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最後の試合

レースが終わった後も

水面はほとんど揺れてなかった

琵琶湖は広くて静かだった


さっきまで あの中で全員が同じ方向に

漕いでいたとは思えないくらい

何も残っていない


水谷あゆみは 艇庫の前に置かれた

カヌーの横に立っていた

濡れたパドルが地面に置かれたカヌーの

横に立っていた


濡れたパドルが地面に小さな水の跡を

落としている


遠くで誰かの声が聞こえる


笑っているような 泣いているような

何方とも分からない声だった


同じ学校の選手たちは

少し離れたところで集まっている


誰かが肩を叩き 誰かが頷いている


あゆみはそこに入らず

少し離れた場所から様子を見ていた


負けたという実感はあった

結果も見た

タイムもわかっている


けれどそれ以上に何かが

上手くつかめなかった

悔しいのかどうかもはっきりしない

ただ 終わったということだけが

体の中に残っている


湖の向こうに低い山が見えた

島ではない


当たり前のことなのに

少し違和感があった

風はほとんどなく 水面は平らなままだった


あゆみはパドルを拾い上げる

握ると まだ少しだけ手が震えているのが

分かった

力を入れ過ぎていたのかもしれない

あるいは足りなかったのかもしれない

何方なのか 自分でも分からなかった

「おめでとう かな?」

後ろから声がした

振り返ると部活仲間が立っていた

「……うん」

あゆみは小さく答える

それ以上は出てこなかった

一応 

最後は入賞で終わることが出来た

もう少し何か言うべきだったのかもしれない

だが 上手く言葉にならなかった

カヌーの縁に手を置く

冷たい感触が 指先に残る


この感覚は島の海と同じはずなのに

少しだけ違って感じた


あゆみはもう一度 水面の方をみた

何もない

ただ広いだけだった


その広さの中 自分が何処にいたのか

上手く思い出せなかった



帰りのフェリーは 瀬戸内海の夕陽の光を

ゆっくりと進んでいた


デッキに出ると風が少し強かった

湖の上とは違う匂いがした

あゆみは手すりに手をかけ 海の方をみた


水の色が 少しだけ濃い

波も 琵琶湖よりは はっきりしている

同じ水なのに ちがうもののように感じた

エンジンの振動が

足の裏から伝わってくる

規則的な音が 

身体の奥に残っているリズムと重なった

漕いでいるときの感覚に少しだけ似ていた


あゆみは目を細める

最初にカヌーに乗ったのは

小学校に上がったばかりの頃だった

浜辺で遊んでいるときに

父に連れられて乗った


最初はただ座っているだけだったが

水の上に浮かぶ感覚が不思議で

気付けば一人で進める様になっていた

特別な事ではなくなっていた

海は何時も近くにあって

カヌーもその延長にあった


一年の夏 高校での初めての大会に出た

それまでと同じように

漕いでいるつもりだった

だが水の上の空気は何処か違っていた

スタートの直後から前に出る選手がいた

同じ学年だった

見た事のないフォームで 無駄がなく

速かった

距離が あっという間に開いていく

追いつこうとしても 差が縮まらなかった

ただ その背中だけが ずっと前にあった


ゴールした後 自分のタイムをみた

悪くなかった

それでも まるで届いていない事だけは

はっきりしていた


そのあと 暫くカヌーに乗れなくなってた

艇庫に行こうとしても足が止まる

海は何時もと同じようにあったのに

近づくのが怖かった

何をしても あの差を思い出す気がした

気付けば 練習に行かない日が増えていた


フェリーが大きく揺れる

あゆみは手すりを握り直した


二年の春 そのまま戻れなかった

後輩が増え 同級生との差が広がっていった

それを見ているだけの時間が

長くなっていった


エンジン音が少しだけ大きくなる

島が少しずつ近づいてきていた

見慣れた防波堤が見える

あゆみは視線をおとした


今年 もう一度戻った

理由は上手く説明できない

ただ このまま終わるのは違うと思った

それだけだった


結果は 残念なものだった

良いとは言えない

でも やらなかった去年よりは

何かが違う気がした

何が違うのかは まだ分からない

フェリーが岸に近づく

波が少しだけ荒らしくなる

あゆみはもう一度 海を見た

風は少し強くなっていた

それでも

水面はさっきより落ち着いて見えた



港に着くといつもの匂いがした

潮の匂いと 

少し乾いた土の匂いが混じっている

フェリーから降りると

足元の感覚が少しだけ変わった

揺れが消えて 地面がハッキリしている


それでも身体の奥にはまださっきの

リズムが残っていた


家まで歩いてすぐだった

浜辺に沿った道を進む


夕方の光はすでに薄くなり

空はゆっくりと暗くなっていた


家の明かりが見える

玄関の戸を開けると 直ぐに気づかれた


「おかえり」

母の声だった

「ああ おかえり」

父も奥から顔を出す

「どうやった」 

その問いに あゆみは少しだけ間を置いた

「……まあ 普通かな」

自分でも曖昧な答えだと思った

母はそれ以上聞かず

「お疲れさん」

とだけ言った

父も軽く頷いた

「よう 頑張ったな」

それだけだった

台所から 味噌の匂いがした

いつもと同じ匂いだった

あゆみは靴を脱ぎ 家の中に上がった


特別な事は何もなかった

いつも通りの夜だった


食事を終えた後 あゆみは外に出た

家の前の道をそのまま下りると

直ぐに浜辺に出る


夜の海は 昼よりも静かに見えた

波の音だけが はっきりと聞こえる

風は少しだけ冷たい

砂の上をゆっくりと歩く

足跡が残り

直ぐに消えていく

あゆみは海の方を見た

暗くて 遠くはよく見えない

それでも そこにあることは分かる

小さい頃から見てきた海だった

カヌーに乗る時も 遊ぶ時も

ずっとここにあった


好きかどうか考えたこともなかった


当たり前に そこにあった


あゆみは立ち止まる

今日のレースのことを思い出そうとする


スタート 漕ぎ ゴール

順番に思い出せるはずなのに

途中がぼやけている

あの時 何を考えていたのかも

はっきりしない

ただ 終わった事だけは分かる

勝てなかったことも 分かっている

それでも 去年のように逃げたわけではない

戻って 漕いで 終わった

それだけだった

あゆみはゆっくりと息を吐いた

波の音が それに重なる

風が少し強くなり 海が僅かに揺れる

同じ場所なのに 昼とは違って見える

あゆみはしばらくその場に立っていた


何かを考えようとしているのか

何も考えていないのか

自分でも分からなかった

ただ海を見ていた

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― 新着の感想 ―
 堺大和さん、こんにちは。 「潮目の波間 (仮) 最後の試合」拝読致しました。  カヌーもの?  琵琶湖で試合。入賞は出来た。成績としては、微妙?  小さい頃から始めたカヌー。  結構いけると思…
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