おまけ:護衛騎士の場合
「太陽と癒しの神の教会の高神官殿の専属護衛……」
ラシェルは少々戸惑っていた。一人前の護衛騎士と認められるようになってから1年半。自分もいつか護衛騎士として誰かを主人と定めることになるのだ、とは思っていたが、太陽神の教会からの要望というのは想定外だった。
どちらかというと、上の兄のように、高貴な家の奥方や令嬢の護衛となるのだろうなと考えていたのだ。
「父上、なぜ、太陽神の教会からなのでしょう」
「新たに任官を受ける高神官殿はまだお若いのに優秀で、“太陽神の寵児”と呼ばれるほどのお方なのだそうだ。
その高神官殿がお前のことを知って、ぜひ高名なイフラクーム家の騎士に側付きの護衛騎士となって欲しいのだと仰っているらしい」
そんな高名な神官自身の望みであると聞き、自然にラシェルの背筋が伸びる。
「太陽と癒しの神の教会は、正義と騎士の神の教会とも懇意にしているし、なにぶん、正義と騎士の神の高司祭殿からもぜひ受けてほしいという口添えがあってのことだ。
もちろん、お前がどうしても断りたいならしかたないが、口添えのあった高司祭殿には我が家も世話になっていることであるし、なるべくならお受けしたい」
滔々と父に告げられて、それならば、自分の考えていた主人とは違うけれど是非にと請われてのことであるし、全力で務めようとラシェルは心に決めた。
「わかりました、お受けします。護衛騎士としてイフラクームの名に恥じないよう、誠心誠意務めを果たします」
「……ラシェル・イフラクームが盾となり剣となり、エリファレット・ネザーバーン高神官殿の御身をお守りすることを誓います」
膝を付いて騎士の礼を取り、聖衣の裾に口付けて誓いの言葉を述べるラシェルに、エリファレット神官……エリーは聖句とともに祝福を与え、その誓いを受け入れると返す。
思ったよりもあっけなく儀式は終了した。これからはこの年若い神官殿が自分の主人なのだと、ラシェルは気を引き締める。
「改めまして、ラシェル・イフラクームです。これからよろしくお願い致します、神官殿」
教会から与えられたお仕着せと鎧に身を包み、愛用の剣を下げ、改めて挨拶の口上を述べる。簡易ながらも騎士の礼を取るラシェルに、エリーも「こちらこそ、よろしくお願いします」とにっこり微笑んだ。
なるほど、輝くようなというのはこういう微笑みなんだなとラシェルは感心しつつ、エリーからの握手の求めに応じた。だが、何気なく手を握ったはずなのに妙に時間が長い。これはいくらなんでも長すぎではと、内心首を傾げたところで「私のことはエリーと呼んでください」とほんのりと朱に染まった頬で言われるにあたり、もしかしてまずいのではないかとさすがにラシェルも気付いた。
言い訳とともに咄嗟に「“神官殿”とお呼び致します」と答えたが、護衛騎士を務める以上、必要以上に近付くことはご法度だ。主人の体面はもちろん、自分自身や、ひいてはイフラクーム家の信用にも関わってしまう。ラシェルはこのエリーの様子から、役目は当然としても、壁を作り距離を置くことにも全力を尽くさねばならないかもしれないと考えた。
幸い、こんなこともあろうかと、その手の言葉やちょっかいを躱すためのノウハウはいくらでも実家に蓄積されているし、どうすればいいかも叩き込まれている。なんとかなるだろう。
「お姉さま、どう?」
「どうって、何が?」
エリーの護衛騎士となってひと月あまり。久しぶりに休暇を戴き実家へと戻ったラシェルが、いつものようにまたいくつか書物を借りようと妹の部屋を訪ねると、開口一番意味のよくわからない問いを投げられた。
「お姉さま、わたくしが“どう?”って訊くことなんてひとつだけしかないわ。
……エリファレット神官が男色って噂、本当なの?」
「は? セシリア、何を?」
ぼかんと口を開けたラシェルに、ずいっとセシリアが迫る。
「何をじゃありませんわ、お姉さま。エリファレット神官は見目麗しく華奢な美少年でしかも神官としてもとても優秀なお方。太陽神の教会に所縁のある家の令嬢たち垂涎の結婚相手として、今をときめく有望株ですのよ。残念ながら貴族の出ではありませんが、そんなものは御歳17にして高神官となられた優秀さで補って余りあるし、婿として迎えるならかえって好都合……そう考える貴族も少なくありません。なのに、あれだけの令嬢たちのアプローチをことごとく躱し、浮いた話のひとつも起こらず……ありえません、ありえませんわ。これはもう、麗しき神官殿が男色であると考えるのが自然というものですのよ。わたくしのお友だちも皆、賛同してくださってますわ」
