プロローグ:記憶を巻き戻りし者達と私
カツ、カツ。と静かな廊下に靴音が響く。
ここは、かつて世界を幾度も救いし者。あるいは世界中を恐怖のどん底に陥れた者。
あまりに強大すぎる力を持つ者たちが集う場所。
現役を引退し、歴史の表舞台から消え去った彼らが……。
人知れず最期の日々を過ごすための施設である。
一般の人間は、ここを敬意を込めてこう呼ぶ。
――『記憶を巻き戻りし者達が集まる園』と……。
重厚な黒檀の扉を開け、その最奥の部屋へと足を踏み入れる。
そこには、世界のパワーバランスをひっくり返せるほどの超大物たちが、一堂に集まっていた。
「ぐぬううぅ……!魔王軍の気配がするぞ……!どこだ、どこに隠れた、卑劣な魔族どもめ……出てこい!」
禍々しいオーラを放つ神剣を抜き放ち、眼光を鋭く光らせているのは
かつて人類を滅亡の危機から救った伝説の『剣聖』フォード(82)。
「ふはははは!我が黒炎の前にひれ伏すがいい!愚かな人類どもよ、塵となって消え去るがいいわーっ!」
漆黒の魔力を指先に集め、国家を消滅させられる禁忌魔法の詠唱を始めているのは、
かつて世界を震撼させた元・魔王軍幹部の『大魔導士』ユグシル(790)。
部屋の空気は、彼らの放つ圧倒的な魔力と威圧でビリビリと震えていた。
まさに一触即発。誰かが一歩でも動けば、この建物ごと半径数キロメートルが消し飛ぶのは確実な文字通りの世紀末空間が漂っていた。
そんな絶望的な状況のなか、部屋の真ん中へとトコトコと歩み出る一人の少女がいた。
年齢11歳。小柄で華奢、一つに結んだ水色の長い髪。
お世辞にも強そうには見えない。
ただ、その手には一冊の大きな「スケッチブック」がしっかりと抱えられていた。
少女ルルは、荒れ狂う伝説の英雄たちの威圧を「真顔」で受け流しながら
懐から太いマジックペンを取り出した。
サラサラと迷いのない手つきでスケッチブックに文字を書き綴る。
それを全員に見えるように、バッと力強く掲げた。
【ケンカだめ!おやつは1人1個まで】
その瞬間、その場にいた者の全員が凍りついた。
「ハッ……!し、承知いたしました、マスター!!」
さっきまで魔王軍を探して暴れ狂っていたはずの伝説の『剣聖』が、ボロボロと涙を流しながら、神剣を床に放り投げて直立不動の敬礼を捧げた。
「ひ、ひぃぃっ……!す、すまぬ、マスター!決して反逆の意図はなかったのだ、どうか、どうかおやつを抜きにするのだけはご勘弁を……!」
国家を滅ぼす禁忌魔法を唱えていた『大魔導士』は、指先の魔力を口でフーフーと大慌てで吹き消し
その場にガタガタと正座して平伏した。
部屋の隅で、結界魔法を張りながらガクガクと震えていた同僚の青年ロイドが、灰のような顔で呟く。
「ま、マスター……。やっぱりこの人は、あのバケモノたちを紙切れ一枚で支配する、本当の裏の支配者なんだ……!」
そんな同僚の視線を浴びながら、アルマはスケッチブックのページをパッと、めくり……。
心の中で深くため息をついた。
(いや……ただのケアセンター(職場)なんだけど。
みんな『記憶のタイムスリップ』が激しくて、現役時代に巻き戻っちゃってるだけ。
おやつを取り合って2個食べようとするから怒ってるだけなんだけど……。)
(まぁ、住み込みだし、給料高いから……いっか)
――時計の針を、ほんの少し巻き戻そう。
少女がこの世界の「マスター」と呼ばれるようになった事の始まりと、過去の偉人達との生活を……。
それは、ほんの数ヶ月前、面接官に「かわいいから採用!」と言われた、あの日から始まったのである。




