第3話 アストレアル公爵家
アスランを乗せた馬車がアンジェの屋敷へと到着した。そこは貴族区の中でも王城に最も近いエリアだった。
高い爵位を与えられた貴族家ほど、王城から近い場所に屋敷を構えることを許される。
今まさに門が開かれていく屋敷は、耀がゲームのクエストで訪れたことのある公爵家が所有する邸宅であった。
「ア…アスト レアル 公爵 家……」
「なに? アスランはなぜアストレアル公爵家…と言うか、ここが公爵様のお屋敷だと知っているんだ?」
「わ 私は、没落 した 貴族 家に 生まれ ました…」
アスランがゲイルに対して咄嗟に答えた内容は、それが公爵家の屋敷所在地を知る証左になどなっていなかった。が、相手が元奴隷のゲイルであったことが幸いしたのか、『アスランは元貴族様だった奴隷なのか。辛い人生だな…』と、疑われるどころか憐れむ言葉をかけられた。
「あ あの ゲイル さん、今 の 公爵 様の お名前 は、ロター ワルド 様 でしょう か?」
「ああそうさ。公爵様という地位にありながらも武に秀でたお人だ。中庭で剣をお振りにになる姿を見る機会もあるだろうさ」
「は はい。ありがと ござい ます」
馬車が門を潜って敷地内へと入った。門から20mほど先に正面玄関があり、玄関前には大きなロータリーが切ってあった。玄関先には燕尾服の男性と、メイド服の女性が左右に立っていた。
ゲイルが玄関前で馬車を止めると、アスランは御者台から落下するように降りて、素早く馬車の扉を開けた。それを見ていたゲイルが『へぇ』と感嘆の声を漏らした。
「ありがとうアスラン。ゲイルよりも素早いなんて驚きだわ。この後はゲイルに屋敷を案内してもらいなさい」
「畏まり ました。アンジェ 様。お気を つけて お降り くだ さい」
アンジェはアスランを褒めるような微笑みを浮かべて馬車を降り、続いて降りてきたクレイも、アスランを褒める意味でアスランの肩をバンと叩いた。
アンジェの帰宅を迎えた執事とメイドが恭しく礼を執り、アンジェとクレイに追従して屋敷へと入っていった。
アスランとゲイルは馬車に乗り、屋敷の東側にある厩舎へと向かった。車庫に馬車を収めて馬を厩舎へ入れ、飼葉と水を馬に与えてから厩舎を後にした。
ゲイルに案内されたのは住み込みの使用人が暮らすへ入る宿舎棟だった。その一室へ入ると左右の壁際にベッドが一つずつ置かれ、ベッドとベッドの間には小さなローテーブルが置かれていた。
「今日からここがアスランの家だ。と言っても俺との相部屋だけどな。アンジェお嬢様…と言うか、アストレアル公爵様は、奴隷でも下級使用人と同じように遇してくださる。食事も一日に二回、下級使用人と同じ物が食べられるぞ」
「あ、ありが たい です。精 一杯 お仕え しま す」
「そうだな。今日は休んでいいと言われているから、屋敷と宿舎の案内をした後で使用人の皆を紹介する。屋敷は見た通りデカイし、使用人の数も多いから慣れるまでは大変だろうけど頑張れよ」
「は、はい。ありが とう ござい ます。ゲイル さん」
アスランの眼前に在る世界と耀の記憶に在るゲームの世界。二つの世界は同一なのか異なるのか。アスラン・ウォーカーと水城 耀は同一人物なのか赤の他人なのか。
幸運にも最低最悪の環境を脱したアスランは、この不可思議な謎の探求と解明を心に決めるのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アンジェの奴隷となり、アストレアル公爵邸での生活を始めて四ヶ月が経過した。
アスランは心身共に回復し、使用人が行う職務に邁進していた。三ヵ月目に入った頃には、アスランを一見して奴隷だと見抜く来訪者などいなくった程だ。
