第九十八話 『喪失』 (loss)
目が覚めた。悪い夢だった。凄く鮮明に憶えている。
わたしは普段、夢を観ても何も憶えていない。なんかこんな感じの夢ってだけでどんな内容だったか思い出せた事はまずない。焦ってたとか、気持ち悪かったとか、そんな感覚とか、ちょっとしたシーンぐらいなんとなく憶えている程度。
だから、今回の様に、全てハッキリと憶えているのは初めての経験だった。
夢の記憶の余韻に浸りながら、ボンヤリと天井を眺める。いつもの天井。わたしが今住んでいる学校の寮。
ようやく頭がハッキリしてきたので、身体を起こそうとしたら動けない。なに? どういう事? 手足を動かそうとすると、ピクリとも動かない。何かでガッシリと縛られてる様だ。
身を捩って何とか動こうとすると、何かが覆い被さって来た。
「みんな押さえて!」
その号令と共に、身体のいろんな処が掴まれる感覚が在った。
「ちょっと、なに? なによ? ちょつ、山依さぁん? これは何? 何事?」
わたしのすぐ近く、顔の前に居る山依さんに訴える。その山依さんは眼を真ん丸にして
「麗美香? 目が覚めた? あんた正気? もう大丈夫なの? もう暴れない?」
「あ、うん。目ぇ覚めてるよ? 暴れるって何? 何の事?」
「あんたが急に暴れ出すから、みんなで取り押さえたのよ。ほんとにどうしたのかと思ったよ。」
わたしが暴れた?
ふと、部屋を見渡すと、窓が割れて夜風が遠慮なく部屋に侵入していた。そして机やらロッカーやらが横倒しになって、中の物が散在していた。
「これ、わたしがやったの?」
「そうよ。ほんとにびっくりしたんだから。勘弁してよもう。」
凄くうんざりした様子で云われた。山依さんにそんな風に云われると、しょんぼりしちゃう。小さい頃にお母様に怒られたときを思い出す。
山依さんの号令で、みんなで縄が解かれる。
身体の自由が効くようになったので、手足を曲げ伸ばして動きを確かめる。
あなた達、むっちゃ思いっ切り縛ったのね。手首とか足首に紫色に変色した縄の後がついてるじゃないの。傷が残ったらどうしてくれんのよ。
「あんたが暴れまくるから、がっつりと縛るしかなかったのよ。ごめんね。痛い? 痕が残らないといいけど。」
山依さんの済まなさそうな顔から、やむを得ず縛った事が解る。手首の跡を擦りながら、「大丈夫、わたし肌強いから」そう云って何でもない風を装った。
立ち上がって、部屋に居るみんなに謝る。うわっ、いっぱいいらっしゃる。6人ぐらい居るよ。両隣の子かな? 他に寮母さんと、変な格好したニーナちゃんも居る。なんだあれ? 軍服っぽいけど。
「って、なんでニーナちゃんが居るの?!」
「あ、助けようと思って。もう大丈夫なの? 入れ替わってないですよね?」
ニーナの発言に、山依さん以外が怪訝な顔をした。そりゃそーだよねぇ。いきなり、入れ替わってないか? とか。ニーナちゃんってばお茶目なんだから。でも、ニーナちゃんが居て今の発言からすると、あれは夢じゃ無かったのね。実際にアイツの仕業だったんだ。
「大丈夫、大丈夫。ニーナちゃん、後でゆっくり話そうね。」
とりあえず周りはスルーしておこう。うん。
「目は覚めたみたいですね。窓の修理は明日手配しますが、今日のところはうちに来てください。布団は予備が在りますから、お二人とも寝れます。この部屋では今日は寝れないでしょうし」
寮母さんがぼそぼそと伝えてきた。わたしはこの寮母さんはちょっと苦手だ。いつも何か神経質そうだし、ちょっとした事で壊れそうな精神性だ。歳はそんなにいってない感じだけど、実年齢は知らない。見た目だと20代半ば過ぎぐらいな印象だ。身体が弱そうで顔も青白いし、薄幸そうだ。黒く長い髪が一層その陰気さを強調している。
「ニーナちゃんはどうするの?」
「あ、私はコーイチと一緒に家に帰るから大丈夫。」
ニーナちゃんの発言に山依さん以外が今度はざわついた。
わたしと山依さんは知ってるから別に何とも思わないけど、他の人は知らないのね。そりゃざわつくよね。男の子と一緒に住んでるとか聞いたらね。ポチがどれだけ有名か知らないけど、名前から男性だと解るしね。
「ポチも来てるんだ? じゃちょっとわたし会いにいっちゃおー。あ、寮母さん、わたしちょっと寄り道してからそちらに伺いますので、よろしくです」
「あ、はい」
「あんたねえ、もう遅いというか、もう明け方だけど、寮母さんに迷惑でしょ。すぐに来なさいよね」
山依さんに怒られた。まあ、当然だけどねえ。自覚は無いけど、話によるとわたしがここで大暴れして窓を割る様な大騒ぎやらかしたわけだしねえ。
すぐに済ませるからとだけ告げて、ニーナちゃんと一緒に部屋を出る。
思ったより外は寒く、出しなにひょいと掴んできたちゃんちゃんこだけでは防寒には不足していた。
「寒そう」
そう云ってニーナちゃんがわたしの手を掴んで擦ってきた。
