第五話
――ガリ、ガリ、ガリ。
爪みたいな音だった。
金属を引っ掻く、
耳障りな音。
屋上扉の向こう。
何かがいる。
トワの喉が強張る。
「……何、あれ。」
レンは答えない。
ただ、
扉を見つめている。
その横顔から、
さっきまでの気怠さが完全に消えていた。
ユラが震える。
『イヤ……。
クサイ……。』
腐ったみたいな臭気が、
風に混じり始める。
同時に、
トワには見えていた。
校舎中の魂の色が、
少しずつ“削れて”いる。
赤黒く濁り、
輪郭が崩れていく。
まるで、
何かに喰われているみたいに。
ガンッ!!
突然、
屋上扉が大きく揺れた。
トワが肩を震わせる。
内側からじゃない。
外側から。
何かが、
扉へ身体を叩きつけている。
ガンッ!!
ガンッ!!
金属が歪む。
「……っ!」
トワは後退る。
レンだけが動かない。
「神崎。」
低い声。
「今から俺が何しても、
驚かないで。」
「は……?」
次の瞬間。
扉が吹き飛んだ。
轟音。
冷たい風。
そして。
“それ”が、
四つん這いで屋上へ這い出てきた。
人間だった。
いや、
元は人間だった。
制服姿の男子生徒。
だが身体は異様に痩せ細り、
皮膚の下が黒く脈打っている。
顔の半分が、
影みたいに崩れていた。
そして何より。
魂がない。
空白。
完全な。
「……ぁ……」
喉を鳴らしながら、
生徒だったものが顔を上げる。
目が合った瞬間。
トワの頭へ、
激しいノイズが流れ込んだ。
死にたい。
苦しい。
寒い。
消えたい。
大量の感情。
大量の絶望。
「っ、ぁ……!」
頭を押さえるトワ。
ユラが必死に鳴く。
『トワ!』
その瞬間。
“それ”が、
異常な速度で飛びかかってきた。
黒い影。
裂けた口。
人間じゃない動き。
だが。
「邪魔。」
レンが前へ出る。
瞬間。
空気が凍った。
レンの周囲だけ、
世界の色が消える。
完全な無。
飛びかかってきた怪物が、
空中で止まった。
まるで、
見えない手に掴まれたみたいに。
「え……」
トワの目が見開かれる。
レンは怪物を見つめたまま、
静かに呟いた。
「うるさい。」
その瞬間。
怪物の身体が、
音もなく崩れた。
砂みたいに。
黒い粒子になって。
風に溶けるように、
消えていく。
静寂。
雨の匂いだけが残る。
トワは言葉を失った。
今、
何が起きた。
レンはゆっくり振り返る。
その目は、
人間のものに見えなかった。
暗い。
深い。
空っぽなのに、
どこまでも飲み込まれそうな瞳。
「……だから言ったのに。」
レンは困ったように笑う。
「俺、
普通じゃないよ。」




