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神籍のトワ  作者: 灯野 しおん
第三章 『ユラ』

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第三十二話

静寂だった。


 伏見の山道。


 黒い羽根が降り続いている。


 まるで雪みたいに。


 トワは少年を抱き支えていた。


 少年は驚いた顔のまま、

 トワを見つめている。


 赤い瞳。


 その奥にあるのは。


 敵意ではない。


 憎しみでもない。


 ただ。


 長い長い孤独だった。


「大丈夫?」


 トワが尋ねる。


 少年は答えない。


 代わりに。


 そっと手を伸ばした。


 トワの頬へ。


 触れる。


 震える指先。


「……本物。」


 掠れた声。


「夢じゃない。」


 トワの胸が締め付けられる。


 何千年。


 何万年。


 どれだけ独りだったら。


 こんな声になるのだろう。


 その時。


「神崎!」


 レンが駆け寄る。


 警戒している。


 だが。


 攻撃はしない。


 レンも分かっている。


 今の少年は。


 戦う相手じゃない。


 アマツが鳥居から降りてくる。


 金色の瞳が少年を見る。


 そして。


 静かに頭を下げた。


「久しぶり。」


 少年が振り向く。


「……アマツ。」


 その声に。


 ミコが息を呑む。


「知り合いなの?」


 トワが尋ねる。


 アマツは苦笑した。


「知り合いなんてもんじゃない。」


 夜風が吹く。


 黒い羽根が舞う。


「僕が生まれる前からいた。」


 全員が沈黙した。


「世界が始まる前。」


「魂が生まれる前。」


「神が神になる前。」


 アマツが続ける。


「ずっと一人だった存在。」


 少年は黙っている。


「だから。」


 アマツの声が少し悲しい。


「誰も名前を知らない。」


 トワは少年を見る。


 少年は俯いていた。


 名前がない。


 ミコと同じ。


 ヒカリと同じ。


 生まれる前の魂たちと同じ。


 その時。


 ヒカリが前へ出た。


「寂しかったよね。」


 少年が顔を上げる。


「え?」


「だって。」


 ヒカリは泣きそうな顔で笑う。


「私も少し分かるから。」


 ユラたちも頷く。


『ワカル。』


『サビシイノ。』


 少年の瞳が揺れる。


 トワはゆっくり立ち上がる。


 そして。


 少年の前へ座った。


「名前。」


 少年が瞬きをする。


「まだ無いんだよね。」


 小さく頷く。


「じゃあ。」


 トワは微笑んだ。


「付けてもいい?」


 世界が静かになる。


 レンも。


 ミコも。


 アマツも。


 誰も口を挟まない。


 少年は震える声で言った。


「……いいの?」


「うん。」


 長い沈黙。


 そして。


 トワの胸に。


 一つの名前が浮かぶ。


 夜を越える名前。


 孤独を終わらせる名前。


「ヨル。」


 少年の瞳が大きく開く。


「ヨル?」


「夜は暗いけど。」


 トワは微笑む。


「朝になる前の時間だから。」


「終わりじゃなくて、

 次へ向かう時間。」


 風が吹く。


 黒い羽根が舞い上がる。


 少年の目から。


 一筋の涙が落ちた。


「……ヨル。」


 初めて。


 自分の名前を呼ぶ。


「僕、

 ヨル。」


 その瞬間。


 京都中を覆っていた黒い空が揺れた。


 巨大な黒い鳥居が光り始める。


 無数の魂が夜空へ昇る。


 まるで。


 長い長い停滞が終わったみたいに。


 しかし。


 その光景を見ながら。


 ミコだけは青ざめていた。


「……まずい。」


 レンが振り向く。


「何が。」


 ミコは震える声で言った。


「終わってない。」


「え?」


「本当に危険なのは、

 ヨルじゃない。」


 全員が固まる。


 ミコは夜空を見る。


 その視線の先。


 世界の裂け目。


 まだ閉じていない。


「向こうから。」


「何かが来る。」


 その瞬間。


 裂け目の奥で。


 巨大な"目"が開いた。


 ヨルが青ざめる。


 アマツが息を呑む。


 ミコが震える。


 そして初めて。


 絶対に動じなかったレンが。


 恐怖の表情を浮かべた。


「……嘘だろ。」

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