第三十四話
空が割れていた。
いや。
世界そのものが裂けていた。
伏見の夜空を覆う巨大な裂け目。
その奥から。
黒い腕が伸びてくる。
山より大きい。
雲を掴むほど巨大な腕。
その存在だけで、
現実が軋んでいた。
木々が枯れる。
石畳が崩れる。
鳥居が砕ける。
存在しているだけで、
世界の法則が壊れていく。
「逃げろ!!」
レンが叫ぶ。
京都支部の隊員たちが避難を開始する。
カナメも結界維持へ走る。
だが。
トワは動けなかった。
巨大な腕の先。
その向こう。
世界の外側。
そこから視線を感じる。
冷たい。
無機質。
感情がない。
なのに。
強烈な敵意だけがある。
《異常生命確認》
頭の中へ直接響く。
《削除対象》
《対象名――》
沈黙。
そして。
初めて。
その存在が。
トワの本当の名前を呼んだ。
《シオン》
世界が止まる。
「……え。」
トワの呼吸が止まる。
シオン。
誰の名前だろう。
知らない。
聞いたこともない。
なのに。
胸が痛い。
ヨルが顔色を変える。
「だめだ。」
アマツも青ざめる。
ミコが唇を噛む。
レンだけが。
トワを見た。
悲しそうに。
「思い出すな。」
初めてだった。
レンが本気で止めようとしたのは。
「レン?」
「まだだ。」
だが。
遅かった。
トワの胸から。
白い光が溢れる。
今までとは違う。
神の子の力でもない。
新しい魂を生む力でもない。
もっと根源的な光。
世界が生まれる前から存在した光。
記憶が戻る。
暗闇。
ヨル。
自分。
二つの光。
名前などなかった。
けれど。
互いを呼ぶ言葉はあった。
ヨル。
そして。
シオン。
「……私。」
涙が流れる。
理解してしまった。
神崎トワは今の自分。
だが。
もっと昔。
世界が始まる前。
自分は。
シオンだった。
ヨルの隣にいた光。
最初の希望。
その瞬間。
巨大な存在が動いた。
《対象確認》
《完全一致》
《削除を再開する》
巨大な腕が振り下ろされる。
京都の山ごと消し飛ぶ。
その時。
ヨルが前へ出た。
「もう駄目だ。」
静かな声。
「また君を失う。」
何万年も前。
守れなかった。
だから。
今度こそ。
ヨルの身体から、
膨大な黒い光が溢れる。
夜そのもの。
孤独そのもの。
世界が震える。
アマツが叫ぶ。
「ヨル!」
ミコも気付く。
「やめて!!」
だが。
ヨルは微笑んだ。
初めて。
本当に穏やかな笑顔で。
「大丈夫。」
トワを見る。
「今は独りじゃないから。」
そして。
世界を覆うほどの黒い翼が広がった。
夜空を埋め尽くす。
最初の孤独。
最初の夜。
ヨルの本来の姿だった。
巨大な腕と。
ヨルの翼が激突する。
轟音。
京都全域が白く染まる。
誰も目を開けられない。
そして。
光の中心で。
トワは聞いた。
「シオン。」
ヨルの声。
「今度は一緒に戦おう。」




