第二十一話
雨だった。
細かい雨粒が、
夜の井の頭公園を静かに濡らしている。
池の水面には、
街灯の光が揺れていた。
トワはベンチへ座り、
小さく息を吐く。
「……疲れた。」
本当に。
今日だけで、
人生が何回壊れたんだろう。
神籍管理局。
黄泉列車。
空白侵食。
そして。
“神の子”。
まだ頭が整理できない。
隣では、
レンが自販機の缶コーヒーを弄んでいた。
珍しく静かだ。
トワは膝の上を見る。
ユラは小さく丸まったまま、
ほとんど動かない。
光も弱い。
「……ユラ。」
『……。』
返事も弱い。
トワの胸が痛む。
「ごめんね。」
思わず呟く。
「私のせいで……」
『チガウ。』
小さな声。
『トワ、
マモッタ。』
それだけ言うと、
ユラはまたぐったりした。
レンが缶を開けながら言う。
「消えはしないよ。」
トワが顔を上げる。
「でも……」
「魂が薄くなってるだけ。」
レンは夜の池を見たまま続けた。
「今のユラ、
まだ不安定なんだ。」
「不安定?」
「ちゃんと“生まれてない”。」
トワの眉が寄る。
「……どういう意味。」
レンは少し黙った。
言うべきか迷うみたいに。
やがて小さく息を吐く。
「ユラ、
多分……君が作った。」
「……え?」
雨音だけが響く。
トワは瞬きをした。
「作ったって、
何を。」
「魂。」
理解が止まる。
レンはいつもの軽い調子じゃなかった。
「普通、
魂は生まれ変わる。」
静かな声。
「死んで、
巡って、
また別の命になる。」
トワは地下で見た光景を思い出す。
黄泉列車。
帰れなかった魂たち。
「でもユラは違う。」
レンがユラを見る。
「ゼロから生まれてる。」
トワの胸がざわつく。
「そんなの……
ありえるの?」
「ありえない。」
即答だった。
「だから、
みんな君を探してた。」
空蝕も。
神籍管理局も。
黄泉の存在ですら。
トワは唇を噛む。
急に怖くなる。
自分が何なのか、
分からない。
その時。
雨の向こうで、
小さな音がした。
カサッ。
トワが顔を上げる。
ベンチの近く。
植え込みの陰。
そこに。
小さな段ボール箱が置かれていた。
「……?」
こんな雨の日に?
トワは立ち上がり、
ゆっくり近づく。
レンも少し眉を寄せた。
「神崎。」
「うん……。」
段ボールは濡れていた。
だが。
中から微かに光が漏れている。
淡い。
白金色。
トワの心臓が跳ねる。
そっと蓋を開く。
その瞬間。
小さな声が聞こえた。
『……トワ。』
箱の中。
毛布みたいな布の上で。
白い小さな生き物が、
震えながらこちらを見上げていた。
丸い耳。
ふわふわの尻尾。
星みたいな瞳。
そして。
トワを見た瞬間、
安心したみたいに泣きそうな顔をする。
『……ヤット、
ミツケタ。』
トワの呼吸が止まる。
ユラが、
二匹いた。
続き
第三章『ユラ』
雨音が止まった気がした。
トワは段ボール箱の中を見つめたまま、
固まる。
「……え。」
箱の中の小さな生き物。
白い毛並み。
星みたいな瞳。
震える身体。
そして。
その存在から感じる、
どこか懐かしい魂の気配。
トワの肩の上では、
今までのユラも目を丸くしていた。
『……エ。』
箱の中の子も目を丸くする。
『……エ?』
数秒。
沈黙。
そして。
『エエエエエ!?』
『エエエエエ!?』
二匹同時に叫んだ。
レンが吹き出す。
「ははっ。」
トワは全く笑えない。
「な、なにこれ!?」
箱の中のユラ(仮)が、
慌てて箱から飛び出した。
ぽふっ。
地面へ着地。
そして。
今までのユラを見て固まる。
『ボク!?』
『ボク!?』
『ニセモノ!?』
『ソッチガ!?』
大混乱だった。
トワの頭も追いつかない。
レンだけが少し真面目な顔になる。
「……なるほど。」
「なるほどじゃない!」
トワが振り向く。
「説明して!」
レンは雨空を見上げる。
「多分だけど。」
「うん。」
「これ、
分裂した。」
トワが固まる。
「……何が。」
「ユラ。」
さらに沈黙。
「分裂?」
「うん。」
レンは二匹を見る。
「地下で無理やり力使っただろ。」
トワは思い出す。
黄泉列車。
金色の光。
消えかけたユラ。
「魂が安定してない状態で、
急成長した。」
レンは珍しく真面目だった。
「だから、
魂の一部が外へ零れた。」
トワが二匹を見る。
どちらも本物に見える。
どちらもユラだ。
『ボクガホンモノ!』
『ボクダヨ!』
『チガウ!』
『チガワナイ!』
喧嘩が始まった。
トワは頭を抱える。
「もう無理……。」
その時。
箱から出てきた方のユラが、
急に静かになった。
そして。
トワを見上げる。
『……トワ。』
少しだけ。
悲しそうな顔。
『ボク、
オボエテル。』
「何を?」
『サビシカッタ。』
トワの胸が痛む。
その言葉は。
どこか、
黄泉列車で聞いた声に似ていた。
レンの表情が変わる。
「……。」
箱ユラは続ける。
『ズット、
サガシテタ。』
トワの心臓が跳ねる。
ユラが?
何を?
誰を?
その時。
今までのユラも、
急に黙り込んだ。
そして小さく呟く。
『……ワスレテル。』
レンが目を細める。
「そういうことか。」
「何が分かったの?」
レンは少し迷う。
そして。
静かに言った。
「この子たち、
魂が割れたんじゃない。」
雨が静かに降る。
二匹のユラ。
トワ。
そしてレン。
誰も喋らない。
レンはゆっくり続けた。
「もともと、
二つだったんだ。」
トワの呼吸が止まる。
「……え?」
「君が作った最初の魂。」
レンは二匹を見る。
「最初から、
一つじゃなかった。」
その瞬間。
二匹のユラの身体が、
同時に淡く光った。
まるで。
何かを思い出そうとしているみたいに。
そして。
遠く。
池の向こう側で。
誰かがこちらを見ていた。
白い傘。
黒い着物。
顔は見えない。
だが。
トワだけは分かった。
黄泉列車の少女だった。
少女は静かに微笑む。
そして唇だけを動かした。
「まだ一人、いるよ。」
次の瞬間。
姿は雨の中へ溶けるように消えていた。
トワの背筋を、
冷たいものが走る。
ユラは一匹ではなかった。
二匹でもない。
――まだ一人いる。
第三章『ユラ』
新たな謎とともに、
物語は静かに動き始める。