拳を握り締め、ひと息にそこまでを言い切って、セシリアはハアハアと息を荒げた。
「セシリア、言ってる意味が、わからな……」
「ですから!」
ラシェルの言いかけた言葉を遮り、セシリアは身を乗り出す。
「わたくしはお姉さまならきっとそのあたりの事情をご存知だろうと思って、帰宅をお待ちしていたのですわ! さあ、お姉さま、お教えくださいませ!」
「え、いや、セシリア待って」
ぐいぐいと襟元を締め上げるように掴み、迫り来る妹の迫力が尋常でない。ラシェルは落ち着けと宥めるように肩を叩くのだが、セシリアはまるで気付いていないようだった。
「お姉さま、エリファレット神官に意中の殿方は!? ご趣味は!? どのような殿方がお好みなのです!? やはりマッチョ!? 偉丈夫な方が?! それともエリファレット神官殿はまさかの攻めと!?」
「いや、そんなことを聞かれても……」
殿方の好み? 攻め? とラシェルは首を捻る。そもそも男色疑惑……? そんなまさか。意中の殿方? そんなものがいるのに、やたら私にくっついてくるのは、では何故なのか。最初のあの振る舞いや言葉はなんだったのか。
「ねえ、親しくしていらっしゃる殿方はいるの!? お姉さま、後生だから教えて!」
「あ、あの、そういえば、大地と豊穣の女神の司祭の方とは、仲が良くていらっしゃるかと……」
「まあっ! 大地と豊穣の女神の教会! ……素敵、素敵ですわお姉さま。かの教会は閨のあれこれも教えておられる教会ですもの、きっと、あんなことやこんなことまで……はっ、こうしてはいられなくてよ! 早く絵師様をお呼びしなくては!」
自己完結して怒涛のように去っていった妹の言うことが、半分もわからなかった。そもそも、なぜエリーにそんな噂が立つのかというところがよくわからない。男色だというなら、なぜ敢えて私のような女騎士を側付きに指名する?
……しかし、興奮しきった妹からあれ以上何かを聞き出すのは無理だろう。だいたい、エリーの趣味や嗜好がどうこうというのは、護衛騎士をするうえでさほど問題になることでもない。なら、放っておけばいい。ラシェルの気にすべきことでもない。
妹の書棚から、これからまたしばらく暇潰しのお供になるような書物をいくつか選んで抜き取ると、ラシェルは自室へと戻っていった。
それからまた、視察だなんだと忙しい日々を過ごし……ラシェルは首を傾げていた。
妹の言うように、エリーが男色だというなら、何故やたらとラシェルにスキンシップを取りたがるのか。やたらと愛称で呼んで貰いたがるし、何かと手を握ろうとしたり、あろうことかぺたりとくっ付いたり……視察先の宿で風呂を共にしようとか……。
まさか、男色の噂対策に自分を護衛騎士として側付きにしたということなのだろうかと考えて、ラシェルは頭を抱える。さらに言ってしまえば、ラシェルなら実の母にも残念がられるほどに見た目は男性のようで、エリーも抵抗なく接触できるから都合が良いということなのか。
はあ、と、ラシェルは我知らず溜息を吐いた。
こんなことだとわかっていたら、父の言葉など構わず、話を断るべきだったか。だが、あの時点でこの状況になるなどとはつゆとも思わず……いずれにしろ、考えたところで素知らぬ顔で躱すべきことに変わりはない。相手さえしなければそのうちラシェルに構うことにも飽きて、きちんとした他のお相手を探すだろう。
それからずっと、ラシェルは鉄の平常心を心掛け、神官殿のちょっかいを躱し続けた。我ながらすっかり慣れたもので、神官殿が何か言い出しても脊髄反射的に応じることも避けることも容易くできるようになってしまった。
……しかし、当の神官殿も強かというか懲りないというか、よくもまあ、毎日飽きずにちょっかいをかけ続けるものだと、ラシェルも呆れを通り越して半ば感心にまで至る心持ちだ。
なんというか、まるで、これは男色カモフラージュとか一時の気まぐれなどではなく、自分に気があるようにも感じられて……?
