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第15話 不明

 遅れて雨木もオルカリアの存在に気付いた。

 それが纏う空気、非科学的な表現をすれば〈気〉のようなものが全身から放射されているようだった。

 水面に立ち、見るだけでそ危険度の高さがうかがい知れる。

 これは異常事態だ。

 雨木はその場で大声で叫ぶ。


「全員アラハバキを装着! ただちに岸まで後退します!」

「はいっす!」

「わかりました」


 柿崎、橘が答え多彩端末デバイスを取り出した。

 他の隊員たちも続き、タイミングもばらばらに「装着イグニッション」と、あちこちから声が響く。

 バックパックが展開し銀色鎧をすべての隊員が身に着ける。

 すぐにボートのエンジンが点火し、全速力で岸へと走り出した。

 オルカリアは動きを見せす、その場に立ったままだ。

 四つの眼球が回転し人間を観察しているようにも見える。

 ボートは水しぶきを激しく吹き上げながら進み、衝撃で船体が上下に揺れた。

 まるで地震が起こったかのような勢いで、おもわず転びそうになったエナの身体を雨木のたくましい腕が支えた。

 一番初めから感じてた疑問をエナに訊ねる。


「エナ、あのオルカリア、タイプ〈アンノウン〉とでも名付けましょうか。それに対して何か感じませんでしたか? いままでならセンサーよりも速く感知していましたが」

「ごめん。わかんない。あの子笑っているのか、怒ってるのか、悲しんでいるのか、こころが読めないよ。でもわたしたちの敵だと……思う」


 表情が自信なさげで怯えているというよりも、どうしていいかわからない様子だ。

 しかし困惑しているのは雨木含め他の隊員たちも同じだった。

 岸に残った者からも連絡はなく、あのオルカリアはセンサーにも反応することなく、忽然と現れたのだ。

 これもまた初めての経験だった。

 もちろん、いま全員で戦うという選択肢もある。

 アラハバキにもホバージープと同等の特化機能は備わっている。

 アメンボめいて水面に立つことは可能だ。

 だが雨木はこれまでの経験から、その手段はリスクが高いと判断した。

 得体のしれない敵と戦闘するならば、残った隊員たちやボット、ホバータンクの力も借りるべきだと考えたのだ。


(敵意を隠して接近できる個体でしょうか。ぼくも初めて見るタイプのオルカリアですね。類似する生物が見当たりません。何か嫌な予感がします)


