第三十四話 『失踪』
「ニーナ、おまえは、その箒を構えてヤツに突っ込め」
nullが何を言ってるのか、ニーナには理解できなかった。
彼女は手にした箒を見て、これは清掃するための道具だと、どこかで読んだことを思い出す。しかしもしかして、自分の知らない何か特別な効果があるのだろうかと思い悩む。
「この箒っていうもので、アイツを倒せるの?」
「ん? あっははは。まさか。それで倒せるなら、是非見てみたいものだ」
nullは、そう言って、お腹を抱えて笑い出した。
ニーナに少し殺意が湧いた。
「いやあ、すまんすまん。ぶふっ。そいつは、フェイクだよ」
「フェイクってなんでしたっけ?」
「ああ、騙しだよ。ヤツに向かって、こう突き刺すように構えて突っ込むんだ。ヤツは、きっとこいつと勘違いしてくれるだろう。痛い目を見たんだ。ヤツの記憶にしっかりと残っているだろうよ」
nullは、手にした空気銃を目の前で揺らす。
「ヤツの知能は、程々に高そうだから、きっと引っかかるはずだ」
本当にそうだろうか? ニーナの疑念は晴れなかった。彼女の記憶にある屍魔の凶暴さから、そんな簡単な相手とはとても思えなかった。
「ああ、死ぬ気で行けよ。どうせ死ぬつもりだったんだろ?」
そう言って、nullは口を半月状に歪めていやらしく笑う。
ニーナはさらに殺意が湧いた。
「私は、犬死にするつもりはありません!」
殺意のあまり、ニーナの口調がきつくなる。言ってしまってから少し反省したが、すぐにしょうがないと自分を正当化する。なぜならば、nullが自分を怒らせたからだ。
「ああ、わかっているさ。ちゃんと、とどめはおまえに刺さしてやるさ。だから、言う通りにしろ」
nullの眼が、鋭い光を放ちニーナを見た。
「いいか、今から言う事が一番重要だ。そこに総てが掛かっている。そして、もし失敗したら、なにがあっても私に構うな。そのときは、おまえの最初の計画通りにやれ」
◇◇◇
ニーナは本気で突き刺すつもりで、奴に向かって突っ込んでいった。
彼女にとって屍魔は、マルニィの仇。そして、国民すべての……
屍魔はnullの予想通り、上に飛び上がって避けた。
ニーナはnullの凄さに驚嘆する。nullはわずかの時間、屍魔に接しただけなのに、奴の行動パターンを予想し、奴の特徴をその跳躍力だと見抜いたということに。
(奴が避けたら、そのまま前に進んで転べ。そして、箒をヤツに見えるように遠くへ手放せ。そして……)
突撃を躱された状態で、廊下に横転し、箒を遠くへ手放した。
そして、ポケットに手を突っ込み石を掴む。
奴の方を見る。
奴は身を屈めて、今にもこっちに飛び掛かって来ようとしていた。
ニーナは、nullを信じて奴に突っ込んだ。
パシュッ!
いつのまにか奴の背後に忍び寄っていたnullが、奴の背中に弾を撃ち込んだ。
弾が奴の体内で弾け、奴の身体は弓反りになって硬直した。
「破裂する特別性の弾だ。存分に味わうがいい」
その隙に、ニーナは両手に持った二つの石をガッチリと合わせ、奴の身体に埋め込むように引っ付けた。粘液状になっている奴の身体は、そのまま石を飲み込んだ。爆発までどのぐらい時間があるのか? 彼女は、この石を実際に使うのは初めてなのでわからなかった。
「nullさん、OKです! 退避してください!」
ニーナは急いで手を引き抜いて、教室の窓ガラスを割って室内に飛び込み、壁を盾にして這いつくばった。
◇◇◇
総て計算通りに進んでいた。
ニーナも、うまくやった。
爆発までの時間が正確にわからないのが問題だが、贅沢は言っていられない。
後は、nullが窓をぶち破って室内に飛び込むだけだった。
ズキンッ
nullの頭に強い痛みが走る。
「まったく今日は、厄日だ。自分の体調を見誤るとは……予想以上に、わたしの身体はやられちまってたらしい」
廊下が、nullの眼の前に迫って来ていた。
「そうか。わたしは今、倒れているのだな」
そんな事を、nullはぼんやりと考えていた。
倒れる衝撃に備え、心の準備をしていたが、身体が急に浮き上がった。
爆風?
