第十六話:笑顔を捨てた日に灯る光
「このグズ!使えないわね!」
「喋れないならいいか」
ある日の夜中、息苦しくなった私は目を覚ました。
(……またこの夢だ)
私が物心ついた時には、すでに声が出なかった。
耳は聞こえていたのが唯一の救いであり、より心を傷つける事でもある。
周囲の聞きたくない音が、すべてが耳から入ってくるからだ。
最初の記憶は、ある孤児院だった。
「あら……ショックで声が出ないのね。可哀想に」
当初、私を見る周囲の目は憐れみに満ちていた。
気を使ったような優しい話し方。
しかし、数か月も経てばその顔も言葉も変わっていった。
私を慈しむ対象ではなく、ただの「手間の掛かる荷物」として見るようになる。
「この欠落品お返ししますわ。全然笑わないし、可愛くありませんの」
私は、また里親から返品された。
何度繰り返しただろう。新しい家族の元へ行くと、最初は歓迎される。
けど、幸運が舞い込んだかと思えば……。すぐに里親たちから私を厄介者として扱われてしまう。
「ルル。次、返品されたら別の孤児院へ移動させますから。
ちゃんと気に入られるように振る舞いなさいよ」
施設のシスターに言われた私は、恐怖と緊張が駆け巡っていた。
そんな日々の中で、私は一つの防衛術を身につける。
施設で愛されている子は皆、明るくて笑っている……。
(悲しい時こそ、あの子達みたいに笑うのよ。)
そうすれば大人は、厄介な私を「愛らしい何か」だと錯覚してくれるかもしれない。
これから、またどんなに罵倒されても、突き飛ばされても、私は必死に口角を引き上げようと決意した……。
けど、それは逆効果だった。
ある日、荷物持ちとして私と一緒に街へ出た里親は
私の歪な笑顔を見て引きつった声を上げた。
「笑わないでちょうだい!喋れないくせに!気持ち悪い!」
その言葉と共に、顔面に強烈な衝撃が走った。視界が揺れ、地面に叩きつけられる。
その時、私は「笑顔」も、そして「誰かに愛されるための術」もすべて捨てた。
(……もう、笑わない。誰の機嫌もとらない。私なんて、いてもいなくても同じ)
「そこまでじゃ!あんた、何をしておる」
私は声の方を見たが、涙で良く見えない。
(誰……だろう。ほっぺたがジンジン痛いよ…‥。)
「ただの躾ですわ!奉公人に何してもいいでしょう?」
「ほう。暴力や殺してもかまわないと?身なりは綺麗なのに、心はボロボロじゃのう……」
「なっ!失礼ね!!あなた誰なのよ!!」
里親が大きい声を出しているのを聞いて、ビクビク体が震える私。
(おじいちゃんも、ぶたれちゃうかも……。)
「ワシか?ホークス。ピアッセ・ホークスじゃ」
「……!?七賢人の……。ホークス様……。もっ申し訳ございません」
「その子が要らぬなら、ワシが育てる。どうじゃ?」
「魔力なしで、口もきけない小娘ですよ?
いくら何でも、七賢人様のようなご身分の方が一緒に暮らすような人間では――」
「だまれ!!心が卑しい者よ。石にされたいのか?!」
大きな杖で地面を叩いたおじいちゃんは、私の前でしゃがみ込んだ。
「どうする?ワシと暮らすか?」
私は、首を縦に頷いた。
「……随分と、酷い顔をしておるな。まずは傷の手当じゃ。おいで」
この人の手を取ったあの日から、私の世界が初めて始まった。
彼は私を自分の屋敷へ連れ帰った。そこは、本と薬草の香りがする場所。
虹色に光るランプ、鍋をかき回し続ける不思議木の棒、
キラキラと空中に漂う光っている葉っぱや、透明な花たち。
私は暫くの間、この美しく不思議な空間に目が釘付けになった。
「ほれ。ちょっと染みるかもするかもしれないが……」
ホークスはルルの頬に薬草を塗った布を張り付けた。
(緑の良い匂いがする……スースーして気持ちがいいな)
「明日には腫れも引くじゃろ。魔法で何でも解決するのは、ワシはあまり好きじゃないのだ。
自然の理を壊したくはないからのう。傷もまた、生きてる証じゃ」
少し悲しそうな顔をしたおじいちゃんの横顔を私は見つめていた。
それからホークスおじいちゃんと私の生活は始まる。
最初のうちは、私は怯えていた。またすぐに捨てられるのではないか。
何かを期待され、それに応えられなくて殴られるのではないか。
だから私は、静かに過ごすしかなかった。