 と、ボートを見つめていたアンノウンが動き出した。

 前傾の姿勢になり脚を前後に開く。

 そして勢いよく走り出した。

 まるで短距離走の選手が全速力で走るように、まったくペースを落とさず水面の上を駆けている。

 瞬く間に雨木たちとアンノウンの距離が縮まる。

 隊員たちから血の気が引いた。

 なぜならば、岸までの距離はまだ二キロメートルもあるからだ。

 二隻のボートは弾丸めいて疾走している。

 その途中で不意に橘の乗るボートが止まった。

 雨木の多彩端末デバイスに着信が入る。

 相手は橘だった。


『副隊長、私たちが時間を稼ぎます。その間に逃げて下さい。このままでは追いつかれます』

『橘さん! それはっ!』

『心配しないでください足止めに徹します。皆さんが岸に着いたらすぐに後退しますよ。私、石橋は砲撃してから渡るタイプなんで」

『いえ、やはりみとめられませ――』


 言い終わる前に橘は笑って通信を切った。

 雨木は唇を噛むと右目を開き橘がいる方向を見やった。

 義眼のズーム機能が鮮明に映像を映す。




 橘はオルカリアを見据えた。

 あの速度ならあと三十秒ほどでこちらの射程に入る。


「いくわよ。貴方たち。プランAで接近戦は避けるように」

「はい」「イエス」「わかりました」


 青柳、芹沢、杉崎が返事を返す。

 アラハバキを水上で活動できるように特化を開始した。

 四人が声をそろえて叫ぶ。


「浮力特化!」

《浮力特化ヲ開始シマス》


 音声インターフェイスが復唱し、四人の足に忍者が使う水蜘蛛のようなリングが出現した。

 リングの裏側から空気が噴き出し、ホバージープと同じ原理で体を浮かせた。

 橘が先陣を切り水面に浮かんだ。

 多少上体がぶれるが、戦闘に支障はなさそうだ。

 アンノウンは二十メートルのところまで迫っている。

 橘は左腕を真っ直ぐ突き出し右腕をその下に添えた。

 そして、


「射撃特化!」

《射撃特化ヲ開始シマス》


 左腕が自動小銃に変形し、5.56ミリ弾を吐き出した。

 青柳、芹沢、杉崎もそれに続く。

 アンノウンめがけて弾丸が嵐のように降り注いだ。

 当然大半は触手に弾かれるが、残りが確実に皮膚を削っていった。

 己の身を削られながら、アンノウンは少し首を傾げた。

 この程度の力しかないのか? というように。

 そして身体の内側から新たに二本の触手を出した。

 これで合計四本の触手を持つことになる。

 アンノウンはそれを卍の形に配置した。

 同時に橘が注意を促す。


「何かしてくるぞ! 全員散れ!」

「は――」「イ――」「わか――」


 触手が振るわれた。

 四本の触手は伸張し、プロペラが回るように回転した

 鞭のようにしなるそれは、先端にギロチンめいた刃をきらめかせ、橘たちへと殺到した。

 そして青柳、芹沢、杉崎の身体が寸断された。

 三人とも胴体を綺麗に輪切りにされ崩れ落ちる。

 冗談めいて大量に噴き出した血が湖を赤く染めた。

 生臭い鉄の匂いがあたりに立ち込めた。

 アンノウンの放った触手はアラハバキの装甲をものともせず、バターのように切り裂いた。

 ただこの中で橘だけは触手が到達する前に、身をかがめ死を躱していた。

 だてに遠征部隊へ選抜されてはいないというところを見せつけている。

 仲間の死に涙を流している暇はなかく、橘はアンノウンを観察する考える。

 とはいえ今の一撃で戦力差は一目瞭然だ。

 オルカリアの強さは触手の数で決まり、通常のアラハバキは二本級パターンツーの戦闘力を元に設計されている。

 一本級パターンワン二本級パターンツーに会敵する可能性が一番高いためだ。

 そして三本級パターンスリー四本級パターンフォークラスのオルカリアに関する情報は驚くほど少ない。

 それは敵に発見されることが、直接死につながるからだ。

 今、橘の前に立つのは、文字通り死神だった。


(触手の数が四本……つまり四本級パターンフォーか。アラハバキのスペックでは天地がひっくり返っても勝てない相手だな。――申し訳ありません。どうやら私の仕事ここまでのようです副隊長)


