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魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら?→A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】の各話一覧  作者: Koh


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第2話 才無し侯爵令嬢の朝

 朝五時。


 まだ夜が明けきっていない。窓の外は薄い灰色の空。


 大きなベッドの中で、少女が眠っていた。布団から覗く顔は青白く、目の下に深いクマが刻まれている。

 髪は乱れたまま、枕に広がっていた。眉間に皺が寄っている。寝ていても、力が抜けきっていない。



 コンコン。


「お嬢様、お時間です」


 柔らかい声。ドアの向こうから。


 返事はない。


「お嬢様」


 もう一度呼んで、侯爵家メイドのローザは静かにドアを開けた。


 ベッドの上の少女⸻侯爵令嬢ピリカは、目を閉じたまま動かなかった。完全に眠っている。昨夜も遅くまで教科書を読んでいたのだろう。


 ローザはベッドの傍まで歩み寄って、そっとピリカの肩に触れた。


「お嬢様、朝ですよ」


「……ん……」


「五時です。起こしてほしいと仰っていましたので」


「…………ローザ……?」


 ピリカの目が、薄く開いた。ぼんやりとした瞳がローザを捉える。数秒、ここがどこかわからないような顔をして——それから、はっと目を見開いた。


 ——朝。起きないと。


 身体が重い。寝た気がしない。


「……起きる」


 ローザがカーテンに手をかけて、少しだけ開けた。早朝の薄い光がベッドに差し込む。


「……お嬢様」


 ローザがピリカの顔を見た。深いクマ。乾いた唇。疲労が、隠しようもなく滲んでいる。


「……お嬢様、今日は……」


「……ローザ」


 ピリカはゆっくり起き上がった。身体が重い。肩が痛い。昨日の訓練で、腕を上げすぎた。


「……起こしてくれて、ありがとう」


「……」


 ローザは何も言わなかった。ただ、胸が痛んだ。



 ピリカはベッドから降りた。


 視線が、机の上に吸い寄せられる。


 魔法の教科書。ページがぼろぼろになっている。角が丸くなり、何箇所もの折り目がついていた。何度も何度も開いた痕跡。


 詠唱の抑揚も、魔力の込め方も、イメージの作り方も。全部暗記している。目を瞑っても諳んじられる。


 ——でも、発動しない。


 魔力量が足りないことは、わかっている。わかっているけど——それでも、何か見落としていることがあるんじゃないか。詠唱の呼吸の間合いとか、魔力を込めるタイミングとか。少しでもヒントがあるなら、見つけたい。


 教科書を開いた。朝の薄い光の中で、ページを目で追う。ローザが着替えを準備している間も、目は活字から離れなかった。


「お嬢様」


「……?」


「……朝食、召し上がってからの方が……」


「……ありがとう。でも、朝食の前に少しでもやれることをしたいの」


「……承知しました」


 ローザはなにも言わなかった。お嬢様の邪魔はしたくない。


 代わりに、サイドテーブルからカップを取り上げた。ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒー。あらかじめ用意してあったものだ。


「……せめて、これだけでも」


 ピリカは教科書から目を上げた。カップを受け取って、一口飲んだ。甘くて、温かい。


「……ローザ、いつもありがとうね」


「……いいえ」



 ローザがピリカの着替えを手伝った。学園の制服。白いブラウスに、深い青のブレザーとスカート。


 鏡の前に座って、ローザが髪を梳く。絡まった毛先を丁寧にほぐしていく。


「お嬢様」


「……?」


「今日も、学園の後、いつもの空き地で?」


「……うん」


「……ローザ、心配してくれてありがとう」


 ピリカは鏡越しにローザに微笑んだ。疲れた顔。でも、温かい笑み。


「でも、一ヶ月後が試験なの。時間がないの」


「……はい」


 ローザはそれ以上何も言わなかった。



 ピリカが食堂に入ると、兄——アーサーがもう席についていた。


 父と母は、それぞれ仕事で朝早くに出ている。大きなテーブルに、兄と妹の二人。屋敷のメイドが傍に控えている。


 アーサーは新聞から目を上げて、ピリカを見た。


「……おはよう」


「おはよう、お兄様」


 ピリカは向かいの椅子に座った。ローザがスープを運んでくる。温かい湯気が立ち上った。


 しばらく、静かに食事をした。スプーンがスープ皿に当たる音だけが響く。


「ピリカ」


「……はい?」


 アーサーが新聞を畳んだ。


「お前、一ヶ月後が期末の魔法実技試験だろ……?」


「……」


「……大丈夫か?」


 ピリカはスプーンを止めた。一拍、間があった。


「……なんとか」


「……」


「なんとか、します」


 声は、小さかった。


 アーサーはしばらくピリカを見つめていた。それから、視線を落とした。


「……何か手伝えることがあったら、言えよ」


「……うん。ありがとう、お兄様」


 ピリカは微笑んだ。いつもの、疲れた笑み。



 期末の魔法実技試験。一ヶ月後。


 基礎魔法——ファイアボールを発動できなければ、落第。


 この試験は、魔法使いとしてやっていけない生徒に対して、早めに別の道を探した方がよいという学校側の温情だった。ほとんどの生徒にとっては、全く何の心配もない通過儀礼にすぎない。


 だが、ピリカにとっては違う。


 侯爵家の令嬢が、魔法の基礎試験で落第する。それは「才能がない」だけでは済まない。ベルフォード侯爵家の名に傷がつく。貴族としての体面が、根底から崩れる。


 ピリカはそれをわかっていた。アーサーもわかっていた。


 だから、二人とも——それ以上は、何も言わなかった。



 食事を終えて、ピリカは玄関に向かった。


 学園の鞄を肩にかけて、靴を履く。ローザが玄関で見送る。


「お嬢様、お気をつけて」


「……行ってきます」


 ピリカは扉を開けた。朝の冷たい空気が頬に触れる。


 振り返らずに、歩き出した。


 小さな背中が、朝霧の中に消えていく。



 ローザは玄関に立ったまま、ピリカの姿が見えなくなるまで見送っていた。


 それから、静かに扉を閉めた。


「……お嬢様」


 誰にも聞こえない声で、呟いた。


「……どうか」


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