おじいちゃんは、そんな私に少しずつ穏やかに接してくれている。
午前中は、薬作りや本を読み、たまに料理を教えてくれて。
午後は、森で魔法の実験をした後、私に字を教えてくれた。
ある日、私は思い切ってスケッチブックにおじいちゃんの顔を描いた。
「……ほう、これはワシか?なかなか上手いではないか。ルル、そなたは器用だな」
温かい優しい手が頭に置かれる。
笑えなくなってしまった私の冷たい心は、少しずつポカポカと温まれていった。
そして初めての誕生日に、魔法のスケッチブックとペンを貰ったのだ。
【ありがとう。うれしい】
このスケッチブックに初めて書いた文字と、微笑んだホークスおじいちゃんの顔を今でも私は覚えている。
後に知ったことだが、彼は世界を揺るがすような「七賢人」の一人だったらしい。
でも、私の前では魔法と本を愛する優しいおじいちゃんでしかなかった。
そんなある日の夜。
「ルル、お前は笑う必要はない。生きているだけで、どんな高級な魔道具や宝石よりも計り知れない価値がある。
ワシが一番、そなたの優しい心を知っておるからな」
その言葉を聞いた私は初めて、人前で泣いた。
声は出なかった。けれど、頬を伝う熱い涙を、おじいちゃんはそっと拭ってくれた。
「決して、そなたは欠落品などではない。かけがえのない私の家族だ」
おじいちゃんは、魔法の基礎から、生きるための知恵、そして他人の悪意をかわす術までゆっくりと教えてくれた。
誰かに媚びるためではなく、私自身として生きるための強さを授けてくれた。
おじいちゃんと過ごした時間は、私の人生の中で、唯一「自分が生きていていいのだ」と心から思えた幸福な時間。
そんな幸せで穏やかな日が続いた時、別れは唐突に訪れた。
老いの影は、賢人であっても避けることはできない。
おじいちゃんは、自分が最期を迎えることを悟っていたようだった。
「ワシが逝ったら、そなたは一人になる。……だが、一人で生きる術はもう教えたつもりだ。
そなたなら、どこへ行っても必ず居場所を見つけられるじゃろう。
大丈夫じゃ、空からワシがずっと見守っておるから」
おじいちゃんはそう言い終わると、お空へと飛んで行ってしまった。
私はその後、すぐには屋敷から出ようと思えなかった。
悲しみで押しつぶされそうになっても、泣きはしなかった。
おじいちゃんが教えてくれた強さを、私は自分の中に灯火として守り続けていたいからだ。
(このままじゃ、ダメだ。せっかくおじいちゃんが
生きていく為に教えてくれた事が、無駄になってしまうもの)
数か月経った後。
私は屋敷を離れ、旅に出た。誰の顔色も窺わず、ただ自分の足で歩くために。
旅の途中で、私はいくつかの場所を転々とした。どこへ行っても、
過去のように虐げられることは無くなっていた。
おじいちゃんが授けてくれた「私自身として立つ」という意志が、周囲の態度を変えさせたのだと思う。
言葉は出なかった。でも、私は、誰にも屈さなかった。そして、今の施設に辿り着いた。
◇
今、私はこの場所でチーフとして働いている。
この場所に居る英雄たちは、私が笑わなくても、声が出なくても
私を、一人の人間として大切にしてくれる。
ここは、自分の足で見つけた、誰にも譲れない私の居場所。
窓からは、もう朝焼けの光が差し込んできた。
(そろそろ、朝の準備をしなくちゃ)
口角を上げることは、まだ少しだけ怖い。
でも、私の心の中では……。あのおじいちゃんの優しい温もりが、
冷えることのない灯火のように燃え続けている気がしている。
私はスケッチブックに繋がれた紐を頭から被り。
おじいちゃんから貰った時の感触を確かめるようにページをめくった
【今日のご飯はハムエッグ】
今日の献立を書き終わると、ドタバタと大きな足音が聞こえてきた。
ドンドンドン!!
「チーフ!大変です!裏庭にすぐ来てください!!」
ロイドの悲痛な叫び声がドアの外で聞こえてくる
(また、何かあったんだろうな……)
私は裏庭へ走りながら、少しだけ口角が上がった気がした。
(今度は、どんな面白い事がおきるんだろう)
私はもう、一人じゃない。
この場所で、おじいちゃんがくれた強さを抱きしめて、私はこれからも生きていく。
たとえ言葉がなくても、私の心はここで、確かに笑っているのだから。




