着物を肩にひっかけて店の方へ行き、色褪せた暖簾をめくりました。


 店の中は真っ暗で、何も見えませんでしたが、雨風が入ってきていることはわかります。しかし、それだけではありません。メキリメキリと雨戸を踏みつけて、近づいて来るものがあります。


「誰だ!」


 答えはありません。代わりに、獣のような荒い息遣いが聞こえます。


 何だ。何がいるんだ。


 佐吉の額には脂汗がにじみ、鼓動はどんどん早くなり、その音が妙に頭に響きます。


 逃げなければ。


 そう思うものの、なかなか身体が動きません。


 と、稲光が空を走り、生き物の姿を浮き上がらせました。


「ひっ!」

 佐吉は、悲鳴とも叫び声ともつかぬ声を上げ、腰を抜かして尻餅をついてしまいました。


 目の前にいたのは、気味の悪い四つ足の化け物でした。血走った目をした猿のような顔、歯茎をむき出した口元には尖った牙が見え、縞模様の入った身体には、蛇のようにうねる尾が付いております。


 とにかくこの場を離れなければ。立ち上がることが出来なかったので、佐吉は四つん這いで化け物に背を向けました。


 途端に、左肩に鋭い痛みが走りました。震えながら頭を向けると、頬にチクチクとした毛が刺さり、獣の爪が食い込んでいるのが見えました。爪は肉を切り裂き、骨を砕き、佐吉の肩にめり込みます。


 痛みと恐怖で、動けずにいると

「ぎゃああああ!」

 奥から出てきた女が、悲鳴を上げました。


 その女を目掛けて、化け物の尾が、うねりながら伸びて行きます。


 化け物の気が一瞬そちらに反れたせいで、佐吉の肩にかけた足の力が緩みました。この瞬間を逃がすまいと、佐吉は化け物の前足に手をかけ、爪から逃れようと暴れました。


 が、すぐに足には力が戻り、爪は更に肩に食い込み、そして、すえた臭いがして、佐吉の首に牙が突き立てられました。


 佐吉は薄れてゆく意識の中で、間近にあった化け物の頭に、小さな櫛が刺さっているのを、見たような気がしました。


***


 全身を鮮血で染めた夕が池に帰り着く頃には、あれほど荒れていた空には星が瞬いておりました。


 想いを遂げたはずなのに、夕の心は、空のようには晴れません。寒天のように動かぬ池の水面に己の姿を映し、あまりの醜さに少し笑い、ゆっくりと池に足を踏み入れました。


 体から溶け出すように血が水を染め、すっかり元の色になった頃、夕は美しい娘の姿に戻って、ゆらゆらと沈んでゆきました。


 岸には、小さな櫛が一つ、残されておりました。

 

おつきあいいただき、ありがとうございました。

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