それはないな、と思い直して、ラシェルは翌日からの視察へと出る準備を整える。
もうほぼ収束に向かっているとはいえ疫病地域の視察なのだ。清潔さを保つために着替えを多めにとも言われている。日数の割にやや大きな荷物となったが、馬の鞍袋に入れてしまえばそれほど負担にはならないだろう。
視察先までの道のりにさほどの危険はなく、いつも通り卒なくこなして帰ってくるだけだ。
──結論を言えば、この視察を境に、エリーのちょっかいの理由も、ラシェルを側付きの護衛騎士に指名した理由も何もかも、すべて明らかになった。
エリーは別に男色カモフラージュをしていたわけでもラシェルが男のようだから構っていたというわけでもなく……なんというか、単に思春期を拗らせて誰もが想定していないような方向に暴走していただけだったのた。
目的はただひとつ……ラシェルと結婚するために。
さすがの太陽神ですら、こんなことは予想もしていなかったのではないだろうか。
「でも、なんで私が」
ラシェル以外の女など、すべてかぼちゃか茄子のようなものだと言い切るエリーは、やはり目がおかしいのではないかとラシェルは思う。
エリーが友人のローラン司祭に、ドヤ顔で「絶世の美女でしょう?」などと言い放っていた時には、本気で穴に埋まりたいと思ったくらいだ。ローラン司祭も返答に困っていたではないか。エリーの審美眼は本当に大丈夫なのかと、ラシェルは少しだけ心配である。
はあ、と溜息を吐いて、まあ、それでもいいかとラシェルは考える。
少なくとも、自分を讃えるエリーの言葉は本心からのようであるし、母も「望まれて愛されて嫁いだほうが、女は幸せになれるのよ」と言ってたし。自分自身も、エリーを嫌いなどではなく、むしろ、彼の意外に強引なところは好ましいと思ってしまうのだから。
そして、エリーが夫となってからもうひとつ、ラシェルには新たな頭痛の種が生まれていた。
「ねえ、セシリア。この本は何? 私がエリーといい仲なのはともかく、なぜ性別が男になっているの」
「あらお姉さま、だってそのほうが萌えますもの」
「……セシリア、あなた少し自重しなさい。そろそろ嫁がねばならない歳でしょう?」
「大丈夫よ。ちゃんと理解ある殿方と添い遂げようと、幾人か見繕ってますわ」
さすがというかなんというか……この妹につける薬は無いようだ。
そのさらに数日後、なぜかエリーの書棚からこの本が出てきたときには、ラシェルは本気でどうすればよいかと悩んでしまった。まさかエリーがそっちに目覚めてしまったのかと、本気で心配になったのだ。
だが、涙目で追求する自分に、「だって、性別はともかく、ラシェルがかっこかわいいんです。相手も私ですから、問題ないですし」と顔を赤らめて言う夫の姿がなんだか残念で……けれど、つまりそれはラシェルであればなんでもいいということなのかと、ラシェルはやはり呆れ半分感心半分の、微妙に嬉しいようなわけのわからない気持ちで、溜息しか出ないのだった。