第四十六話『There Will Be Hell to Pay』
怪物は跳躍し、俺たちの方に向かって来た。
人の心理状態、特に極限状態のときは、たとえば、交通事故とかで車が自分の方へ向かって来る時ってきっと、こんな風にスローモーションに見えるんだろうな。なんてことを思った。きっとそれは、実際にはコンマ何秒とかの出来事だったことだろう。
身体は、そんな思考とは別に、抱えていた麗美香を庇うために、とっさに怪物に背を向けた。
ドンッ
背を向けたその方向で、空気が振動する音が聴こえた。
遠くで、どしゃっと何かが、落下する音。
振り返ると、後ろに怪物の姿は無かった。
俺の耳元で、麗美香が左腕を突き出していた。
「麗美香、おまえ」
「よかった……。まだ、一発撃てた」
念力で吹っ飛ばしたのか。
吹っ飛んだ怪物を見ると、とりもちに捕まって藻掻いていた。
「あのね……わたし……だれかに庇ってもらうの初めて。えへへ、嬉しいもんだね……ありがとね。ポチ」
そう言うと、麗美香は抱きついてきた。
おいおい、ちょっとまて、おまえ。
「何やってんだよ。おい」
麗美香からの返事はなく、首に巻かれていた彼女の腕が離れ、力無くだらりと下がった。
え?
「おい。麗美香? どうした」
麗美香は全身の力が無くなったのか、身体がだらりとしなった。
「そいつをすぐに降ろして寝かせろ!」
nullさんの指示に従い、麗美香をそっと降ろす。
nullさんは、麗美香の状態を素早く確認した。
「心肺停止だ! 急げ!」
nullさんは告げた。
「ニーナ! AEDを取って来い!」
「AED?!」
「アルファベットで書いてある! 行け!」
ニーナは、何がなんだかわからないながらも、声の強さに気圧されて扉の向こうへ走って行った。
nullさんはしばらく心臓マッサージをしていたが
「わたしでは軽過ぎて駄目だ。おまえ代われ」
「え? 俺?」
「なにを躊躇している! こんなときは、後の事を考えるな!」
nullさんの言葉に身体が反射的に動き、俺は麗美香に心臓マッサージを始めた。
そうだ、遠慮なんかしている場合じゃない。麗美香の生死に係わる。念力を使い過ぎたんだ。心臓に負担が掛かるって、こいつは言ってたじゃないか。
しばらく胸を両手で押していたが、変化がない。
「ダメだなこれは。よし、おまえ、人工呼吸しろ」
「や、それはnullさん、お願いします」
nullさんは、空気銃に弾を込めてボルトをセットしていた。
「じゃあ、おまえがあいつと闘うのか?」
nullさんが、指差す方向に、また一体の怪物が出現していた。
「悪いが、わたしは、おまえに背中を預ける勇気はないぞ?」
そう言って意地悪く笑い、胸のあたりをゴソゴソしていた。
そして、胸からボールのようなものを取り出した。
「念のため、巨乳にしておいて正解だった」
胸にあんな物を詰めてたのか。
「感心している場合か! さっさとやれ!」
ああ、もう、初キスが、こんな形で、こいつとかよ。
とはいえ、こいつの命が掛かっている。やるしかない!
こうなったら、ちゃんと目を覚ましやがれよ、てめえ。このまま死ぬなんて許さねえぞ!
※※※
耕一が麗美香に人工呼吸しているその背後で、nullは怪物と向き合っていた。
「この巨乳は、ただの巨乳じゃないんだぜ」
怪物の様子を見る。怪物は、慎重にnullの出方を窺っている。
「五秒というところか」
胸から取り出したボールのタイマーを、五秒にセットしてスイッチを押す。
直接ヤツに投げ付ければ、とっさに避けるだろう。
そこでヤツにボールをよく見せた上で、ふわっと山なりに、上に投げればどうだ?
ついつい、眼で追ってしまうだろう。
nullはそう考え、警戒している怪物にボールを見せつける。
その上で、そのボールを山なりに怪物に向けて投げる。
怪物は、nullの狙い通り、そのボールを眼で追った。
スイッチを押してから五秒後、ちょうど怪物が目で追っているタイミングで発動する。
「こっちを見るなよ!」
耕一に声を掛け、nullも腕で眼を隠す。
投げたボールが破裂し、辺りが強い光に包まれる。
閃光弾だ。
目を塞いでいても強い光が広がっているのを感じる。
十秒ほど数えてから、nullは眼を開ける。
怪物は眼を抑えて、グググと呻いていた。
「よし、一応効いたようだな」
できれば、よろめいて欲しかったが、それは贅沢というものだ。
nullは胸から、二つ目のボールを取り出し、怪物の足元に投げる。
ボールは上手く怪物の足元に落ちて、とりもちにくっつきピタっと止まる。
nullは空気銃を構え、慎重にボールに狙いを定める。
パシュッ
放たれた弾は、ボールに当たり、ボールは激しい音を立てて爆発した。
怪物は、その音に驚き、跳び上がった。
「ふふふ、破壊力は無いが、花火玉だ。びっくりしただろう?」
怪物は、しばらく呆然としていたが、やがて正気を取り戻し、後退ろうとしたが、動けなくなっていた。
nullの計画どおり、怪物は爆音に驚いて、後ろのとりもちを踏んでいた。
怪物はギィギイと呻いて暴れていた。
「こっちは、とりあえずは片付けた。そっちはどうだ?」
nullは、耕一に声を掛ける。
「はい。なんとか呼吸が戻りました。たぶん大丈夫だと思います」
ハロウィン仕様の方はどうだろうかと思い、彼女の方を見上げた。
ハロウィン仕様は、nullの視線に気がつき、ゆっくりと振り返って親指を立てた。
「やれやれ。これで一段落だな。
しかし、このあと難儀なのは、わたしの方だな。
おい! 後は、任せたぞ」
扉の方へ歩きながら、nullは耕一に声を掛ける。
「え? nullさんどこ行くんですか?」
nullは振り返り、
「なにやら、わたしを嗅ぎ回っている奴等が居るようなのでな。早々に退散するよ。じゃあな」
屋上には、学校側の隠しカメラが数台設置されている。今回は、確実にnullの姿を捉えたはずだ。nullはそれに気がついた。
「おまえたちも、早くここから出ろ。それから、今回の件は、全部、学校側には筒抜けだからな。そのつもりで、後を処理しろよ」
「処理って、何をどう?」
「ちょうどいいやつが、二人ほどいるじゃないか。学校側のパイプになりそうな奴が。ふふふ」
nullは、そう言って振り返らず、屋上を後にした。
「そう。上手く処理してくれよ。お二人さん」