当初は庭掃除や厩舎清掃といった、男性の下級使用人が従事する建物外での仕事を熟していた。仕事とコミュニケーションに慣れた頃には、屋敷内の仕事を任されるようになった。とは言え、もっぱら廃棄物や食料などの重量物運搬であったのだが。
ある日、アスランはケヴィンという名のハウス・スチュワードに呼び出された。ハウス・スチュワードは使用人の中で序列二位に当たる職位であり、屋敷の包括的な管理や、男性使用人の雇用と解雇に関する権限の持ち主であった。
序列一位はステファンという名のランド・スチュワードであり、ランド・スチュワードは主人に代わって領地領民の管理業務を行う、云わば家令であった。
序列第三位はバトラーと呼ばれる執事である。これら上位三職は“ジェントルマン”として主人から厚遇され、使用人の中でも別格扱いであった。
「おぉアスラン、よく来てくれた。領地の官吏から届いたこの膨大な書類をステファン様の部屋へ運んでくれるか。使用人の中ではアスランが一番の力持ちだからな」
「畏まりましたケヴィン様、ステファン様のお部屋へお運びします。他にご用はございませんか?」
「今のところは…いや、アスランは読み書きができたな。この書類の内容がわかるならステファン様に『至急案件』だと伝え、概要の説明をして欲しいのだが?」
「これは…金額と件数から推測するに、農民に貸している借地料の領収計算票ですね。ん? ああ、借地料の徴収額が多すぎるとの意義申し立てですか」
「なんと!? …異議申し立て書の内容どころか、アスランはそれが借地料の計算票だとわかるのか。ふむ、ではこちらの書類が何かわかるか?」
ケヴィンがアスランに見せたのは前年の領地収支報告書、いわゆる決算書だった。アスランは耀の知識と経験を活かし、決算書の内容を読み解いていった。
「確証はありませんが、借地料を誤魔化すための二重貸しが行われているかと。この意義申し立てを起こした人物が名主なら問題ありませんが、違うなら二重貸しの張本人でしょうね。おそらく、借地人名簿に記載されている人数よりも、実際の借地人の数が多いと思われます」
「こ、これは一大事だ! 二重貸しの事ではないぞ! アスラン、お前の能力が一大事なのだ。こうしてはおれん、私もステファン様の元へ同行せねば!」
アスランは山積みの書類を抱え、ケヴィンに伴われて家令であるステファンの部屋へと行った。そこで再び見解を述べると、ステファンは驚愕すると同時に歓声を上げた。
その理由は明々白々であった。領地を持たない法衣貴族などは、例えその当主であっても決算書を読み解ける者などほぼいない。いや、領主貴族の当主にも決算書を理解できる者は少ない。
そんな社会において読み書きや高等算術、更には書式や形式にまでも精通する人材は極めて貴重だ。その貴重な人材が奴隷として買われた人物であり、誰にでも出来る仕事に長く従事していたのだ。これはアストレアル公爵家としての損失であり、一大事でもあった。
ステファンは即座に『お前の能力を見極めたい』とアスランに伝えた。それから数日間、アスランはステファンの助手として仕事を手伝い、その能力の高さをまざまざと見せつけたのであった。
「まさかこれ程とは…。正直なところ、私よりも有能なのではないか?」
「ステファン様、それは買い被りでございます。私はアンジェ様の奴隷でございますれば」
「うーむ……」
アスランが助手になった途端、ステファンの仕事は見る見るうちに片付いていった。常に仕事に追われていたステファンであったが、アスランが熟す仕事の量と速度には驚嘆しどおしであった。
また、アスランはケヴィンの助手としても能力を発揮した。
屋敷の管理を“日常業務”と“非日常業務”に分類し、タイムテーブルと人員シフトを組むことで効率化した。他にも仕事道具の使用管理台帳を作って在庫不足の発生を防ぎ、無駄なコストの削減を図った。
アスランの施策は、下級使用人たちからも『過不足なく仕事ができて助かる』と好評であった。