 橘は最期の特化機能を使った。

 少しでも長く時間を稼ぐために。


「複椀特化! 切断特化!」

《複椀特化、切断特化ヲ開始シマス》


 背中から四本のロボットアームが出現し、手の部分がチェーソに変形する。

 自らは電熱ナイフを両手に持ち、アンノウンへ最後の特攻を開始した。


「ああああああああああああああああああああああ」

「ルルル」


 橘が叫び、対するアンノウンは微かに喉を鳴らした

 二人の距離は五メートルもない。

 六つの刃がそれぞれ軌道を描き、アンノウンの核を狙う。

 触手の一つがまたも奔った。

 そして橘は脳天から両断された。

 繰り出された刃はどれも薄皮一枚破ることなく、ガラクタと化した。

 しかしアンノウンは気付いていなかった。

 人間の強かさを。


《ザッ……ピガッ……搭乗者ノ生体反応消失。終末特化ヲ開始シマス……》


 光があった。

 橘の胸を中心に巻き起こった爆炎は、自らの肉片とアンノウンをもろとも焼き尽くした。

 赤銅色の炎が球のように膨れ上がり、半径十メートル以内の生物を死滅させる。

 激しい衝撃を受け、湖面に数十もの波紋が広がる。

 一人一度しか使用できない終末特化、つまり自爆があった。




 雨木は岸でその光景を見つめていた。

 義眼がフィルムをコマ送りにするように一瞬一瞬を捉えている。

 透明なレンズは仲間の死の瞬間をすべて焼き付けていた。

 決着を見届けると雨木はいならぶ隊員たちの方へ視線をやった。

 すでに全車両のエンジンがかかり、さまざまな特化を起動した隊員たちが雨木の指示を待っている。

 みな恐怖よりも仲間を殺された怒りが先行し、いますぐにでも飛び出していきそうだ。

 特に柿崎はバイザー越しにマグマのような憤怒をたぎらせている。

 後は命令を下すだけだ。

 そして雨木は、


「撤退します。ここで全員五キロ先の放棄都市を目指してください」

「雨木さん! オレはっ!」

「黙って下さい。現在あのオルカリアに大したダメージはありません。四本級パターンフォー相手に正面からぶつかっても犬死するだけです。みなさん急いでください。こうしている時間も惜しい」

「――了解っす……」


 口調こそいつもと変わらないが。雨木の鬼気迫る雰囲気にみなが従った。

 ホバートラック、タンクが出発する。

 火の粉が命を天に運ぶように舞い散っていた。



 先頭を走るホバートラックのシートに雨木とエナは腰かけていた。

 すでに陣形もなにもなく、障害物の少ないコースを選んで、スピードを限界まで出していた。

 センサーにアンノウンの反応は見られないが、安心することはできない。


「エナ、アンノウンの位置は感じられますか?」

「うん……いまはわかるよ。心がかくれんぼしてないから。――ばくはつに驚いて湖のうえから動いてないみたい。でもすぐに追いかけて来るよ。わたしが欲しいみたいだから」

「殺すではなく必要ということですか? 高い知性があると?」

「わかんないけど……わたしは仲間だって言ってる」


 雨木の瞳が見開かれた。

 身の毛が逆立つ。

 どうにか冷静を装い、また訊いた。


「他にはなにか感じたことは?」

「ないよ。それだけ」


 雨木に表情が強張る。

 想定外の恐ろしい事態が起きていた。

 ここまで恐怖を感じたのは十年ぶりだろうか。

 しかしエナが気がかりなのはアンノウンのことではなかった。


「たけぞう、橘さんは死んじゃったの? もう帰ってこないの?」

「……そうです。彼女はぼくたちを逃がすために命を賭けました」

「そんな、やだよ……」


 そう言っ涙をこぼした。

 瞳からいくつもの水滴が流れ頬を伝って跡を残した。

 車内に慟哭が響いた。



 十五分後、隊員たちは放棄都市にたどり着いた。

 どの車両も泥とつる草まみれで、必死さが見て取れた。

 この放棄都市は空中に透明のパイプラインをいくつも作った、奇妙な場所だった。

 街には背の高いビルが碁盤の目のように三十棟並び、それをつなぐようにパイプラインは伸びていた。

 例によってどれも植物で覆われていた、圧潰したものは少なく、ここに使用された建築技術の高さがうかがい知れた。

 雨木はボットに警戒線を張らせて、自分たちが通った入り口に地雷を設置するように命じた。

 そして隊員たちを集め、作戦を立てる。

 エナの護衛に隊員三人をまわし、残りすべての隊員、ボットホバータンクで迎え撃つ構えだ。

 正面からぶつからないようにトラップを設置し、各人員を散らして配備した。

 廃屋の一室で、エナは雨木に訊ねた。


「たけぞうは死なないよね? 帰ってくるよね?」


 小さな肩が震えている。

 瞳にはビー玉のような涙の粒があった。


「大丈夫。必ず帰ってきます。一度救われたこの命、決して無駄にはしません」


 エナはよくわからないといった表情でじっと顔を見つめてきた。

 雨木説明せずに、振り返らずに、廃屋を出た。

 後には沈黙だけが残った。


 

 

 それから十分後、各隊員たちの多彩端末デバイスに着信が入った。

 エナがアンノウンの襲来を告げ、決戦が幕を開けた。








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