いや、しかし、爆音は聴こえない。
「ははは。さては、耳までイカれちまったか」
身体はさらに浮き上がり、窓を破ってnullの身体は室内に転がった。
その刹那、爆音が響き、室内が震動した。
壁が崩れる様な轟音が聴こえ、耳がキーンとなる。
埃が舞い、砕けたコンクリートやらガラスやらが、身体にバチバチと当たるのを、nullは感じた。
爆風が渦巻き、nullのショートカットの髪をいいように弄んでいた。
爆音の衝撃で、nullは意識がはっきりとしてくるのを感じる。
それでなにが起こったのか気がついた。そう、あいつが来たのだと。
「ふっ、おまえか。邪魔するなと言ったはずだぞ」
よっぽど急いだのか、耕一の息が上がっている。
「それが、恩人に云う第一声ですか?」
「ほんとに、ばかなやつだ。ひとつ間違えれば、おまえも一緒にあの世逝きだったんだぞ」
「でも、間に合いました」
「たまたまだ。つぎも同じようにできると思うなよ」
nullは得体のしれない不愉快さに襲われる。自分でもなにが不愉快なのかわからない。とにかく腹が立って仕方がなかった。耕一の飄々としいてる表情が特に気にいらなかった。少しでもいじめてやらないと気が済まなくなる。
「それで? いつまでわたしに抱きついているつもりなんだ?」
「えっ?」
「まあ、命を助けられたので、礼代わりに少しぐらい抱きしめさせてやってもいいとは思っていたが、そろそろ離してもらえるかな?」
「ちょっ、nullさん、なに言ってんですか?!」
「なにをそんなに狼狽えている? ふふふ、わたしは、女じゃないと言った覚えはないぞ」
「うはぁ……もうなんでもいいです。考えたくない」
nullは、耕一の様子をみて、ふんっと鼻を鳴らし、少しは気が晴れたようだ。
耕一は、ぶつぶつ言いながらnullの身体を解放した。
「おっと、ばかなことをやっている場合ではなかったな」
nullは起き上がると屍魔の状態を確認するため、そっと廊下を覗く。屍魔の残骸らしきものが、廊下一面に飛び散っていた。
「おい、ニーナ。生きてるか?」
隣の教室に向かって声を掛けた。遠くでニーナの声がした。
良かった。生きていたかと、nullは心底安堵した。
「ニーナ、これであいつを倒したんだよな?」
「たぶん」
ニーナにしても屍魔を倒すのは初めての経験であり、これで始末できたのかどうか確証はなかった。
「よし、ではすぐ逃げるぞ」
「え? 奴は倒したんじゃないんですか?」
「ばか、奴じゃない。これだけの騒ぎを起こしたんだ。すぐに学校関係者がここに来るぞ。このままここにいると、いろいろと面倒だろう?」
耕一はnullの言葉に納得した。何があったのかの説明をするには、ニーナのことやnullの事で話せる事がない。たしかに厄介であった。
「おまえは、ニーナのところへ行ってやれ。ここに来ないところを見ると、腰でも抜かしているのだろう」
「あ、はい。すぐ戻りますので、待っていてください」
そう言って、耕一は慌ててニーナの元へ駆けていった。
「あんまり無理するんじゃないぞ。わたしは、おまえを気に入っているんだ。いつも、わたしが世話できるわけじゃないんだからな」
nullは、耕一に向かって聞こえないように呟くのだった。
◇◇◇
nullさんの言った通り、ニーナは腰を抜かして動けないでいた。
「ほら、ニーナ、捕まれ」
そう言って手を差し出す。
ニーナは躊躇ったが、俺が強く頷くと決心したようで、手を握り返してきた。その手はとても冷たくなっていた。
転ばないように、慎重にニーナの手を引く。ふらっとよろけたので、もう片方の手でニーナの腰を支えた。
「あ、の、コーイチ。大丈夫だから……」
「あ、俺の方こそ、なんかごめん」
咄嗟の事とはいえ、女の子の腰に手を回してしまった。慌てて手を離す。ニーナは恥ずかしそうに顔を赤らめて後ろを向いてしまった。
そんな姿を見たら、こっちまで恥ずかしくなってくる。
「行こう。nullさんが待ってる」
恥ずかしさを誤魔化すために、nullさんが待つ隣の教室へと向かう。
ニーナと一緒に、nullさんのところに戻って来ると
もうそこには、nullさんの姿はなかった。