ニーナちゃん優しい。これでお姫様なんだからたまらない。
わたしって男に生まれた方がいろいろと良かったんじゃないのかなぁ。なんか虚しくなってきた。
外へ向かってしばらく歩いていると、寮の外にポチが立っているのが視界に入った。
「あっ! 不審者発見!」
ポチを指差して宣言する。
「その様子だと無事だったみたいだな。良かったよ。間に合ったんだな?」
なっ? ポチのくせに、平然と受け流すとか生意気だ。もっとオロオロとしてよ。そうじゃないとわたし、巧くお礼が云えないじゃないの! このバカ。
「この麗美香さんは本物です。私が保証します」
隣でニーナちゃんがポチに右手をにぎにぎしながら云う。そして何故か済まなさそうだった。
「そっか、まあ非常事態だから悪いとは思わないよ。けどまあ、あんまり使うなよ。って云っても最近非常事態が多いんだが」
なんか二人で会話してるし。わたしを無視するとか上等じゃない。なんかおいて行かれてるみたいで不愉快だ。ニーナちゃんは悪くない。可愛いから。問題はポチだ、ポチ。あんたはわたしを助けに来たんじゃないの? なんでわたしを放置してんのよ。寒いところわざわざ出て来てやったのに。失礼しちゃう。
「麗美香、訊きたい事はたくさんあるけど、こんな時間だ。今度ゆっくり訊かせてもらうとして、取り敢えず問題は解決したのか?」
「あ、ああ、うん。大丈夫、たぶん。後は、ハロウィン女が何とかするみたい」
ちょっとぉお、急に話をふらないでよ。びっくりして、ついうっかり素直に返事しちゃったじゃない。驚き過ぎたせいで心臓バクバクいってるし。
「そっか。一件落着だな」
うんにゃぁ、本当は問題はこれからだと思う。爺様はタマを狙った。それは間違いない。わたしがタマを使っていろいろと探らせてたせいだ。それが爺様の秘密に触れそうになったんだ。ハロウィン女がタマを元に戻したところでそれが無くなる訳じゃない。また別の方法で狙われるに違いない。
それにアイツは爺様を殺るような事云ってた。つまりは、アイツは爺様の味方という訳じゃなかったんだ。
アイツがこれからどうなるか知らないけど、爺様を殺らなければならない理由があるって事だ。
タマを護るのはわたしの責任だ。腹括るしかないよね。それにもうポチを巻き込めない。さすがに、この先は……
「どうした? 麗美香。眠いのか? 早く戻って寝た方がいいぞ。」
「ふぇ?」
なに、なに? あ、わたし、考え事してたのか。凄い変な声出しちゃったじゃないの。
「ポチこそ早くニーナちゃん連れて帰りなさいよ。女子寮に不審者が居るって通報するわよ」
「へいへい。じゃ、帰るわ。またな、麗美香」
ニーナちゃんを後ろに乗っけて自転車がゆっくりと去って行く。それが視えなくなるまで見送った。ニーナちゃんが自転車の上から手をずっと振ってくれていた。なんでそんな事がこんなにも嬉しく感じるのだろう。
ねぇポチ、今度会えたら、そのときはちゃんとお礼を云うからね……
※※ ※※ ※※ ※※
「これは一体どういう事ですの?」
アストラル体の依代を次々に乗り換える謎の人物、便宜上ここではAとすると、Aを本体に戻す為彼女が移り換わった対象を順に遡ってきた。そして最後に辿り着いたのが、この岩だった。岩から伝わる感覚からここに長い間、そう10年近く岩の中にAは居たであろう事が解った。
「しかしながら、この岩が貴方の本体……という訳ではありませんよね」
微かに岩から次の対象へ延びている移り変わりの形跡があるが、それは途中でぷつりと切れている。
これではまるで死人ではありませんか。
「あぁ、もうわたしはぁ、人間じぁねぇってこった。わたしの身体はもう何年も前に火葬されたってよ。お爺様が云ってたわ。どうするよ? おめえ。わたしを灰に戻すかい? あー、もうそれでいいやぁ。ずっとこの岩でまた過ごすのかと思うとなぁ。どうせまた、さっきみたいにわたしを外に出れなくすんだろ?」
「こうなってしまってはもう、わたくし個人で判断して良い次元を超えています。貴方の処分は専門部署にお願いする事にします」
身体から抜けたアストラル体が、そのまま生き続けているなんて、聞いた事ありません。この事象は一体何なんでしょうか?
わたくしが全てを知り尽くしているとは思っていませんが、それでも多くの事象は心得ているつもりでしたのに。
まだまだ修行が足りないという事ですね。
Aの処分は専門部署の連中に任せるとしても、この謎の事象を目の当たりにしては捨て置けませんね。大魔術師メイ・シャルマールの名に掛けて。
「貴方の処分が決まる前に、ひとつお願いがあるのですが、よろしければ、貴方自身に関わる詳しいお話を聞かせて下さいませんでしょうか? このメイ・シャルマール、悪い様にはいたしません」
「てめぇ、この期に及んで何のつもりだぁ?」
「いえ、実は貴方の魂から、苦しみや怒りの他に、深い深い喪失を感じたものですから」